2016年4月14日から熊本は地震が続いています。  本日の訪問者 昨日は
       熊本大震災日記 あれから3ヶ月 xipoci版 Vol 4 その総合版はこちら    
                                                <2016年4月16日未明の地震で私が寝ていたはずの部屋・・タンスがごろり>

  

この日記が続いていたら地震が収まっていない証拠: もし突然途切れたら パソコンが壊れたか、電気が来ないか、他のインフラがこわれたか、私が壊れた時です。  

     震災直後編vol 1 2016年4月16日~5月13日はこちら   vol2 5月14日~6月16日版  vol3 6月17日~7月16日版   vol4 7月17日~8月16日版  vol5 8月17日~9月16日版  vol6 9月17日~10月16日版
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 * Xipoci→Хиpocи=ヒロシ  昔ロシアを旅する前にロシア語を習っていたときやっと書けた私の名前、でもそのときスペルにиの文字がなく仕方なく発音記号<i>に代えた私だけの造語です。当時片言の文通はフェードアウト
地震から3ヶ月目~
   
 2016年8月16日(火)  本震より4ヶ月目;今日は朝から雨が降った。昼からも入道雲が湧いている。昨日は有明海で1回、本日午前中に2回 震度2と震度1が西区を中心に揺れている。33.8度暑い熱い。そんな時刻の3時過ぎに孫らが八代から帰ってきた。何か良いことがないかなと思って新聞広げたが地震で亡くなった方の話とオリンピックの話が載っていた。15日の終戦記念日の式典での首相と天皇の発言が対比されて、反省を深くしているのは天皇に軍配が上がった。ネットではオバマの最終仕上げの「核の先制攻撃をやらない」ということに阿部首相は反対を表明したとか。もうこの首相本気でおしりペンペンしなくては・・

<地震>20時39分宇土の震度1で県内は計3回揺れた。
<写真>クレアの駐車場の先 金峰山の真上を中心として細く長い棒状の雲が流れていた。珍しい光景ではないがあの真下が立田山断層かとふと思っただけだ。
 何をなすべきか。レーニンの本の題名だったか・・私はこの暑さの中何もなさないのが身のためだと感じてほぼ一日部屋に閉じこもっていた。ファイルが必要になったので嘉島町のクレアの本屋さんに行ってきた。普通に品物があるというのはよいことだ。あの震災の日、水を食料を探してまわったという話を友だちから聞いた。私は偶然お店に買い込んでいた食料と、山へ行ったら必ず水タンク2個を満タンにして下山することを決めていたので、水にも食料にも数日は困らなかった。
 本震の数日後に開店したスーパーは長蛇の列。その先には水、お茶、パン、カップ麵の数種類があっただけ・・写真は4月18日(月)の店舗内部、品物がない状態だった。あるべきモノがないのは悲しいことだ。空腹では力もはいらない。何もない平凡な日々がありがたい。

<放射線>23:00  0.13μSv/h
       23:45  0.10μSv/h  
 2016年8月15日(月)  朝8時半 既に31.4度。空には不思議な雲。14日は確かに地震ゼロを記録、そして15日は午前5時23分:有明海を震源に玉名と西区で震度1.
伊予灘のM4.3のあとはM5.5の福島沖、わざと原発狙いの揺れが多い(と感じる)。
あとは稼働中の川内周囲が要注意か。現在18時、S氏と市内をうろついて帰ってきたところだ。入れ替わりにご主人様が買い物に出掛けた。
・・・午後8時32分現在 地震は熊本では1回のみ変わらず。
・・窓の外の川尻の花火も今終わった。今年は嘉島クレアと2回花火大会を窓越しに見物した。時折吹く風が涼しいお盆の夜。
 今日はお盆・・・終戦記念日、いつも不思議に思うのだが、8月15日は何故休日にしないのだろう。今年は月曜日、大体週の半ばに8月15日が来る。職場は休みではないところが多い。だからお盆休み(誰かの初盆のときは)はいつも年休を申請していたなあ。11日の山の日なんて付け足しはいらない、15日は国が破れて戦争をしないと誓った日にしなきゃあ。この日は、いつも曖昧だ。みどりの日、天皇の誕生日より終戦記念日が日本の岐路を振り返る大事な日だと思うのだが違うのかな。

12日伊方原発再稼働に合わせるように15日13:36伊予灘でのM4.3の地震発生。原発のある伊方町は震度2。ホントに止めないで大丈夫か!!怒り心頭。早く止めないと大変なことになるぞ!!
<放射線>
20:15 0.12μSv/h
20:30 0.12μSv/h
2016年8月14日(日)   今日はまだ朝から地震はない。他県に揺れあり、瀬戸内海は中央構造線にありはしないかい。沖縄でも2回、そのうち一つはマグニチュード(M)4.5、千葉でもM5.とか。全体にM3.9以上だから次の揺れに要注意。熊本はひよっとすると震災以降2回目のゼロ記録になるのかもしれない。丁度明日は旧盆だから、静かに出来る。墓参りも転がってこないから大丈夫。
娘と孫は一時盆を過ごすために八代に帰った盆明けからまた大変な孫守の日々を再開する。八代方面で揺れないことを祈って送り出した。・・・暑い熱い、この最中田圃の散歩に出掛けるとしょう。17時42分 まだ陽は高い、日焼けするかな。帰ったらシャワーだ。
 その散歩だが、気が遠くなりそうな暑さで公園も人は犬の散歩の2人だけ、肝心の子どもたちはきっとクーラーの下なのだろう。昔のこどもと様変わりだ。昔は川で泳いだのだが・・今はそうしたら叱られるだろうな。
 稲は青々と成長している。あと二月もすると収穫ではないか。

 この日記熊本の揺れ無しが3日続いて終了予定・・さてこの静かさは本物か????
 暑いとても家の中でじっとしてられないと思いながら34度超える室内に留まっている。
<趣味>
無線は3局と交信。7MhzRTTY1局(下関)と21MhzでのSSB2局の計3局だった。1日1局の交信14日現在17局と交信安信してサボれる。内訳はRTTYが9局。SSB7局、電信1局という結果だった。こんなに暑くても交信する相手がいるとは無線馬鹿にバンザイ!!
RTTYって何と言われる方向けに解説:IC7600にUSBでキーボードを直結して送受するが、 (写真)画面はその交信をモニター(^^)/(MMTTYというソフトで)文字表示したもの。結構文字化けしているがそれは超能力で読み進めるしかない。さっぱり分からない時は「PSE AGN」と再送を促す。大体がまずシグナル強度を含めた信号リポートを送る(大抵599)付加して名前、住所を送るのだが、JCCNoや名前をCQに含めて送っている相手などは599 BKで73TUと送ると交信成立。あっという間。2,3回のやり取りで終了してしまう。メモリーに記憶させておりキーボードのF1からF8のファンクションキーを利用して完了。手作業なら送信欄にキーボード入力したあとF12を押せば送信。よく考えても簡単な仕組み。かって30年前にやっていたパケットを利用していたRBBSの方がよっぽど楽しいかな。それとPSKではパソコンの文字(日本字)通信で見た通りの交信だ。但しIC7600直結ではは欧文しか扱えない。PCを経由するなら追加の変更申請が必要。しばらくちょっと不便なIC7600直結のRTTYで頑張ってみようと思う。

<放射線>
21:30  0.06μSv/h
21:45  0.11μSv/h
 2016年8月13日(土)  今日は小川の実家の風通しに次女と孫を連れていく、もう既に草原状態。また近所から苦情来そうな草原だ。全面草刈りをもう少ししたら頼もうかな。
 途中の母(特養にいる)も変わりないが、段々言葉が少なくなってきた。発熱もなさそうだ。豊野と海東の道の売り場で野菜と花を買った。13日だから、父の墓参りもした。実家では仏壇に花を供え、子、孫、ひ孫の三代で手を合わせた。来月はまた孫が増える予定。無事に生まれることをお願いした。
 それにしても暑いこと、いつもの年より暑い日々が続いている。今日は孫も疲れて早く寝るだろう。
 
写真)過疎の始まりの町の小川は緑ばかりが目立っていた。自然が人工物に勝っていて電線には鳥がとまって仲間を待っていた。
<地震>
私たちが小川に居る14時59分頃に震度2があったという。今日の揺れはこのままでは収まらないだろうと予想
 小川からCQハムラジオを持ち帰った。1980年だから現在から36年前の本。私が26歳の頃の発行だ(下)、本の厚さも現在の2倍くらいあった。現在の本(上)は広告も寂しい。昔、使っていたTR7500とかFT207、IC3Nなども広告にあり懐かしい。

<趣味>今日はRTTYで50MHZにて松戸市と21Mhzのインドネシアの記念局の2局で50MHZはCQ(どなたか相手お願いします。)って初めてEスポ発生時に出したら呼ばれた、慌てて応答してたら相手局のスペルを間違って打っていることに気づいた。あらまあって思って最終的には修正したが申し訳なかった。インドネシアは独立71年・・そうそう日本があちこちに迷惑かけた第二次世界大戦が終わってインドネシア共和国として独立した「8月17日」が71回目の独立記念日。それで1から9までの地域で記念局が出ている。今日のRTTYの相手は YB71RI/1(西ジャワ)の記念局だった。22時前、ついでに7MhzRTTYでDXpeditionの隣国6K2CEW/3ともコンタクト出来た。それで今日の成果は3局RTTYだった。うち海外2。
<放射線>
18:00  0.12μSv/h
18:15  0.09μSv/h

夕方18時15分 34.6度 暑かあ!!
 2016年8月12日(金)  近所は可燃ゴミの日。今日も朝から暑くて大変。買い物に付き合うがその途上の太陽の熱いこと。顔は真っ赤になってしまう。昨日から来週火曜まで盆休みの方が多いようだ。オリンピックは興味ないし、この数日どうすごそうか。
<地震考>
 あの日以来、私はもう一度大きな揺れが起こるかもしれないと言葉には出さないが大きな不安を抱えて日々を暮らしている。震度7に2回耐えても3回目はどうだろう。そしてそれが連続的な揺れだったら耐えることは出来ないだろう。どんなにお金を積まれてもそんな試練は受けたくない。既に稼働している川内、そして8月12日の今日からは愛媛の九州に近い伊方原発が再稼働というニュースが心を乱す。絶対に事故は起きないと誰が断言できようか。もうすでに予想外という言葉は封印されている。あるかないかの問題だ。私はこのままなら必ず事故が起きて人が住めなくなることを確信している。なぜあの時と言ってもその時は既に遅し。結論ありきで「責任は私が取ります」という偉い人の言葉を忘れてはいけない。福島では誰も責任を取らなかったから・・その言葉素直に信じられますか。責任の取り方もさらに不明なのだ。
写真は・・”火山だったと自覚が無かった対岸の雲仙普賢岳”。噴火そして、突然の火砕流で多くの犠牲が出た。そんなまさかが日本にはあちこちに存在する。温泉のあるところは殆ど危険と隣り合わせだ。

<今日の地震>
熊本で2回、長野、福島で1回ずつ、まだまだ揺れると思う。伊方原発、川内原発の直下にご用心
  主張 <伊方原発再稼働反対
12日 今日から伊方原発が再稼働するという。巷では一番危険な立地にある原発と言われている。熊本地震は日奈久布田川断層の延長に阿蘇があって、その先の湯布院などを含み大分を縦断して愛媛の伊方原発近くに伸びる中央構造線がある。この中央構造線が揺れ始めるとすべては終わりだ。原発で事故が起こると対岸の別府も大分も瀬戸内海も人は立ち入れなくなるだろう。なんでこんな危険な場所を選んだのだろう。
さらに南海トラフによる地震津波の被害をまともに被る伊方原発・・再稼働は地獄の一歩だ。大丈夫かな。地震だけなら復旧は出来るだが、原発事故には人間は対応出来ていない。福島の原発事故でさえ5年も経っても原子炉内の燃料そのそのものさえ取り出せず手を出せないままだ。人間は万能だという未熟な考えが日本を覆っている。これからはレッテル貼りが横行するだろう。再稼働を批判する人々を非国民と言って、切り離そうとするのだろう。世の中全ての人が丸め込まれる訳にはいかない。みんな意思と意見をもつべきだ。

<趣味>コンディションは上から下まで悪いままだ。だが長野県須坂市移動の局コールサインからして8N0YAMA/0
(YamazakiOM)という事は山の日にちなんだ移動局かなと想像したが。その局と7MhzのRTTYで交信成立。YAMAの日に交信したら特別デザインだったのに。残念。沢山の局に呼ばれていた。(ネット検索でその通りだった)

<放射線> あの原発事故がなければこんな測定もしないはずだったのだが・・・
17:45  0.12μSv/h、
18:00  010μSv/h

 写真:今日の散歩道、真夏には草ばかりがボウボウと茂る河川沿い。
 2016年8月11日(木)  今日は10時に西原村にて待ち合わせして山小屋の見積もりを頼んだ。問題は瓦が手に入るかどうかといのが一番の問題。他の問題はなんとかなるが、上から終わらなければ下が出来ない状況だ。台風でもくれば大変だ。瓦が1枚割れていたので偶然に発見した瓦と交換。
割れた瓦を接着剤でくっつける方法もあるそうだ。
 屋根作業の後はいつもの水風呂。冷たかった。そのあと昼ご飯食べて下山。
帰ったのが2時半過ぎ、もう暑くてたまらんでクーラーの下で汗を止めた。こんな時の風は生ぬるくてどうしょうもない。クーラーは表面を冷やして氷水のがぶ飲みで内部を冷まして過ごす。ああ早くどうにかならないか。
 午後9時の室内は32.2度このままでは眠れないなあ。

<地震>阿蘇地方で震度は1と2の計2回。和歌山、岐阜、北海道も小さく揺れた
 <読書>
山小屋から帰るとずっとクーラーの中で読書にいそしんだ。『ナニワ・モンスター』海堂尊。最終章まで読んでやっと分かった。日本3分割案は、よいかもしれない。そうなると東京一極集中は終わりかな。(TVならわかるけど一極集中の候補で一局集中が先に出てくるからしっかりPCに使われ人間はもう一度見直さないとこりゃダメだあ)

<趣味>
夕方は14MhzのローカルQSOを、夜は3.5Mhxz での狸ワッチ。
成果なし。

<放射線>
19:30  0.08μSv/h
19:45  0.08μSv/h
 2016年8月10日(水)  <季節>
朝から今日も暑い33度を超えた。暦では秋か。信じられない。
夕刻の田圃の散歩道では秋らしくちゃーんととんぼの集団が徘徊していた。

体調>
(^_^;)鼻水がタラタラ落ちる。食事の時がたいへんだ。ごはんを口いっぱいにしてクシャミをする羽目に。家中ご飯粒だらけに。二歳の孫に示しがつかない。
 木部公園にラッパのような白い花が咲いている百合かなと思ったがちがうかな。
 奥の田圃は青々として早く秋を待ちくたびれている様子。ちょっと右はまだ4月の後遺症のブルーシートがかかっている。(写真ではカット)・・はやく瓦が欲しいなあ
(我が山小屋も瓦がなくて随分経つ)雨の日はいつも心配だ。

<地震> いつもの嘉島付近、それと水俣沖で震度1の揺れ。昨日の震度4は気まぐれか?他に茨城震度2,硫黄島と日向灘で震度1
 <趣味>
 50Mhzは一瞬のEスポ、電信で那覇市首里とSSBで北海道帯広の局との交信。これでハムログは通算700局になった。その後石垣島の局と21Mhzで交信して今月の1日1局は達成する。1万局はいつになることやら。
プレッシャーがないと成果がない。やっぱり私には重しが必要だ。何もないとフワフワ過ごして楽な方へいってしまう。



<放射線>
20:00  0.13μSv/h
20:15  0.11.μSv/h
 2016年8月9日(火)  今日は長崎の原爆の日。長崎の原水爆禁止大会と広島の原水爆禁止大会には20代の頃参加した。相変わらず核兵器は存在しているし、中には核抑止論に傾く閣僚や都知事もいて昔よりさらに、非核がやばくなってきている。おおきな勢力によって飼い慣らされてしまった国民とマスコミは、もう既に堕落の一途を辿っている。9条守れと平和を叫ぶことが色眼鏡でみられ、反核や憲法守れと大声が出せないおかしな国になりつつある。
 朝はゴミ出しに孫を連れて出掛けたが結局それから30分真夏の散歩に連れて行かれた。暑くてたまらん。2歳の孫、私の遺伝子もあってか、喋りは下手だがよく物事を理解している。恐ろしや。片っ端から親を足がかりにして周囲の会話を聞いている様子。
 今日も指示されるままに、33度を超える部屋で新聞造りをしていたが、我慢出来なくて近くの喫茶店にて情報収集。途中、郵便局に寄って、残暑見舞いになってしまった暑中見舞いを5枚送った。販売中の猫の絵柄の切手が可愛かった。夜は会議で出掛け帰りは午後9時。
<地震>
今日は阿蘇地方で3回震度1✕2,震度2✕1回。つい先ほど22:52に嘉島中心に震度4,我が家の南区では震度3.ゆらゆらと日記を書いているPCと机が揺れた。もちろん椅子も私も一緒に揺れたのだが。マグニチュード4だった。安心できず、まだまだ終われないこの日記。
稲の成長が早い。このまま順調に刈り入れまで育ってくれるといいのだが、夏らしい風景だ。早朝には小型のヘリコプターが本物のような格好して農薬を散布していた。朝早くだから、眠りを妨げるけど
まあカッコ良いから許そう。ラジコンとは思えないほどの大きさだ。
数百万円するのではないだろうか。小さな子猫くらいは乗せられるのではないだろうか。農業もゲームセンターの中にあるような時代だ。苦しいだけでなく楽しいことへの鞍替えもあるのだろうな。


<趣味>今日は1局くらいできないかなと思って聞いているが、なかなか困難なり。

<放射線> 全体的に高いかな。
15:00 0.13μSv/h
15::15 0.14μSv/h 
23:00  0.10μSv/h
 2016年8月8日(月)  最後の最後まであがき続ける人間だ。暑い熱い。なんて!暑いのだろう。孫は朝ご飯のあとカキ氷を食べていた。婆さんと散歩のあとはクーラーの中で冷たいジュース。贅沢は敵だ。私はクーラーもいれないで時々はいってくる風を窓越しに捕らえて過ごしているっていうのに、もう。・・・朝からのクーラーは、太陽光発電で、初の赤字の月になるかも。午後から学習会とその帰りに食品の買い出し。孫の食べそうなモノに手が伸びる。妻からは「ダメ!」元の場所に戻してきなさいと命令されて渋々戻すばかりだ。そうやって闘い破れて帰ってきてもまだ五時半、せっかくの暑さの中で、夕方散歩に出掛けた。田圃の中にはタニシがいっぱいいた。近くの天明新川は水量が半分くらい、殆どが田圃に使われているのだろう。散歩で汗びっしょりになり、そのままシャワーにはいって汗を流して気持ちよかった。そしてまた、いつの間にか片手にビールがあって「うまい」。無線機の前でヘッドフォーンじいさんになっている。

<地震>
昼前に1回 震度1、午後に震度1回。このままかな。
 <読書>
『ナニワ・モンスター』著 海堂尊が面白い。妻が図書館から借りてきたのをこっそり眺めている。展開が面白い。こっそりそっと借りているのでページがすすまない。ちゃんと栞はずらさないようにして読んでいる。キャメルインフルエンザのはなし。あり得る話だ。

<趣味>とうとう2日も無線は交信してない。と思いながら50Mhzを聞くと山形県の局と短い交信。久しぶりのEスポだった

<放射線>
19:30  0.10μSv/h
19:45  0.11μSv/h
20:00   0..11μSv/h
 2016年8月7日(日) 折角の日曜日、のんびりやろうかなと思っていたら、来月出産予定の次女が孫を連れてやってきた。これから3ヶ月、もしかしたら4ヶ月、我が家が占領されることに。もう少し先のことかと、のんびりしていたら、突然の嵐が吹き荒れる。2歳の孫に老猫も追い回されるのが嫌で外出するも、外の若い野良猫から喧嘩を仕掛けられるので、時々喧嘩の仲裁に外にでる。外に出たり入ったりの暑い1日だった。僅かな救いは氷水だけ。最近は水で満たされて、お腹がいっぱいだ、散歩も今日は出れなかった。ストレスが少しずつたまり始める8月の積乱雲の空の下。自由が欲しい!と1日目からの愚痴。


<地震>
 今朝は夢の中を地震で起こされた。4:46AM 震度3が西区揺れた、南区では震度1か。今日の合計は午前中だけで4回。最近震度3など多くぶり返しが続く。他県では淡路島の震度1
以外に日本列島は安定している様子。・・その後22:51阿蘇地方で震度2,計5回なり。
 <読書>今日の熊日新聞2016/8/7 (2016年7月7日(木)の本日記に写真)
<趣味>今日はコンディションはあまりよくないので、やめた。夜、和文聞く、がよく文字が抜ける。

<放射線> 20:45   0.11μSv/h、21:00  0.09μSv/h
 2016年8月6日(土)  今朝は・・広島原爆忌、8時15分テレビの音声とともに黙祷。71年目の夏。まだまだ核兵器に固執している世界の政治家(日本での核の傘論を含め)が多い。ホントに核廃絶が出来るように頑張ってほしい。一方12日には伊方原発再稼働という話もあってとても気になる、福島の事故以来、日本の原発政策は行き詰まっている。核燃料の問題では、使ったあとのウランが変化して出来るプルトニウムの問題も深刻。もんじゅの燃料はフランスで再処理したプルトニウムというが・・もんじゅという高速増殖炉は「プルトニウムを核分裂させ、エネルギーを発生させ発電したうえで、さらにプルトニウムを増殖する」という。(燃料が増えるばかりと手放しで宣伝してたが)事故ばっかり起こしている。もうお金かけず早く廃炉にすれば税金も投入せずにすむことだ。平和と核兵器、原発は相容れないと思う。
 夏の夕方の友が来る寸前に散歩に出た5時半。西日は暑いが南には積乱雲、大きく、小さく雷鳴が聞こえてくる。いつもと反対ルートを辿る。それは万一雷雲が頭上にきて平原の田圃道に私だけが立つと、奴はキッと狙ってくる。そう思って 木部公園を後にした。いつも作戦を練りながらの散歩道だ。幸い頭上には積乱雲の奴ら散歩終了まで追いつけず。普段の2倍速で歩いたため汗も2倍かいた。念のため血圧はかると136/83脈拍83、2倍になってなく安心。まあまあだ。・・と、安心してシャワーを浴びて、そのあとのビールが旨いこと。・・と書いている18時42分、涼しい風と共に頭上に奴が現れた。でも何事もなく通り過ぎていった。今日の褒美も冷たく冷やしたビールに、つまみはチーズ。虹を眺めながら・・
<地震>本日は八代地方の揺れが多い。2回の震度1と1回の震度3.まだありそうな気配。千葉県東方でも震度2があった。
毎日茹だるような暑さで散歩に出ようとすると雷様の音が耳に届く。 天敵は無線のアンテナだ。落ちるなよと願う。2Fの机のずっと下に給電点がある。我が家には屋根を越えるアンテナはない。(ご主人様の命令でステルスアンテナだ)ご近所ハムと交信する度に、住所を交換するが、そんな無線アンテナ見かけたことがないと言われる。そのアンテナを横に今日はおまけの虹が出た。きっとよいことがあるだろう。(^_-)

<趣味>今日は一気に4局と交信(RTTYで3局、SSBで1局)50Mhzでは岐阜県郡上市移動局、京都市向日市移動局のRTTYと7Mhzで東村山の局とのRTTY、宮崎県五ヶ瀬町移動局と50MhzのSSBにて。これで1日1局交信目標 8月の今日までの6局達成。
<放射線>
19:15  0.08μSv/h
19:30  0.09μSv/h
 2016年8月5日(金)   今日は山小屋の湿気取りにと早朝の出発のつもりがなんとまあ昼に到着。昼過ぎに商工会に行って、また帰ってきて空気入れ。屋根のブルーシート点検。1週ぶりなのにズレは少なく、雨漏りもなし。汗びっしょりの瓦の上の作業のあと、恒例の水風呂に飛び込んだ。「汗も引きすぎて風邪を引くかも」
 屋根の上から山側を覗く・・人間界がこんなに暑くしているというのに自然界は青々として、木陰を作りながら涼しい風が森の中を往き来しているようだ。ときどき蕗の葉がゆらぐ。
  駐車場にカタカタという音。ハチが巣を作っているのかもしれない。正体は不明だがカタカタといわせているのは誰だろう。勇気がないので次回はハチ退治だと気負って帰り支度をした。ニョロニョロだったらどうしょう。

<地震>
熊本では震度1が2回、そして直近22:28に有明海で震度2,と計3回。最後のはどーんという音で軽く揺れたがたぶん南区は震度1だろう。他に国内では兵庫県と硫黄島で小さな揺れがあった様子。
 
 <写真>      
 当然、趣味の時間は取れなかった。
 その代わり、蝶か蛾か?青い車を包んでしまうほどの羽根の巨大蝶・・みたいな写真を撮って
 その帰り道、嘉島のクレアにプリンターのインクを買いに寄ったところ、(右のような)雲の分断というか夕陽反射の分断という珍しいかもしれぬ空を撮った。なんということもないのだが(^_^;)

熊本シニアネットの仲間の髭てらさんが「日本の自然」写真コンテストで最優秀賞を受賞されたと熊日にある。作品は「山の怒り」で阿蘇が題材。すごい炎が出ているストロンボリ-式噴火を撮影。私の焦点定まらぬi-phoneで撮る写真と全然違う。
<放射線>
22:00  0.11μSv/h
22:15  0.08μSv/h
 2016年8月4日(木)  33度を今日も超えて、夕方には夕立がやってきた。おかげで少し涼しくなった。夏の暑さは当たり前のことだが、毎日こんなに暑くしないでもよいのにと思ってしまう。冬のために少し残しておいてくれれば、冬の暖房が助かるのだが。熱をため込むことはできないのだろうか。昔使われた、寒さを閉じ込めた氷室のような場所で。

<地震>午前1時33分宇土半島付け根の震源で西区で震度1,豊野で震度2が午前5時46分、有明海で震度1が12時41分と規模も回数も減っている。薩摩半島西方でマグニチュード4で鹿児島市で震度1とか。川内原発大丈夫だろうか。県知事が交代したから少し安心ではあるが、ちゃんと停めてくれたらいいなあ。その他広島、岩手で震度2が続いている。日本列島大丈夫か。
<読書>
『遊星ハグルマ装置』朱川湊人 、笹公人著

朱川氏の短編(エッセイ的小説)と笹氏の短歌の順繰りで構成されている。面白い手法だ。短編には思わず引き込まれる。それぞれ軽く読み終える。1963年、1975年生まれと、2人ともまだ若い作家だ。 表紙は昭和の頃の少年画像みたいだ。

<趣味>今日は午前中1局千葉県市原市の局と交信。1日1局の目的は達成。他21MhzのRTTYでインドネシアが聞こえていたが届かなかった。また状態の良い時を狙おう。

<放射線>
20:00   0.13μSv/h
20:15   0.12μSv/h
 2016年8月3日(水)   曇り空。33度、午前中元職場へ。新しいCTが入っていた。午後自宅で過ごす。ある会の新聞作りが今日から始まった。締め切りが当初より10日も前になって大丈夫かな。
 18時30分散歩に出掛けるつもりで外へ出たら一昨日の続きのように積乱雲が頭上にっでてきた。また駆け足の散歩も嫌だなあと思って田圃道の撮影してそのまま帰ってきた。いかにも雷が居座っているような厚い積乱雲だったが、家に入ってパソコンを消して、無線のアンテナはずしてじっと待っていると何事もなく通り過ぎていた。夕立も降らなかった。
 
<地震>
本日は2回(いずれも震度1)、県外では千葉が震度3とか。大分でも宮城沖、トカラ列島などもあって熊本の揺れは目立たなくなってきた。
  来週くらいから孫を連れて次女が9月出産予定で帰ってくる。そろそろ爺さん・婆さんの自由もなくなってしまう。困ったなあ。市民病院の新生児集中治療管理室(NICU)が無いのは不安だ。何事もなく自然に生まれてきてほしいものだ。

<読書>『原発難民の詩』佐藤紫華子著。原発事故で故郷をなくした富岡町の84歳の詩人。夫とともに避難生活を送っている。「私たちは安住の地を求めてどこまで いつまでさすらうのだろう」と、詩は苦しみを伝えている。まだまだ原発事故の被害は続いているのに、なんで全国でまた原発再稼働を急ぐのだろう。Xipociも思う「金、金、金、経済という金の亡者の政権とその支持者たち、それを許す日本人に絶望している」と。原発はもう過去のものだ。期待してはいけない。

<趣味>7Mhz以外特にコンディション良くない。17時すぎて7MhzのRTTYで有田町移動の局と交信。あっという間に終了。暑さはピーク。風が止んだ。蝉の鳴き声が拍車をかける。こんな時無線機の前におる奴はちょっと変人かも。真夏の無線は体力が無ければ声も出ない。やはりこんな時は指先1本のRTTYだなあ。と周りに薦めよう。
IC7600のUSB端子にUSBハブを付けてマウスを付けてみた。ウォーターフォールにカーソルあてて周波数を変更できて便利。HAMLOGからも周波数変更やモード変更が出来るので、パソコン無くては運用が出来ないなあ。昔はそれぞれ手回しだったが、夢を夢で終わらせないというハム有志の連携はたいしたもの。

<放射線>21:30  0.13μSv/h、21:45  0.12μSv/h、  22:00  0.13μSv/h
 2016年8月2日(火)  31度C 蝉が鳴いている。今日は南に下る。小川の実家に風を入れる予定だ。・・・と書いて2時半過ぎに南下。先ず城南図書館で本を返し新しい本を借りてさらに南下、特養の母に会って、熱が下がっていることを確認。食欲も大丈夫。入れ歯が壊れて1本の歯で食べてた。(^^;).修理をお願いした。 それから母が住んでいた実家の風入れは既に5時前になってしまった。短時間に私は外で草の処理、ご主人様は畳の水ふきやら 床の掃除をして6時過ぎに家を出た。帰って作る気もしないので、外食に。
 小川のイオンは平日なのでお客さんは少ない。映画館も市内の大手は全滅なのに、ここは開店している。小川(宇城イオンモール)は震災復興は比較的早かった。
<地震>
今日も・・・”もしかしてゼロ達成か”と期待したが21時27分に揺れを感じた。気象庁のHPで震源は東区のようで震度1。まだ油断は出来ない。
 <趣味> 今日も声を出してない。声を出すより50MhzでRTTYの練習。誰もいないので好都合。加入しているアマチュア無線連盟から交信した相手からのQSLカードが届く。まとめて届くので照合が大変だ。今月は30局、ニュージランドやパラオに混じって、小笠原や石垣島などまだ旅したことない地からのカードが届く。無線は自由にどこまでも飛んで行ける。うっとりカードの写真に見とれたりする時間も貴重だ。送って頂いた皆様ありがとう。CU AGN SOON

<放射線>
22:15 0.07μSv/h
22:30 0.11μSv/h


<料理・隠し味:水前寺菜のこと>
友だちが呉れた水前寺菜が今日の味噌汁に入っていたことを南下する車の中で聞いた。「えっ!知らん」・・食べたという自覚もない。ご主人様は黙って食わせたのだ。「特に何という味もなかったね」と言ってたが、まさにその通り、特に味がないとは何という失敬な野菜なのだ。水前寺菜と名乗るでない。ぷんぷん。何か知らないが・・次回はしっかり味も見極めなきゃあなあ。(^_^;)
 2016年8月1日(月)   今日は6月に嫁に行った娘が乗っていた車の車検に行った。10時に出してテレビなどみていたら1時間ほどで出来上がり。予想ではもっと時間かかるはずだったのに早すぎる。雑誌も2冊読んだだけだ。はがきの投函を頼まれていたので嘉島のクレアに行って投函後本屋さんをぶらついていたら、「現代短歌8月号」に熊本地震を詠むという特集があった。立ち読みするうちぐんぐん引きつけられて買ってしまった。
「益城」 楠田立身、「熊本地震二夜から三夜」 浜名理香などの筆の凄さ。それぞれの震災への思いと震災時の記録があった。
 夕方 積乱雲の切れ間に田圃道を散歩に行った。雲の真下では雷に打たれてしまうので急ぎ足の散歩になった。帰宅には家の屋根の近くまでやってきてセーフ!。命がけの散歩日和だ。なにしろ最近雷がよく光る。

<地震>
本日の地震は僅か3回。日が変わりそうなときにも追加で揺れた。震度1ばかりだった。ニュースでは関東で震度7の警報が出て誤報だということだった。電車まで止まって、誤報だがまあ逆だからよかったのかな。
 <暑い>風は少しだけで暑い。窓の風に代わる人工的な涼しさが欲しい昼下がり。昼寝もできない。明日図書館に本を返さないといけない。今日の読書は堂場瞬一の小説「over the edge」と、詩の本。執行草舟の「友よ」では・長田弘(おさだひろし)の詩が紹介されている。

 はじめに・・・ 
星があった。光があった。
空があり、深い闇があった。
水、そして、岩があり、
見えないもの、大気があった。
雲の下に、緑の樹があった。
樹の下に、息するものらがいた。
息するものらは、心をもち、
生きるものは死ぬことを知った。
一滴の涙から、ことばがそだった。
こうして、われわれの物語がそだった。
土とともに。微生物とともに。
人間とは何だろうかという問いとともに。
沈黙があった。
宇宙のすみっこに。
  (長田弘「黙されたことば」みすず書房より)
宇宙の隅っこにいる我々は星、光、水、闇、大気によって人になったのだろう。宇宙の中のちいさな埃のような存在を思わされる。
そのうち、また水や煙、光になって闇の宇宙に消えて行くのだろう。

<放射線>21:15 0.10μSv/h、 21:30 0.11μSv/h 
 2016年7月31日(日)  人生は一瞬先は分からない。今日の新聞を見ていたら大津で空き家屋根のブルーシート貼り(張り)をしていた南区の61歳の男性が屋根から転げて亡くなったという。私もその4,5kmのところで同様の作業をしていたので他人事ではない。足を滑らせたらイチコロ(あの世にコロリと行っちゃう)だ。たぶん人生の続きがあると思いながら屋根に登っておられたのだろう。私もその乗りでいつも気軽に屋根に登っている。でもある日・・同様のことが起こるかもしれない。転ばなくとも血管が切れたり詰まったりして。じゃあ何をして置かなければならないのだと葬儀社の準備を始めた。会費の入らない会員制を探した。
 月契約でさっ引かれる例えばADOBEの契約解除、生命保険の手続き、(事故の場合だけ出る保険もある)、病気専門の保険もあるし、あれもこれも周囲は知らないだろうことばかりだ。そろそろ整理しておかねば。

<散歩道>夕方6時20分陽の活動も弱くなる頃から田圃道(左右写真)を散歩する。暫く刈り上げてあった道草は、また成長してニョロニョロがいるだろうことを覚悟でぴょんぴょんと革靴で跳ねて散歩続行。万一ニョロニョロが待ち構えているとアウトだ。雲や川を眺めての散歩は心が静まる。がニョロニョロはダメだ。

<地震>本日は阿蘇で2回、水俣で1回震度1があった。104日目だけが奇跡の日だったのだろう。予想外の場所で小地震が続いている。
<趣味>夕方より凄い雷鳴がして一時停電もあって夕立が通過した。怖くて無線のアンテナと、パソコンの電源、ネットHDDなどえお停止してコンセントを抜いてジッとしていた。1時間ほどで通過。そのあとに21MHzにて2局と交信1局は横浜、もう1局は静岡の裾野市というその名の通り富士山の中腹1000mにあるシャックからの電波だった。そんな高さの上に更に32m高で5エレ八木で1kwの局 地震前の4月8日西原村の山小屋で交信した東チモール(Timor-Leste)移動の4W/JJ2VLYは彼の奥さんだそうで、CQ ham radio8月号p30-33にカラー特集記事が載っているとのことで交信終了後にじっくり眺めてみた。西原村の固定局免許でリグとアンテナは FT450+5mHDP で必死に呼んでいた記憶がよみがえる。南区で出す電波は主に2mHGP(CP6S)で他力本願のステルスアンテナ。でも相手次第で飛んでくれるので助かる。さて7月の交信局数は31局目標に対して52局と達成、新しいモードではRTTYで3局加わった。真夏の気晴らしには最適かも。
<放射線>20:45  0.13μSv/h   21:00  0.10μSv/h
 2016年7月30日(土)  朝から今日も蒸し暑い。小川に行こうか西原の山小屋に行こうか迷っている。小川は母と草が心配。山はブルーシートが外れてないかが心配。気の向くままに出掛けよう。報告はまた夜に。小川は開放して、山は除湿器を設置して湿気取りしなければならない。震災後は余計な仕事ばかり増えた。今午前10時15分蝉がよく鳴いている。50MHzは久しぶりに強いEスポが出ている。さあ私は動き出すのか、とどまって趣味をはじめるのか・・・新潟が聞こえる・・・・
と書いて1交信後西原の山小屋に向かった。山小屋のブルーシート確認がまず優先。西原への途中キャンプ場側の裏道が仮設工事が始まっていた。俵山トンネルを今年中に復旧させるための道路だ。2車線で完成すればAZULへは行きやすくなる。一通り正常を確認して1Fへ降りていたら、友だちがアイスクリームを持ってきてくれた。熊本県人気質の話を交わし、湿気取りを済ませて帰路に着く。帰り道にまた空の雲(右端)が気になった。私が「地震雲じゃなかろうか」という前に「阿蘇(火山)爆発の予想雲」と先制攻撃が仕掛けられた。 はたしてどっちじゃろか?
<地震>熊本の地震3回、20時1分、丁度宅急便を受け取りに玄関に出てサインをしているときにグラリと揺れた。それが震度2(西区・益城などで)、他は震度1。他にマリアナ諸島でちょっと大きめの地震と千葉県東方沖で千葉と茨城の一部では震度3とか。今日はウナギの日、鯰は大人しくしてないといかんばい。
 
 <暑さの中で>
ボーっとしている。何もしたくないというのが正直なところだ。冬もきっと寒くて何もしたくなかったと書くのだろう。春と秋はウキウキするばかり。そしてまた一つ歳を取るのだ。それがXipociの生き方に相応しいのだろう
口をぽかーんと開けて空だけ眺めていた人生か。・・・それが理想かもね



<趣味>今日は50Mhzで埼玉県の移動局と交信(SSB)、そろそろEスポも不安定になってきた。早めに沢山の局と交信しておきたい。RTTYでの交信は3局だけ。14Mhzの電信を聞いていると今日はコンテストのようだ。いつかは実力をつけて参加したいものだ。

<放射線>
22:15 0.10μSv/h
22:30 0.08μSv/h
 2016年7月29日(金)  朝は熊本シニアネットのホームページお助け塾に出掛けてきた。サーバーが新しくなってhtmlからwordpressに変わったので勉強しなきゃと思って本部に行ったが、wordpressでなく以前のhtml型式のHPをリンクする方法を教えてくれた。Wordpressは私のブログ(俺は人間だあ)で使っているが、帰って担当者からIDとパスワードを教えて貰って、KSN俵山サロンのページは書き換えた。福祉部はまだ。夕刻より雷雨で散歩にでることが出来ず、早めに風呂に入って自由な時間を確保。今日も暑かったのだが夕立のあとは少し涼しくなった。中学生の頃はよくこんな雷がなっていたなあ。あれ以来あまり雷夕立のシーンは少なくなったような気がする。
 昨日知人から櫂が文藝春秋に熊本から来た彼の母の事を書いてると知った。それをブログにされている方あって。今日コンビニで、立ち読み。「お、そのままだ」と思う記事だった。それは『文藝春秋8月号』79p~81。彼の新聞社退職を知ったのも別の新聞社の記事からだった(親も記事で息子の退職を知ったそうだ(^^;))し、消息を知るのが直接でなく公の紙面であることが面白い。元気でなによりだ。この雑誌他の全く関係ない紙面も楽しめた。それにしても暑い。35度だ。こっそりクーラーでもいれようか。贅沢といえば、ご主人様に内緒で「オツホン!、ウナギを買ってきた」今夜のご飯は数年ぶりの本物のウナギだ。こんな衝動買いもきっと暑さのせいだと許してくれるかな。「もうああたは・・うちにはお金がなかつばい」って言うだろう。
<地震>104日目の地震ゼロの反動か、今日は熊本で6回もあった。全部震度1だけど。安心はまだまだ出来ない。
<小バエ>
小さな蠅がいっぱい家の中にいる。猫の餌にたかっていて、餌用食器を直ぐに洗うと猫は不満そうだ。最近はご飯を食べる場所から動かない。せめての抵抗のつもりだろう。朝も必ずご飯ご飯と午前5時~6時には来て起こす。迷惑な猫だ。我が家の老猫は猫年で還暦を過ぎて排泄場所を覚えた。(玄関の箱だ)。お客さんは臭くてたまらない。すみませんねといつも謝らなければならない。前もって分かっていると外に猫用トイレは出して置くのだが、間に合わないことが8割だ。外にトイレを置くと老猫は落ち着かず、あらぬところが便所になってしまう、猫が若い頃は、洗濯物を取り入れた籠にやってしまうこともあった。これは何度洗濯してもその臭いがくっついてきた。外出先で気づくと最悪だ。・・猫を外に遊びに出すと外では我慢して家のドアが開くとさっさと玄関内の猫トイレにしゃがむ。なんてこった。外でオシッコもウンチも出来なくなったようだ。困ったなあ。(こいつが小バエをお供につれてくるのだろう。)

<趣味>無線ほぼ全滅だ。7Mhz以外声が聞こえない。昨日クマデンで手に入れた中古のSWR&Power meterをIC7600に付けてテストしたが、本体と外付けのSWRがズレていることに気づいた、うまく下がっていたと思っていた24Mhzは全く下がっていなかったのだ。これでは飛ぶわけがない。本体のSWR計だけに頼らずに時々外部でチェックが必要だ。夜7時過ぎに7MhzのRTTY(ラジオテレタイプ)でいわき市50周年記念局8N7Iと交信。4mH逆Vに15W出力でも簡単に飛んで行く。SSBでは考えられない。(無線機の上にあるのが衝動買いのSWR&Powerメーター)

<放射線>
20:00  0.11μSv/h
20:15  0.08μSv/h
 2016年7月28日(木)  暑い1日を家の中で過ごした。一日本を読んでいたかったけど暑すぎた。36度の机の前で、息をしているだけで汗が落ちる。仕方ないのでネット検索しているうちに右欄に紹介しているブログに出会った。考え方が素晴らしい。読んでいて衝撃を受けた。
<地震>16時40分頃八代で震度1。・・・しょうが無い日記続けるとするか。
 今日はあるブログにたどり着いた。モノディアロゴスという南相馬の佐々木孝さん(哲学者)のブログだ。著書に「原発禍を生きる」など。
<放射線>
17:30  0.08μSv/h
17:45  0.12μSv/h
 2016年7月27日(水) 震災以来104日にして初めて地震が24時間なかったと熊日の新聞記事になっていた。それでも今日は既に3回、震度2が1回、他の2回は震度1だった。そう簡単に降参するはずがない。3日震度ゼロが続けば私の震災日記は終了にするつもりだったが、そうはいかない様子。
 今日も猛烈な暑さだった。車を運転中(右)に室外では37度Cとフロントのデジタル温度計が示していた。汗がタラリタラリと垂落ちるので助手席には手ぬぐいを置いている。それで信号の度に額の汗を拭いている。四季の中でも夏は好きだが、度を過ぎた夏はちょっと疲れてしまう。昼間1時から4時までの外出の間は、車の冷房は欠かせない。家に帰ったら冷たい氷水がうまい。
 夕方の散歩道で陽の入り(左)が少しずつ早くなっているのを実感している。田んぼを眺めると今水が入ってないところが殆どだ。生育状態で暫く水抜きをするのだとうか。素人にはこれが不通なのか水不足なのかが分からない。(一番右端)
 今日は衝動買い3件。イオンモールでUSBハブ端子、雑誌、無線のクマデンで中古のSWR計。雑誌以外は使い勝手よし。
 <趣味>今日は趣味での成果はゼロ。暑くて呼ぶ気もしない。といいながらも、50MHZで練習のつもりでRTTYでCQを出すも誰からも応答なし。7MhzではPSKの交信をしていたのを狸ワッチしていた。そのPSKではカナかな漢字英字混じりで普通語の交信がされていた。私は免許では機器依存のためPC外付けは申請してないので和文は扱えない。だがPC経由で交信するととても便利だ。そのテキスト文を使えばそのまま新聞など編集できるから。ネットでの普通語のメールと同様に便利に使えるぞ。
<放射線>
21:30 0.08μSv/h
21:45 0.11μSv/h
<小説 第三弾>今日から書き始め・・まずはおさわり部分だけ・・「一身上の都合につき」・・その後8月中にUp予定。いまいちならUpしないかも。
 2016年7月26日(火)    猫昼寝 真夏の影は 車輪の下

 危うい・・運転手が気づかずに車を発進させたら哀れ、猫生も一巻の終わりだ。
ヘルマンヘッセ「車輪の下」という作品がある。中学生の頃読んだ記憶があるが、周りから期待されるほどの優秀な青年が・・社会と存在する自らを考えすぎ,落ち込んでしまう。最後は哀れ。こんなことは現実世界には沢山ある話だった。猫は前後も考えず。人は前後を考え過ぎて。

<地震>熊本では18:15まで揺れゼロ。代わりに島根県、沖縄で震度3と2が発生。
22:28今さっき日向灘で震度1。熊本はもしかしたらゼロを記録するかもしれない。(^^;)
写真は本日夕方の散歩道にある天明新川 時々大きな鯉が往き来している。陽が傾く18時半頃に耳のbluetoothのイヤホンをはめて、i-phoneをシャツの胸に入れて大きな音で中島みゆきと小椋佳、ダカーポなどの曲を順繰りに聴きながら川面を眺めていると突然大きな輪がいくつも出来て大物が顔を上げてすぐ沈む。この1年のお気に入りは中島みゆきの「相席」・・この曲が散歩の最後に聞こえてくると家が近くなる。お客のことに無関心なマスターが出てくる。すーっと聞き流せる歌である。

<趣味>
相変わらずRTTYを突き詰めていくのだが、タイミングがなかなか難しい。ちょっとコメントを入れていると相手からは「サヨウナラ」を言われて置いてけぼりになってしまう。まだまだ慣れないなあ。呼吸がつかめない。
本日の収穫 7MHzで夕方15wの出力.と4mHのIVアンテナにてお互い599で東京・練馬区の局と交信。前回は28MhzのSSBだったが、今回は7Mhzでは初めての文字通信だった。度胸をつけるために、明日もRTTY/PSK修行の旅に出るか。メモリーには70文字✕8chあるがこれを有効活用すればキーボードで手入力はコールサインくらいになるか。
<放射線>
22:30  0.10μSv/h
22:45  0.13μSv/h 
 2016年7月25日(月)   朝から大正13年生まれの母の精密検査に付き添う。病院内で落ち合ったが手を握ると平熱みたい。毎日午後3時過ぎから38度以上になるという。
受診した病院は5年位の新しい建物だが外壁に罅がはいっていたり救急室壁(写真)にも罅があった。
 レントゲン室は一般3つCT,MRI室、マンモ室があって。坐位で胸部写真を撮ったあと、採血と尿検査。それから抗生剤の点滴と続いた。Drの診察で、モニターに写った胸写は心臓がやや大きく、右肺下肺も、左肺もやや汚いがはっきりとした肺炎はなさそう。全てが終わったのは1時半。特養の看護師さんも朝からずっと付き合って貰ってとても申し訳ない。その結果、当面は施設での投薬継続で様子みることに。尿路関係も治りかけみたいだった。食欲だけは相変わらず(テスト用のプリンもぺろり)・・ 遅くなった食事は不知火の道の駅でたっぷり海鮮丼を食べた。2時半に移動開始、。途中買い物をして自宅へ
それから私自身の定期受信で市内のかかりつけ医を受診した。クスリを貰って帰ってきたのは午後7時20分。という訳で少し忙しい1日だった。

<地震>今日は熊本は、4回揺れたうち1回が震度2、伊豆半島は震度1が1回と落ち着いている。(19:45現在)
 <構想 >何を考えるのも自由だ。それを言葉に出すから不自由になる。私は生まれながらに我が儘で、人に気を遣うのがとても苦手だ。常識が無いことがこんなに息苦しいのかとずっと思ってきた。言葉さえ親兄弟友人らとまともに通じない。嫁や子どもでさえ言葉の向こう側はまるで異星人のような存在である。(たぶんお互いに)職場の会議でも通訳がついたほどだ。インタプリタが善意に解釈して呉れるならよいのだが、勝手な解釈されると正反対の事柄になってしまうのである。本人が発言したことだけどそれは責任の取りようがない。だからその仲介の存在が、かえって私の不満を大きくしてしまう。私は分かっているのに誰も分かってくれない。だから私の知らない人々との集団行動はなおさら苦手になる。不満を持ちながら、そんな内面を欺いてよく長い人生を生きてきたものだと我ながら感心している。そんな小説を8月は書いてみたい。どうせ読者はいないんだ。私なりに楽しんでみよう。真実があったりなかったり、そんな構想を考えているだけで楽しい。明日も暑くなるのだろうなあ。

<特に趣味もやらず>
ビールグラスにいっぱいの氷。中にアルコール40度のマッカランを注ぎ込みチビリチビリ嗜みながら、2階の窓から入る風を頬に涼を感じながら私の夕べが更けていく。今日は7月25日。真夏の空電ノイズの多い3.5Mhzのモールス符号に耳を傾けながら、少しずつ酔いがまわる宵である。明日は友だちの見まいに出掛ける。ちゃんと起きれるかな??毎日日替わりのように親や友だちの病気・怪我という・・私の付き合いの範囲が狭くなってきた。昔はよかった.何もなくてよかったなあ。みんな。

<放射線>
19:45   0.09μSv/h
20:00   0.08μSv/h
 2016年7月24日(日)  今日は朝から訳が分からないが胸騒ぎがしていた。未明から伊豆大島近辺の地震が多く、昼前には北海道十勝で震度4,昼過ぎにはやはり伊豆で震度3が・・ついさっき13時57分にあった。関東、北海道も心配だが、熊本でまだ揺れてないことも心配。14時3分現在熊本の揺れゼロ。八代方面大丈夫かなと心の中はモヤモヤしている。何事も起こりませんように。と願う24日のひるさがり。蝉が鳴いて緩やかな風が吹く田園の中でノイズだらけの無線機の音を聞いて突然のRTTY(ラジオテレタイプ)交信成功の直後。・・・ 携帯への電話 母の入居中の特養からだった。「熱発していますが」、「どうしますか」「このまま様子みますか」「大きな病院で検査しますか。もしかしたら入院になることもありますが・・どうしましょう」という電話だった。朝からの胸騒ぎはこれだったのかもしれない。

・・・・・<その後18:52からの追記>・・・・・
電話を切ってすぐに特養に行ってみた。テスト用にプリンも買った。3個140円。その1個を夕食前なのに「食べるね」というと「うん」というのでそーっと口に持っていったらぱくぱくと食べた。”食欲はある”と少し安心。全く受け付けないならとても心配だった。明日一緒に病院の精密検査に付き合う予定。帰り道に実家を開放して湿気取りをしてまた熊本の実家に舞い戻った。が・・家まであと2,3分のところでラジオが地震速報、八代で震度2の地震(18:01)という。熊本では今日初めての地震だった。まんざら胸騒ぎ=空騒ぎでなかった。やはり根拠のある一つは肉親のもう一つは自然への二重の胸騒ぎだったのかもしれない。それでも伊豆大島が心配なのは何の根拠だろう?。写真は母が入所直前まで暮らした家。6月末に草刈りしてもらって7月また青々と茂ってしまった雑草田。手前は自動車がカーブの草で対向車が見えないということで刈られていた。手前だけでなく遠慮なく全部刈って頂くと助かるのだがなあ。

<地震>伊豆半島がらみで14回も揺れている。震度3が三回も。十勝でもあったが、熊本は夕方6時過ぎに震度2が1回あったのみだ。(19:15現在)
 <読書>
何か気にかかることがあると進まない。ずっと進んでいない。母の様子を見て実家を開放して居る間に1976年の「CQ ham radio」を読んでいた。厚みが今の倍あって、その広告のページにも夢があった。なんとか自動車の室内アンテナという広告があって、駐車場で折りたたまないでもよい。無線やっていると誰も気づかない。そんなメリットが書かれていて、車全体がアンテナになるという。今は昔、もうそんな会社も広告もない。
 わくわくするような製作記事もあった。部品販売では真空管もトランジスターも沢山あった。だが今はもう殆どない。あの頃。私は社会人2年目23歳頃だった。まだまだ私の給料では手に入らない憧れの物がこの雑誌の至る所に詰まっていた。コラムも夢のようなことが書いてあった。バブルの影も形もなかった時代。あの頃からずっと読み続けているが、マジックのように夢が薄くなっていることを痛切に感じてしまう。同時にCQhamradioの製作記事自体が薄っぺらになってしまったような気がする。アマチュア無線家の手作りを封印するような法律も先行して成立している。その一環か電信実技を試験から外し2級アマチュア無線技士まで養成講座で取得できるようになった。このように国家試験を安易にして、メーカーの製品を押しつける(販売経路拡大)思想も益々衰退化を早めている。
アマチュアらしさの根本と牙を抜かれた趣味に若者が興味を持つことはなくなるだろう。そうして、いつか消滅する趣味かもしれない。・・と危惧するというのが今日の読書の感想だ。


<趣味> 写真はPSKの練習画像
RTTY ,PSK31のメモを書き換えた。キーボードでメモリー送信までマスターした。あとは交信相手を探すだけだが今日のコンディションはノイズばかりだ。さて第一号は何処の誰になるかな。楽しみだ。と書いた。
 その後チャンス!!14:22 21Mhz に登場したJE6BPK/6Taroさん(御船移動)と初めてRTTYでのQSO、感激してしまった。やったぞRTTY(IC7600+keyboard)私にとっての第1号だ。!(^^)!バンザイ


<放射線>
19:00  0.12μSv/h
19:15  0.08μSv/h 
19:30  0.12μSv/h
 2016年7月23日(土)  朝から34度、午後には35度になった。ボーッとする暑さ。八代から次女一家が孫連れてきた。
孫元気で動き回る。
追い回される老猫が可哀想で外へ出した。帰ったあとはのんびり寝そべってしっぽをパタンパタンと打ち下ろしていた。
 午後6時20分、陽射しが少し緩やかになった頃に近所を徘徊。公園の草刈りが済んでいてやっとブランコに近づけた。一漕ぎしてまた田んぼ道へ。一つの田んぼに水がない。細い苗がユラユラと風にゆれていた。もしかしたら水が貯まらなかったのだろうか。他の田んぼはすくすく育っていたのだがどうしたのだろう。震災後遺症か? 夜は保育園の近くで花火をやっていた。
<地震>
熊本では3回、八代方面で震度2と震度1,西区で震度1,他県ではオホーツク、沖縄、岩手沖で揺れていた。
 <読書>
文学界8月号 連載の伊藤比呂美の 切腹考第11回にアメリカでの旦那の死と熊本地震の2回(14日 16日)の震災での現地とのやり取りメールなど現実味のある話が載っていた。

<写真左は・・昨日の夕焼け>
 一度太陽が沈んだあとに綺麗な夕焼けが現れた。あちこちを赤く染めていた。私の顔も赤く染まる。最近夕陽や夕焼け、青空に浮かぶ雲などを眺める機会が増えてきた。歳のせいだろうか。無意識に西方浄土(サイホウジョウド)を臨んでいるのだろうか(^^;)
・・=人間界から西方へ10万億の仏土を覗いているというのか。

<趣味>
 本日は愛媛、奈良、東京とSSB2局、電信1局と交信、そして超近距離の同じ町内で約500mの局とやっと交信できた。道路からは見えにくいが首を曲げてみると見える6丁目のタワーの持ち主の一人だ。21MhzでSSTVをローカル局とされていた交信終わり頃に呼んでやっとつながった。これで近隣の局とほぼ挨拶が終わった。
 孫が帰った夕方からRTTYの送受練習して、なんとかマスターした。IC7600のメモリーを幾つかを使えばなんとか交信は出来ること。あとは手動でキーボードで送受はF12を使うことでよい。近いうちに初RTTYが出来るかも。マニュアルがとても読みにくい。

<放射線>

21:30  0.12μSv/h
21:45  0.13μSv/h
 2016年7月22日(金)  今日は朝から西原村商工会のGP申請の学習会に行った。なかなか大変そうな手続きを、陸前高田で経験された方の話を聞いてきた。
 その後、山小屋で湿気取りのため開放。私は瓦の補修、瓦の在庫ある5枚限りの限定で雨漏りが激しそうな瓦を選んで交換した。まだまだ瓦が100枚くらい足りない。・・夏の屋根は暑くて、割れた瓦を取りだそうとすると、火傷しそうになる。時々休息に降りて、水を飲むが独りではなかなか大変だ。まあボチボチとやっていこうかと思う。今日の作業終わったら・・汗ダクダクだ。
 最後に覚悟を決めて水風呂に飛び込んだ。とても冷たかった。昔は川で泳いでいたんだからと思うが、冷たい風呂は格別だ。宮原の氷川で泳いだ思い出が浮かんできた。あれはもう50年前、深い所へは怖くていけなかった。水の冷たさでは氷川が勝っていたかも。作業の帰り道には浮島神社に寄って帰った。お賽銭は123円「なんさま何事もよい事ばかりでありますように」って焦点の定まらないお願いを祈ってきた。
<地震>やっと少なくなったと思ったが今日は19時現在で4回揺れていて震度3が13:22分に御船であった。丁度屋根の上にいたのだが西原までは揺れなかったみたいだ。危ない危ない。天草灘でも1回あっていて、メインの断層周辺からその周辺の郡部に移動しているような感じだ。
 嘉島にある浮島神社は震源地に近い(写真左右)
だから、あちらこちらが壊れて最近まで復旧工事をしていたそうだ。入り口の鳥居は壊れてしまった。
 今日の目的は次女のお産の安産のお札を貰いに行くことだった。

<趣味>
無線やる時間なし

<放射線>
18:45  0.12μSv/h
19:00  0.14μSv/h
19:15  0.10μSv/h
19:30   0.15 μSv/h
今日は少し高いかな。
午後7時半夕陽が沈んだあと周囲が赤く染まってすごい夕焼けだ。
 2016年7月21日(木)  嘉島のイオンモールが昨日再開したとのことでどんな具合に回復したか、様子をみたくて昼から出掛けてみた。
 新聞では西館がまだ閉店中で映画館を含んで暫く本格的な工事が必要だとのことだった。震災以来本屋さんが近くにないので困っていたが、再開した蔦屋は相変わらずだった。そこで本を一冊購入。
 その他2Fのフードコートなども震災前と全く変わらない。1Fでは店舗が変わっていたのは陶器類を販売していた場所で食品が売られていた。震災前後でさほどの変化は感じなかった。平日の午後4時だが(右写真)多くのお客さんが来ていた。ゆめタウン田井島がまだ開店していないので熊本市南部の大型ショッピングセンターは当面このクレアが賑わいそうだ。駐車場も所々アスファルトが新しくなった部分があった。西側の駐車場が使えないため見える範囲の駐車場は、ほぼ満車だった
<地震>熊本での揺れば2回(震度1)だけ。
20時16分の地震は熊本を震源としてるけど宮崎との県境、そして揺れたのは海岸沿いの宮崎県  の川南町川南が震度1だったみたいで、震央と揺れた先が離れているのはなぜだろう。茨城、千葉、岩手の揺れが続いている。(右:気象庁HPの写真から)
 <氷が救いのこの暑さ>
 2階の机で、じっとしていても暑い、動けばさらに暑い、田んぼの上を流れてくる西風や南風が窓から入るのを頼りに顔を向ける。すーっと汗が引く。風が止むと又蒸し暑くなる。我慢出来なくなると冷蔵庫へ自然と足が向く。氷水をグラスに入れて顔の周りにくっつける。左右から半回転!あー気持ちよい。疲れ目にグラスをくっつけると、こりゃ幸せな涼しさだ。
 そうやって溶かした氷水がまた喉を冷やす。ああ夏は氷あるだけでもうサイコー
<趣味>
21Mhzで沖縄那覇市の局と電信で交信。久しぶりの縦ぶれ電鍵での本番、しょっちゅう訂正~ばっかり送信していた。使わない物は退化する。電信は6月28日の50Mhzでの北海道移動局以来だ。たまには電信打たなきゃって思ってしまった。安易な方へ流されるばかりだ。今日は1局の交信で終了した。
 IC7600のマニュアルをやっとRTTY(FSK)の使い方を読み始めたところだ。実際にUSBキーボードとメモリの使い方を字面を目にしただけだ。実践でやってみたいが、知り合いとモニターしながらちゃんとうまく出るかを確認したい。

<放射線>
21:00   0.08μSv/h
21:15   0.12μSv/h  
21:45   0.10μSv/h
 2016年7月20日〔水)  昨日から関東での地震多い。頼みの東京が地震でやられたら大変だ。東京オリンピック大丈夫かいな?昨日の椋平虹がそれでなければよいのだが・・・

今日は今から西原村の山小屋のブルーシートの点検に出掛ける。・・午前9時半
やはりめくれていて、ブルーシートやり直し1カ所。雨漏り箇所の点検と割れた瓦の入れ代え1カ所。妻は花壇の手入れ。薔薇がまた虫にやられている。虫にも食料事情があるかもしれないが、他の雑草などの葉っぱを食べてほしいものだ。そうすると雑草取りしなくてすむんだがなあ。 帰りは地震がらみで西原村役場と商工会に寄って帰る。暇そうにみえるけど結構忙しいのである。
(写真左 は山小屋のすぐ下の牛舎:日時を経てさらに壊れている)
 帰り道は益城を通って帰ったが、斜めな住宅はそのままで、まだ撤去作業も手つかずが多い。
<地震>岩手、茨城が揺れている。駿河湾も揺れて関東の危なさが少しずつ出てきて不安もある。東京オリンピック大丈夫かなと思う。熊本は山鹿方面で震度1が1回、夜になって不知火で震度1が1回 計2回
 (写真は今日7/20の夕陽 19字時撮影 明日は天気よさそうだ。温度33度C,湿度66%蒸し暑いけど風が時々はいって気持ちよい。
 あっという間に1日が終わった。前後の政治情勢からはじまって
<読書>
『あっぱれ啄木』著者 林順治の"あとがき"に2011年の大地震のことが綴られている。杉並の区立天沼博物館で上映されていた津波来襲の映像についてかたっている部分、撮影者への取材とその場と関係なさそうな啄木の関わりがあるのが面白い.
 明治29年(1896年)大津波では2万7122人の死者と被害家屋8891戸を出した”明治三陸大津波”のあと明治33年啄木らは同級生らと気仙沼、大船渡、三陸町、釜石を十日間旅をしたらしい。松原には啄木の「いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指の間より落つ」という高田松原の歌碑が後に残された。2011年3月の大津波でたった一本の松の木を残し数万本の松が消失した。と同時にこの歌碑も流されてしまった。巡り合わせの偶然。そのあとは津波の犠牲者を記憶するため、歌を変えて「頬につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず」という歌が祈念公園に残されるらしい。

<趣味> 今日は21Mhzのコンディションがよい。その割に交信できず、夕陽が沈む頃十日町市の局と交信。その後も関東(神奈川県平塚市)と九州(太宰府)の車載機同士のモービルQSOを耳を澄まして聞いていた。アンテナの工夫が役に立つ。
<放射線>
18:45 0.08μSv/h
19:00 0.11μSv/h
20:20 0.12μSv/h
 2016年7月19日(火)   今日は転んでもタダでは起きないXipoci小説の完成日。つまらないものに19日も費やしてしまった。前回は10日だったから、少し雑事が多かったかな。飲み会も2回あったし復興ポイントの旅もあった。
 今日は暑くてたまらなかった。午後2時に新聞作りの打ち合わせ。帰りはあちらこちらに寄って結局、夕方の散歩の時間になったので勿論革靴で田んぼ道を散歩、風が涼しい。木部公園の上空にはまっすぐな飛行機雲。
 田んぼ道には「あれが椋平虹」(右)かと想像する虹の切れ端が浮かんでいた。(詳細「Eq]の中にある)・・次は何時何処で揺れるのだろうって分かれば気象庁はいらないか。

<地震>特に体感地震はなかった。
未明に3回、うち1回は宇土・松橋で震度2,午前8時台まで震度1が2回
他県では茨城、千葉、青森で震度3~4
福岡でも震度1があった。今日もあちらこちらで揺れている。
 まだ日記が終われないでいる。
 <Xipociの小説>
  震災後の駄作第二作 小説 「Eq]本日発表・・・誰も期待してもいない自然災害小説。舞台は九州のある村、地震当日から3年後までと言いたいのだが、「当日と3年後」最後の最後に、”なあんだ!”というワザと素人タッチの作品に仕上がった。(^^;) ・・というが”中途半端”はXipoci の独特な作風なのだ.・・upしたあとに
読み返すと悟の妻の名前を小百合から百合子に改名したはずが反映されてなかった。(>_<)あの小百合さんより百合子さんが庶民的だなって思いながら時々2つの名があったりして訂正。
 震災後 第一回目小説「CU AGN]も付録でついでにつけておこう。
 (いずれもpdf版 iphoneyaipadならiBookで読める。ゆっくり寝転んで読むためには、印刷ならB5用紙対応版 A4用紙しか手元にないプリンター詳細で用紙サイズを変更してみて
◎反響がない分これはいけてるのかなとXipociは思い込む。(^_^;)。次は楽しいのを書くつもりだ。
◎ダウンロードは下線のある作品名の文字列をクリック。
<趣味>
昨日10局という大量交信だったので、今日はお休みした。明日からまた頑張ろう。RTTYの練習からだ。

<放射線>
 21:00   0.11μSv/h
 21:15   0.12μSv/h
 2016年7月18日(月)   3ヶ月前に この家の住民2人を震災で助けた老猫チャメ・・最近食欲旺盛。暑いので洗濯したあと少し加齢臭が少なくなったが、家から一歩も出たがらない。暑くてたまらないのだろう。床の間の飾りになっている。
<地震の影響なお続く>
 同じ地域の近所の家でも半壊の判定が数軒あったことを聞く、全壊と半壊は結構身近な場所に及んでいた。傾きや外見では分からないが内壁や風呂場などの破損もあったようだ。
大きなショッピングセンターが地震の被害で閉店しているので買い物がとても不便になった。映画館も開いてなく、本屋さんも知ってる所は2軒閉まっている。相当な被害があるのではないか。そこで働く人たちも生活が大変だ。<地震>本日の揺れは熊本では2回✕震度1だけ。やっと梅雨があけた。しばらく洪水はお預けになりそうでちょっとだけ安心だ。
<読書>この暑い中、三島由紀夫の「美しい星」をチラッと眺めた。綺麗な文章だがSF的設定で家族が何時のまにか自覚を始めて異星人代表みたないな目で地球を眺めていることにある日気づく。・・意外に知らない世界のことも・・宇宙人が気になっているのは人間の気まぐれだという。へんなことに感心する宇宙人的「思想小説」・そんな構成に少しびっくり。複雑な構成を綴る文字列は次第に私の睡魔を誘う。さすが宇宙人的小説。睡眠薬よりよく効く。

 <趣味>IC7600で直接RTTYが送信出来るので、変更申請していて免許された。しかしUSBキーボードが合わずに電波がずっと出せなかった。当初880円のYamada特性のキーボードYKB109c1を繋いだが認識しなかった。それで今日はベスト電器ゆめタウン店で1450円も奮発してBUFFALOのUSBキーボードを買ってきた。それでなんとかうまく接続できた。570円の差は大きい。IC7600でのRTTYのやり方の練習。メモリーなど便利物の使い方をマスターしたあとに空にでないと勿体ない。今日は北海道から九州まで10局と交信。
<放射線>
20:15  0.09μSv/h
20:30  0.09μSv/h
2016年7月17日(日)
 今日は妻の車の車検に付き合う。明日までかかるようだ。その後城南の市立図書館へ行って貸し出しの本を選んでいたときグラグラと揺れた。震度2くらいか。家に帰って確認すると11時55分頃:豊野で震度3、城南は2だった。大体体感で震度がわかるようになった。3ヶ月も一区切りだが揺れはなかなか収まってくれない。
 写真は7月17日の夕暮れ、左下に普賢岳が見える。西を向いた普賢岳、東を向いたら阿蘇山、市内の高台には金峰山。それぞれ火山の仲間だ。時としては自然の脅威に囲まれて生活していると感じるが、普段は人間の生活を潤ししてくれている。それぞれの近隣には温泉が湧き、水も豊富だ。だが 恩恵ばかりでなく、しっぺ返しにも用心しておかなければならない、この地震で阿蘇のマグマ溜りはどうなったのだろう。大丈夫jだろうか?

<地震>
熊本では3回、震度3✕1、震度2✕1、震度1✕1。他県では茨城県南部で震度4,石川県、秋田県、遠州灘などあちらこちらで。
 夜空の月を見ながら本を読む。シリーズ牧水賞の歌人達Vol7熊本御船町七滝生まれの河野裕子(2010年64歳で死去)を特集した本だ。これまで短歌なんて目にしたこともないが、読めば俳句より分かり易いかもしれない.。なんて書きながら無知の読書は、添付のエッセイと写真集眺めが中心だ。さて本題の中では・・・・
 今死ねば今が晩年 あごの無き鵙のよこがほ西日に並ぶ
 言語中枢のたりくたりと引っ張りて現れ出づるぞやっとなあやっとなあ
 のりしろをいつもはみ出す糊のやう、ああめんどくさいこの人の電話
 ・・・など 身近なものを拾い読みして その結論は、馬鹿に過ごしている時間を大事せねばという感想。明日はもう少し賢い生き方をしないと時間切れになってしまう。「時間が足りない私の時間が」

<趣味>埼玉県入間市の局と交信して終了数分経過、周波数をそのままにして他の事をして暫くしていたらさきほどの入間の局が「今地震で揺れている」と次の相手局に声をあげていた。5分後気象庁のHPをみたら13:24震度4、マグニチュード5という情報。日本どこにいても安心出来ないなあと思って聞いていた。

<放射線>
22:30  0.12μSv/h
22:45  0.07μSv/h    
  
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