ソビエト連邦ハバロフスク・モスクワ・中央アジアの旅 (1979年 XИPOCИ 25才水俣時代の頃)


ロシアに行く前には半年ほどロシア語を勉強したつもりだったけど。今ではサッパリ覚えていない。
職場は水俣時代;ケースワーカのYさんと通ったロシア語の先生は元小学校の校長先生で定年されて上智大学のロシア語科に入学され4年で卒業された優秀な先生でした。
すっかり36年前の記憶がなくなっています


こんにちはヒロシさんから始まっているエアメール; 家族写真は省略しましたが、便りにある8才のレーナと2.5才のバエシナの2人のお子さんももう既に36年経過で44才と38.5才で立派な
大人になっているかな。1980年西洋諸国がボイコットすることになったモスクワオリンピックのコーチとしてアエロフロート国内線で移動途中の方でした。
片言のロシア語と片言の英語で、帰ったら文通しようと別れたのだが。・・メールはすべてがロシア語であった。勿論私からはロシア語は手が出せす返信は英語とあっていつの間に
かフェードアウトしてしまった。(この画像に覚えがある方から連絡頂けるかも)
私も生まれて初めての海外旅行とあって思い出に残る旅でした。あのころ中央アジアのウズベキスタンもタジキスタンもソビエト連邦でしたが、現地ではソビエト併合前の国がよかった、今の
国はつまらんと老人のつぶやきを聞きました。40年近い年月を経てまたそれぞれの国に独立して新しい国づくりが始まっています。