2016年4月14日から熊本は地震が続いています。  本日の訪問者 昨日は
       熊本大震災日記 xipoci版 Vol 2  その総合版はこちら    <2016年4月16日未明の地震で私が寝ていたはずの部屋・・タンスがごろり>

  このページは2016年5月14日~6月16日版

この日記が続いていたら地震が収まっていない証拠: もし突然途切れたら パソコンが壊れたか、電気が来ないか、他のインフラがこわれたか、私が壊れた時です。

  震災直後編vol 1 2016年4月16日~5月13日の日記帳   vol2 5月14日~6月16日版はご覧です  vol3 6月17日~7月16日版   vol4 7月17日~8月16日版 vol5 8月17日~9月16日版  vol6 9月17日~10月16日版
                                                
vol7 10月17日~11月16日版        vol8 11月17日~12月16日   vol9 12月17日~最新はこちら

                       

 * Xipoci→Хиpocи=ヒロシ  昔ロシアを旅する前にロシア語を習っていたときやっと書けた私の名前、でもそのときスペルにиの文字がなく仕方なく発音記号<i>に代えた私だけの造語です。当時片言の文通はフェードアウト
 2016年6月16日(木)  西原商工会の案内を見ていると震災に関してのワンストップ相談会を明日の午後まで西原村でやっているという。お金もないので屋根の修理やら井戸の復旧駐車場ブロックの壊れた部分の補修をどうしょうと頭が痛い中、店舗復旧のためにもし一部でも補助金でもあればカフェの再開が前進するということで相談会に行くことにした。
 親切な対応で、西原の商工会に入会しているのでそれを活用してグループとしての一店舗として参加してみようかと決めたところ。相談会会場では10分くらいの内容で、詳細は商工会に問い合わせして、グループ助成についての説明会が来週あるようで連絡をお願いした。
雨の中 ついでに山小屋まで行って、草刈りをお願いしているので、草と花の区別してきた。全て刈り取られることがないように。(^^)/でもまだ西原村のシルバー人材センターの登録者も被災者なので余裕が出来て時間あるときという条件でお願いしている。あっという間に草ばかりの山小屋になっていた。自然はすごい。
<地震>
今日は突然の北海道震度6弱にびっくり。その前後も揺れている様子、あちらもこれ以上の被害がないことと早く収まることを祈る。今日も熊本は6回揺れていたけど、北海道に比べてもそれぞれ小さいものばかりだ。
 今日で熊本大震災本震2ヶ月目・・西原村の山小屋の下まで水が届いていることを確認。あとは水溜までの延長と、天日(太陽光湯沸かし器)除去後の処理を水の専門家にお願いしないといけない.。また忙しくなりそうだ。
 ガソリンがまた上がっていた。ちょっと前まで105円程度が割り引きを使って111円(表向きは5,6円高い表示)これから上がることには不安を感じる。同時に円の価値も上がっていたが103円とか。もしかして100円になるのかな。でも必ず下がる運命にある。今ドル買ったら儲けるかもしれない。・・ドルもユーロも・・それほどヨーロッパ(イギリスのEu離れ)の不安があるのかな。23日の投票の行方を注目したい。

<小説>未完成のまま1P追加しただけ。あとがきまで有りながら・・日常のやるべきこと多く小説大筋までも辿り着いていない。気長にのんびりと・・「CU AGN(pdf版)」 ・・あちこちに矛盾を含みながら試行錯誤中 明日も努力予定。

<趣味>特に成果なし。ノイズは昨日より少ない。

<放射線>
21:15  0.08μSv/h、  21:20  0.09μSv/h

写真 南区の庭のバジルに白い花が咲いている。卵焼きにバジルの葉っぱを入れるとまた違った香りと味がする。
2016年6月15日(水) 朝から曇天。夜中に蚊に刺されて睡眠が浅く困る。朝には蚊はどこかで寝てるのか目立たず。蚊取り線香ももう慣れているらしい。あの煙を吸ったら当の人間が弱る気がする。夏は蚊や虫、駐車場の遅くまでのエンジン吹かしに悩まされる。震災後の道路工事の音も朝からやかましく、いつも何かに文句言いたくなる。不眠だからゆっくり寝せてくれよ・・と。
<地震>
 朝3時に1回、11時台に2回の地震記録だけ。昨日より少ないとよいのだが。まだ揺れ足りないのだろう。と書くと揺れが加わる・午後10時現在の揺れ6回+あと1回程度だろうか。まだ収まったとはとても言えない数だ。明日もがんばろう。

<写真>
 今日は熊本市南区では田植えがブーム。田んぼの水面が水で溢れ、カエルがやかましく鳴く。6月の中日で明日は雨日和。適当な雨で うまく稲が育つといいが。
<小説> 未完成ながら アップ

午前中無い知恵絞りを行うも成果なし。午後からクマデンなどに行ってブラブラ中古の出物を見学に。

小説「CU AGN]試行的アップして訂正も

 同ファイル名で明日更新予定。勿論あとがきは完成前に書いてある・・出来たあとのことを先に考えているのだ。
 
<趣味> 
 11時30分頃、微かな揺れでベッドの横に敷いた座布団から飛び起きてPCの前に来て震度を確認。不知火と豊野が震度2とのこと。ついでに無線機に手を伸ばして18Mhz で広島安芸郡熊野町移動の局と交信。近距離は珍しい。ノイズは相変わらず多い。昼からは21Mhzで沖縄県と山梨県と計3局と交信した。水面反射が嬉しい季節になった。

<放射線>
20:45 0.10μSv/h、 21:00 0.11μSv/h
 2016年6月14日(火)  時間間隔が麻痺してしまったようで、今年は春らしい春を体験していない。
 震災直後から走り回っていたから自然を眺める余裕もなく、やがて夏至を迎える。今日は一連の熊本大震災の始まりから丁度2ヶ月。今朝の新聞にはまだ歪みが残っているというかさらに歪んで地震確率が八代日奈久から不知火海側で高くなっているという記事があったから小心者はさらに心配を深める。八代には娘がいて2歳の誕生日を迎える息子にまた9月には兄弟が出来る予定だ。大丈夫だろうか。
 夜の会議まで自由な一日・・2階の窓を開けると微風がすっと入ってきて・・床に横になっていると気持ちよい。冬の寒い夜は10時過ぎに大学から帰ってきて、2度目の夕食を食べ風呂に入って午前1時過ぎからのパソコン入力はずっと横になった状態が多かった。畳に布団を敷いて亀のように布団から首を出して、レポートを書いていた40代を思い出す。あれから20年・・今横になっったらまぶたが閉じるだけ・・もう自由なのだから眠くなったら午睡でもよいのだが気が引けるのはなぜだろう。ああ贅沢な時間だ。あ・・夏に冬のことを思い出してしまった。ニュースによると今日から原発20km圏内にある川内村で避難指示が解除された。完全に汚染がなくなったわけでなくコンクリートに同化した放射能もあって、子ども達は大丈夫だろうかと心配だ。国は私と同じくご都合主義者(オポチュニスト)。だから眉に唾を付けて事態を見定めるべし。
 地震は熊本県内で震度1程度だけが3回・・とても少ない・・またそれが心配にも。
 一昨日の 6月12日で一通り家族への責任は終わった。残された余命、は、自分の好きなことに費やすことにするのをモットーに・・と言っても今まで全て自己中心的生き方しか出来ていないのだが。さらなる「自己中宣言」だ。
Xipociらしく他人に合わせることをやめ、意にそぐわない協調もやめる。超小人的生き方で日和見主義を極めるぞ。あ!今日は天気だからブラブラするか・・明日は雨なら本でも読み。退屈な明後日は本でも書くか。誰も理解出来ない超迫力のつまらぬ内容で。筆順さえ定まらない日和見小説家の復活 だ。その復帰後第1作『CU AGN』・・5文字のタイトル。分かる人には分かるが分からない人にはサッパリ分からない。明日1日で書き上げる予定の大作だ。アイデアさえないのに厚かましくもきっと完成するものと空想にふけって「あとがき」だけを今日先に書くことにした。。!(^^)!(もうお笑いだ) でも出来なかったとしても気が進まなかったという理由のオポチュニストの勝手な日記だからセーフ!になるはず。完成するものやらしないやら??明日のこの時間 お楽しみに。と自分への独り言。

<趣味> 今日のコンディション非常に悪く1局も交信できなかった。でも貯金30局はあるし1日1局との会話では6月は達成済みなので焦らない。7MHZ~50MHZまで殆ど聞こえない。ノイズが多く特に空電が酷い。夏の空の下だから仕方ないかな。

<放射線>
21:50 0.08μSv/h 、22:00  0.13μSv/h

<写真>夏前のアジサイ・・雨降りが似合うがまだ雨は少ない。三角西港にて
 2016年6月13日(月)  今日も暑かった。母の見舞いに奈良、神戸から兄弟が昨日の続きで来てくれた。その後、益城町から西原村へ兄を連れて山小屋に移動。その屋根のブルーシートのズレがないかを確認するのが目的だったのだが、幸い今日はうまく収まっていて屋根上作業は中止。ブルーシート剥がしに対応して私の腕も少しずつ上がってきたのかな。
 庭には初めての赤い百合が咲いていた。
白い百合はよく目にしているがこんな百合は少ない。
 しばらく留守にしてる間に 庭には雑草が生えていて薔薇の枝を囲んでいた。そして葉っぱの多くに虫食いがあって可哀想な姿に変貌していた。 
 薔薇用害虫駆除剤を散布したが、虫食いは止むだろうか。次回行くまで回復しているとよいのだが。進行しないか心配でもある。

 水が出ないままで2ヶ月が経過。早く解決しないかな。山小屋ではトイレにも掃除にも震災で汚れた食器洗いにも不自由だ。

 八代は昨日の震度5に続き今日の夕方震度4でまた揺れた。しばらく不安は去らず。
 萌の里までの途中もその先も道路再生に手がつき始めた様子。先は長いが、放置されたままでは気が重い。写真は大切畑ダムの大橋手前の壊れた道路。でもそのまま断層揺れに弱いことを承知で同じルートにするのだろうか?・・少し揺れの少なかった所へ迂回しながら強固な道造りをするほうがまともだろう。・・国の直轄事業であれば「俵山トンネル再開通」目指して金銭的かつ時間的には現状復帰を優先するのだろうか。

話は変わるが・・ この先直線の先端に阿蘇立野ダム予定地近くにまで断層が達しているという話だ。 そうなると地震後に大切畑ダム倒壊の恐れで避難指示がでていたことと同じことが白川沿岸、特に熊本市内では大洪水が起こるのではないかという疑念を多くの人が持っている。
 もしこの阿蘇立野ダム建設をゴリ押しして完成して後には再度大地震でもきたらそれこそ土壌が大揺れしてダム本体が崩壊または土砂がダムに入り込んでさらに大きな自然ダムを造ることもあるのではないか。いずれにしてもダム下流の市民の不安が大きくなる。少しでも国や県は下々の意見や火山や地質の専門家の話にも耳を傾ける努力をしてくれないものだろうか。
 自然とは想像外の災害を引き起こしてくれる!と震災後の道路写真を眺めて思う。自然の前では謙虚にしてないとトンでもないことになるぞ!!

<放射線> 22:00  0.10μSv/h、 22:15  0.08μSv/h
 2016年6月12日(日)   33年の最後の役目無事に終了(中身はどうあれ私の役目終了)
熊本の自宅に帰ってきたら さっそく八代で震度5弱の速報が飛び込んできた。地下の閻魔様はまだまだ揺れてない場所を探している様子。その後数回揺れを感じた。

気象庁発表による地震速報を見ていると、今日は当たり日なのか次から次に小さな地震が熊本で起こっている(写真もデーターも
同HPより引用)





情報発表日時 検知日時 震央地名 マグニチュード 最大震度
平成28年06月12日23時16分 12日23時13分頃 熊本県熊本地方 M2.9 震度2
平成28年06月12日23時11分 12日23時08分頃 熊本県熊本地方 M2.6 震度1
平成28年06月12日22時57分 12日22時53分頃 熊本県熊本地方 M3.0 震度3
平成28年06月12日22時12分 12日22時08分頃 熊本県熊本地方 M4.3 震度5弱
平成28年06月12日21時23分 12日21時20分頃 熊本県熊本地方 M2.4 震度1
平成28年06月12日20時35分 12日20時31分頃 熊本県熊本地方 M2.2 震度1
なんで収まらないのだ。これでは日記もまだ終われない。ああ困ったことだ。暇が無くなる。
 娘の今日の結婚が正しかったと言えるように頑張って欲しい。

祖父に抱かれる娘、友だちと一緒に歌う娘・・この33年間 最近まで、まさか結婚するとは思わなかったが・・

 誰を敵にするでなく、偉くなることもなく、健康で周囲を明るくする平凡な人間になってくれればそれでよか。

 母親は、人を不幸にするということがわかりきっている戦争に断固反対していたこと。様々な不平等に反対していたこと。人の上に人を作らないこと。(人を踏みつける政治に反対)。悪いことは悪いと言える人間になってほしいこと。・・正しいことは誰にも遠慮がいらない。母親は行動したが父親は考えだけはそうだった。・・親がいなくなっても一つでも覚えていてほしいなあ。
 人はどこから来ていずこへか去るのだから代々受け継がれる生命を大事にして・・次に手渡して・・
<放射線>
23:30 0.11μSv/h 、 23:45  0.13μSv/h
 2016年6月10日(金)   今日は熊本市南区の田園地帯には水をはり始めた。いよいよ田植の時期になった。水の田んぼには白い鳥がたむろして井戸端会議をしていた。「今年は心配していたが、やっぱ稲植えるんだ」「よかったね」「秋には稲穂のおこぼれが頂けるね」っていう会話だろうか。

 周囲の田んぼが水いっぱいになったら無線の電波も飛びがよくなるので私も歓迎だ。

 一方梅雨入りしたらすっかりよい天気になって、花の水まきが必要になった・・「庭に水撒いとって」と同居人からの命令。とんだ”空梅雨"2日目のとばっちりだ。ぐうたらの私は明日きっと雨だから・・大丈夫!って明日の天気調べてもいないのに、”空返事”。
おかげで夕方の蚊に食われることから免除(^_-)されたが、雨降らずに、花枯れたらさぞ恨まれるだろうな。
  30度を超えた暑い1日もやっと終わる。

 明後日は娘の結婚式のために明日から2日は気が進まない中で福岡行き。これで一通り帳面消しは終わりになる。だからこの日記は書く時間がとれない、あしからず。と書いても誰も見てないし期待してないか(^^;)
  宇城市小川町を震源とする揺れが多い中。小川の実家の古い建物が無傷に近く立っているのが不思議だ。瓦には釘もない。
 
 それでも雑草は家の周囲にはびこってしまったので草刈り機を持っていくも機械が動作しないのでやむなく 小川のシルバー人材センターにお願いしていた。
 どうせ震災の片付けやら、田植えやらで忙しくされているだろうからと秋くらいになるかと思って無理で元々と予約しておいたら、わずか数週間のうちに綺麗に刈ってもらった。やはり私の作業と比べたら専門家の草刈り。ちゃんと道路も庭も区別出来るように刈り上げてあった。(左が刈り上げ前と右が後) (4月19日の日記の風景と比較も:道も庭も草茫茫)
<趣味>昨日は八丈島、今日は宮城県塩竈市など6月は30交信超えて
今月は目標達成した。50MHzのEスポが好調だ。
<放射線>
21:30 0.11μSv/h 、21:40 0.07μSv/h 
 2016年6月9日(木)  今日は不知火経由宇土半島一周の一人旅に出た。途上不知火でデコポンを作っている姉の家を訪問。姉のミカン畑も少し亀裂あるようだが、あまり酷くはなさそうだ。家は山の下にあって昔から自噴する湧き水があるが、水量が地震前より随分増えているそうだ。水脈が上昇したのか、それとも周囲宅地全体が地盤沈下したのか?どっちかな。

<その後の宇土半島一周> 
宇土半島一周は自転車では1日かかるが、自動車なら1時間くらいだろう。昔中学生の頃、友だちと自転車でまわったことがある。しこたま叱られた。さらに今は交通事情が変わって自転車で行くことは命がけだ。途中三角西港のカフェで一服。ぼんやり海を眺めサンドイッチを食べる。散策後車に乗って宇土マリーナーの道の駅に寄って馬刀貝を買った。夜の晩酌は酢味噌をかけてたべたらよかと店の人が言っていた。その通りにしたら実際まあまあ美味しかった。味噌には青じそも刻んでいれた。
 全体的に今回の震災ではブルーシートの家があるくらいで宇土半島にはあまり被害なさそうだった。・・が最近は不知火と宇土で小さな揺れ頻発。今日は少ない。安心してはいけない。アコウの木は地震に強そうだ。根が張っていて地割れなんか入り込めなそうに見える。でも街中で植えると移設時に苦労するだろうな、隣の家にも根が入り込むかもしれない。
  三角の海を眺めながらの紅茶はなかなか美味しい。
 バイオリンかベースかギターの台のような形の白いテーブルで一人座っていた。次々にお客さんが来て繁盛している。そんなことを無視してデッキで海風に吹かれてボンヤリするのは最高だ
 かってオランダカフェという名前の場所だったがもう何回か店名が変わっている。私がお気に入りはその昔のオランダカフェ時代、
モバイルPCでシニアネットのメーリングに投稿したら・・ワッと反応があったなあ。あれはもう17年前のことだ。私の周囲で何か大きな変化がある都度、このカフェに寄っている。
 今週の日曜は娘の結婚式だ、不本意ながら・・・花嫁の父を演じなければならない。その演技が似合わず嫌だなあ。まあどうでもよいのだが・・・ そっと消えてしまいたいような気持ちだ。
<放射線>
21:00 0.09μSv/h、 21:30 0.11μSv/h 
 2016年6月8日(水)  
 午前中銀行へ、午後小川の母に面会へ、93歳になるが食欲だけは変わらず,プリン1個食べる。時々咳あり。他前回と変わりなし。最初私を弟と思っているらしく。憤慨。自宅の草刈りを小川のシルバー人材センターに頼んでいたが、今日現地に到着すると綺麗に刈ってあって気持ちよかった。
熊本市内の大型ショッピングセンターは軒並み営業停止状態にあるが、 小川のイオンモールは1Fは全体的に再開していた。娘の結婚式のための買い物数点。その行った先の店員さんは川尻から通勤されているようで、例の液状化の渦中にあって、大変な思いをされていると詳しく話してくれた。
 150年前の運河を埋め立てて道路にしたみたいで、川尻から熊本駅方向へ幅50m長さ5kmにわたって続いているという。この道路沿いの左右の家が液状化にあい、未だに改善されていない。液状化現象の時には水の流れのような音がして、ザブリという音と合わせてまるでセメントのような白い砂が上がってくるという。周囲では家の再建をどうするか悩まれている様子。目の前の道路もデコボコと凹凸状に液状化していて応急処置だけされているようだ。根本的な解決法でなければ、地域住民は一斉に他に移るかもしれない。
 今朝のテレビでは地域の世話役は地域が崩壊してしまうと訴えられていた。国の力などでなんとか出来ないものだろうか。
 地震がなければ全く何も知らないで過ごしただろうに。揺れと共に過去の運河の記憶が土地の上物に呼び覚まされた。・・この地の150年前の思い出が・・地球の揺りかごのせいでとうらめしく思う人がある。 人の記憶も自然の記憶も超自然の前には、ただひれ伏するばかり。
 <今日の読書>『ブエノスアイレス食堂』カルロス・バルマセーダ。柳原孝敦訳                      白水社
お勧めでない本の紹介・・・・7ヶ月の赤子セサル・ロンブローソがお母さんを食い殺すというショッキングなシーンから始まる。 こんな本最初から読んでたら気が滅入って先に進めない。まてよ 7ヶ月で肉が食えるような歯が生えてるかな・・まだミルクだよな。ってXipociのような常識人はふと思う。まさに人を食った話だ。内容がけだるい。戦争、独裁、食堂、・「南海の料理指南書」・・怪奇暗黒小説。手に取ることを勧めない。

<放射線>
21:45  0.10μSv/h
22:00  0.10μSv/h

<本日の地震回数>13回と増えているではないか。それでも体感地震はそれほどでもない。大砲のドカーンというような音に続いて数秒後ドスンと揺れる。そんな時は震度1だが、まず直下で震度3以上はないという甘い予見が危機感を邪魔している。・・といっても緊張がそんなに長く続く訳でもなく。その時緊張しても遅くなさそうだ。アドレナリンの節約が大事。気長に揺れに付き合っていこう。
 2016年6月7日(火)  曇りのち晴れ・・仕事日和に仕事せず、二階の部屋で読書日。
夕方の散歩道、公園には誰もいなかったのでブランコに久しぶりに乗ってみた。
・・田んぼ道を散歩から帰ってきての、7時のNHKニュースによるとイスタンブールで爆弾事件11名死亡36人怪我とのニュースが入ってきた。モスクやバザールに近いところ。昨年のトルコ旅行から少ししてからテロが相次いでいる。人心不安以外に何のために無差別に人を殺してしまうのだろう。昨年無心にトルコ旅行を楽しめたのは最後だったもしれない。しばらくは安全に行けない場所になったようだ。

西原村の同じ袴野地区の「竹とんぼ」がこんな困難な時に再開したという明るいニュースが西日本新聞(2016/06/07付 西日本新聞夕刊)が伝えている。大きな道が途絶している中、それでもお客さんが訪ねてくるというのに刺激を受ける。水道が再開したら我がAZULもブルーシートのままで再開するか。それまでは下界でのんびり情報を整理しておこう。

<地震>
7時55分の震度2以外揺れはあまり感じない。ただ時々震度1があちこちであっている様子。少なくなった筈だが、それでも震度1以上の表示は1日10回くらいある、20時50分には益城が中心の震度2で、建物大丈夫かな。地獄の閻魔様もそろそろ疲れたのではないか・・・という訳でもうやめればいいのではという声もあるが・・まだ日記を続けている。
 <今日の読書>『うたかたエマノン』 梶尾真治著・・徳間書店発行

 場所はカリブに浮かぶマルティニーク島。代々”こころ”を受け継ぐという未美少女エマノン。その記憶の一端が欠けているこの島で記憶を取り戻すのが目的という。その途上で画家のゴーギャン、新聞記者あがりの小説家ラフカディオ・ハーンらと出会う。ゴーギャンは船中でエマノンと出会って モデルに描くが船は直ぐに到着・・絵は、未完成のまま。その後別れた美少女エマノンとの偶然の再会。
 40年前エマノンが記憶をなくしたという活火山”ペレー山”の頂を目指しての探検にはゴーギャンやらハーンの中年組がエマノンをサポートするといいながら参加表明・・・11歳の案内役ジャン少年は常に2人が足手まといにならないかと心配する。・・今日はここまで
<趣味>
18,21Mhzともに矩形波ノイズが多い。特に21Mhzが昼間は目立つ。この画像は18Mhzの場合。(PC側ソフトで「開く})
<放射線>
21:15  0.10μSv/h 、21:20 0.10μSv/h
<i^phoneの便利ツール>
blue thooth はとても重宝している。散歩に出掛けるときはポケットに入れて無料でダウンロードした音楽を聴きながらで気分良い。
曲を変えたり、音量調整もblue tooth側で操作できるし、電話が掛かってきたらそのまま話せる。手間いらずである。両方の耳に入れて大きな音量で聞く音楽は(車に注意する必要はあるが)誰にも文句言われないぞ。
 2016年6月6日(月)  今日は昔の職場に行った。そこで苗を貰った。水前寺菜だそうな。一体どんな野菜だろう?標準語では金時草(きんじそう)というらしい。あえもの、天ぷら、酢の物で食べるそうだ。

  書き込み中の16時47分阿蘇で震度3あり。南区でもちょっとだけ気づいた。明治22年の2回の激震の記録は、金峰山地震と言われており、震源地が今回とは違うようだ。

あまり記憶にないが阿蘇地震 が1975年1月にあってやはり22日(M5.6)前震 、23日(6.1)本震と続いたようだ。どうやら・・熊本は2回セットが普通の様子。3ヶ月後の4月に(約40km北東)大分で(M6.4)大分中部地震と続いている。やはり3ヶ月から半年は要注意のようだ。
まだまだ安心してはいけない。

<写真 夕方の散歩道に咲いていた花>

<今日の読書>『明日ハ 晴レカナ 曇リカナ』 風野潮著
KK文藝春秋 発行

 日和見文学ファンとして表題がぴったりの小説だと期待してXipociはこの本を手に取った。
 しかしながら見事期待を裏切ってくれた。真面目な少年少女が読んでも大丈夫と太鼓判が押せる内容で勿論面白い。筋は軽妙な展開だ。音楽、演劇、漫画ファンならシンクロするところがありそう。人間が未だ出来てない未熟者にお勧め。それぞれが人生の一時に躓くが、周りの家族や知人によって助けられ、ついにはそれぞれ自分の生きる道を見つけ出す。一度くらい人生につまずいてもまだまだ大丈夫という余裕を見せてくれる。Xipociが苦手とする分野でもある「本人は気づいていない小さな恋愛小説」でもある。「明日は晴れに決まっている」というエリートには読んで欲しくない一冊だ。

 地震が激しい時は文字の沢山連なる本を読みたくもなかった。ただ字ずらを往復していたので。読んだつもりでも何も内容が残らなかった。揺れが減少する中少しずつ回復に向かいつつあるのかな。
<趣味>目標1日1局(^_^)vが1日で13日分蓄えた。
 13局と交信 そのうち多くが50Mhz のスポラディックE層反射による 全て19時台の交信だ。相手は・・栃木県宇都宮市、茨城県水戸市、宮城県大崎市、秋田県能代市、福島県いわき市、山形県上山市、青森県弘前市、秋田県秋田市、岩手県盛岡市との交信が出来た。東北との相性がよかった。とてもコンディションが素晴らしい。明日はどうかな?
<放射線>20:00  0.10μSv/h、22:20 0.08μSv/h
 2016年6月5日(日)  

そろそろ日記も店仕舞いかと思っていると震度3が2回も。先ほど13時55分は我が実家小川が震源の様子。宇城と氷川が震度3、南区は震度2という。(画像は気象庁から拝借)
 空はドンヨリ曇っている。梅雨入り2日目
体調も落ち目。来週週末は用事で福岡行きというのに、あまりよくない。

 今日は東郵便局と猫の餌購入に夕方より徘徊。帰宅後 新聞に目を通す。川尻方面で白川と加勢川がつながっていたのを埋め立てたということだが、その場所が液状化現象で敷地が傾いてしまい、移転を検討している家が多いという話だった。過去に遡ってよく知っておかなければたいへんだということだ。
私が住む家は田園団地という名の通り、田んぼを埋め立てて出来上がった団地だ。そうすると揺れやすい、新しい地盤ということだろう。ちゃんと地積のルーツを辿って新築を考えたほうが懸命」だ。
 地震保険も1等地から3等地まであって地震の危険度が高いのが3等地でその分保険料が上がるみたいだが、地震まで熊本は1等地で保険料は安かったみたいだ。今年も上がったが来年も全国平均5%地震保険を値上げするという。5年まとめて前払いすると4.45年分で少し安上がりという・・でも今地震が起きて倒れたらその後の4年分は無駄になるかもねって思ってしまう。家自体がなくなれば保険はそれまで。で余分な保険料は返してもらえるのだろうか。どうでもいいけど
28%の加入率なので、入ってない方の生活が大変になる。地震保険の目的は当面の生活の立て直しであって、建物の建て直しのための費用ではないという。今日の熊日新聞の片隅に書いてあったが そうなのだ!と合点した。
 揺れの間隔は少なくなったが震度3が二回あった。果たしてこのまま収まる傾向か??

  <梅雨空・趣味に走る>

 アンテナの高さ給電部分190cmかな。軽く手が届く。立ち入る人がいない我が家の庭のポツンと低いアンテナ。こんな高さでビャンビャン飛ぶわけないのだが・・・今日は呼べど叫べど誰も振り向きもしない。 何かおかしい ・・勿論、2階の我がシャックより全て低いアンテナだ。こんなステルス無線局はつらいなあ。・・・と思って最後の最後に念のためと思って電源を点検してみたら送信中でも電流メーターが振れない!!CW送信しても電流が流れてない。直流電源の故障だ。

あらまあ ここだったのか。と言うわけで、夜9時半過ぎに18MHzで福島県いわき市50周年で8N7IというコールサインのJARL記念局と交信できた。これで、今日の「1日1局と会話」の目標達成だ。
小さなことでもおろそかにすると取り返しに苦労する。

<放射線>
21:40  0.09μSv/h
21:50  0.11μSv/h
22:00  0.11μSv/h

<気づき>
i-phone のカメラ機能にタイマーがついていることにやっと最近気づいた。3秒と10秒あるが、風景と自分を取るには3秒は使えない。10秒しか使えないのだが3秒は何の用途で使うのだろうか?
 2016年6月4日(土)  天気雨。朝ごはんの準備をしていた時に、左足に鋭い痛みを感じた。ぎゃーと叫び声あげて、椅子に座って足の裏の表面を触ってみたら、ザラッとする異物を感じた。左足を持ち上げて、遠目にみると血が湧きだしていた。体が硬く、目の前に傷を持ってこれないので指で異物をつまんだ感覚で”これはガラスだ”と確認。こんな時にピンセットがどこにあるのか分からないが探すも遠くまで歩けない。使う時に不明になるのが常だ。
 気を取り直して、指で慎重につまみながら、破片が残らないように指全体に力を入れてそっと引っこ抜くとうまく取れた。取ったあとには少し多めの血の塊が出てくるが直ぐに消毒してテープを貼っておいたら、止血できて、痛みも消えた。一ヶ月半前の震災の時のガラスの欠片が所々に残っているようだ。掃除機だよりではダメだから、しばらくは裸足をやめスリッパに頼る生活に逆戻りだ。震災の後遺症は結構長く続いている。

 昨日は雲仙普賢岳の大噴火(火砕流)の日から25年、あの頃私は37歳、ホンダのフュージョンに乗っていた。57号線東バイパスに火山灰が降り積もり、路面はツルツルしていたことを思い出す。あの頃はまだ下の子は保育園に上の子は小学校1年生だったかな。まだまだみんな若かった。穏やかな山が火山だったと知ったのは噴火してからだ。既に200年前にも噴火して「長崎大変肥後迷惑」という言葉も噴火まで知らなかった。人間みんな忘れやすい。過去の出来事でも悲しいことには目をつむってしまう。例えば目の前の風光明媚も全て火山が作った虚像に違いない、近くの名所だって阿蘇の噴火が作り出したもの。気安く騙されている庶民は自然の裏側に注意!美人に注意するごとく、景色のよい所は変われば凄く変化するもの。・・・ 「天災は忘れた頃にやってくる」 寺田寅彦が言った言葉はいつも新鮮だ。

<地震>深夜に菊池で震度3以外大きな揺れはない。熊本の揺れは静かだが意外な場所も揺れていた。昼からは薩摩の南西側の震源で五島列島が震度3の揺れとか。十勝沖も震度3など日本各地の揺れは突発的に起こっている。

おっと 18時3分 揺れたぞ!!朝から我慢していたトイレに駆け込むみたいな”ドドどード”って大げさな音立ててやってきた。でも震度1だろうな。少し電気が細くなったような(電気が一瞬暗くなったような気がした)・・マグニチュード2,6で小さいが西区で震度2だという。午前8時から約10時間間隔があいての揺れだ。
<季節> 昨日田んぼを機械が耕す音が夜8時過ぎまで続いていた。そして今朝は水が田んぼの多くにためられており、やがて田植えが始まる。この季節、まったく普通のことだが今日から梅雨入りした。これからは普段の大雨に加えて地震の亀裂が心配だ。特に山や河川沿いが心配だ。
 
<趣味>今日は18Mhzでいわき市と交信、50Mhzでは電信で諫早市の局、SSBで台湾の局2局との交信で1日目標は達成。神奈川コンテストが賑やかだ。
 SDR(Software Defined Radio Resources)が最近流行っている。使った人の感想は一様に「素晴らしい」という答。上級機を持つ人の比較でも送信音質などは劣ることもないという。これが十万円ちょっとで手に入るのだから技術発展は素晴らしいの一言・・でも100万円のリグを持っている人は送信は遜色なく素晴らしいが、受信はダメだという。混変調に弱いからという。高級機との差異化ではその位の指摘が多い。ちょっとアラ探ししないと優越感が保てないと言うことだろう。ソフトウェアで無線機器が設計されてファームウェアーでアップデートしていけば、怖い物無しではないか。

<放射線>
17:40 0.12μSv/h 、18:00 0.10μSv/h 
18:30 0.13μSv/h
  
  自然は正直者・・・この季節に咲く花
    写真は木部公園のツツジ(6/3 撮影)
 2016年6月3日(金)  朝から震度3の揺れで起こされた。収まりかけていたのがまた動き出したような揺れ一連。
 今日は昔熊本シニアネットがお世話になった歩師奇屋さんの震災後のダメージでガラスや襖などの後片付けを手伝った。随分屋根が落ちそうなところもあるも、奥の部屋に餅つき用道具などを移した。空を見上げると今日もそれらしい雲が浮かんでいた。綿菓子、おぼろ、あばらに似た雲が浮かぶ。どれかが地震雲なのかも。
 あばらが震度4,おぼろが震度3、綿菓子震度5,なんて分かる筈もない素人の空。
 


<歩師奇屋のあと片付き>
二十名前後のシニアが集合して傾いた旧歩師奇屋の後片付けに汗を流した。知っている方、知らない方、様々なつながりで歩師奇屋に世話になったものばかり。
 昔ネット仲間と夜遅くまで会議していた場所(右写真)を片付けながら当時の元気なメンバーの会話が聞こえてくるような気がした。あれから二十年近く、いろんな行事の思い出がこの場所にある。あの頃私も現役で40歳代だったが対等に話し合ってくださった。中でもメダカさんは17年後の今年は93歳になられるがパソコン講師現役だ。(入会当時既に75歳だった)。その他福岡先生、安藤さんなどの情熱が頼もしかった。その方達がいてネットの基礎を作ってくれた場所でもある。顔を合わせて話し合いをすることがネット組織には必要で、それを支えて貰ったのが安藤さんの歩師奇屋だった。

<放射線>
 21:20 0.09μSv/h、21:30 0.11μSv/h
 2016年6月2日(木)  揺れが収まったかと安心していたら午前9時半過ぎに不知火海を震源に最大3の揺れがあった。我が家は震度1くらいか。相変わらず無線機からのノイズレベルが高い。18時までの揺れも昨日の2倍の回数で震度3を2回記録している。まだまだ安心できない。
熊日新聞17面「地震関連の貴重な資料並ぶ」 くまもと文学・歴史館が再開という欄に1889年(明治22年)7月28日と8月3日の2回激震があり、その後翌年1月にも数回地震という記載があった。が今度の震災より間隔が6日と間があいてるが、後の地震を当てはめると6か月後とすると10月前後に再び大きく揺れるかもしれない・・でも1/3の間隔で予想すると2ヶ月後の6-7月も要注意の時期だというXipociの予報だ。そろそろ次に備えて備蓄を始めなければ。
 県立図書館の中のくまもと文学。歴史館には当時の県庁職員が記録した「熊本縣大震始末」も展示してあるらしい。
 それにしても熊本県が企業を地元に呼び込むため「地震が少ない熊本へ」と言ってPRしたことが地元民としても恥ずかしい。私個人は火山とともに地震もあって、自然を売り物にしている熊本こそ自然のしっぺ返しも酷い場所かもしれないと思っていた。
 今日の昼間、妻の知り合いの書道の個展を見に行こうと誘われ県立美術館に行ったが実は分館(NHKの裏)と間違えていた。分からない書道は捨てて、せっかく来たのだからと熊本城を公園側から眺めた。石垣がバラバラと壊れていてお城の瓦も落ちていた。熊本の重要な観光資源が悲しい限り、落胆したような中国語の群れが通り過ぎて行った。「あらまあ」って感じかな。言葉は分からないけど。
 お城の下の国立熊本病院も(地震でダメになった)市民病院と同じく救急医療を担っているが、その足下の盛り土が一部崩壊していた。ここも壊れたら市民の生命が危うくなる。地震は同時に全ての生命に繋がるインフラを奪い取ってしまう。自然は脅威になるときがある。
 幹線道路や高速道路は断層に沿って走っている状況だ。
昼過ぎ元職場へ届け物、偶然通りかかった大先輩元職員のTさんと立ち話。備蓄は普段口にしない高級品を貯めておくとのこと。非常食=いつもと違う豪華な食物ということで「食べることで恐怖をおっぱらう」ということだろう。それもありかな。カップラーメンやお握りより、”レストラン気分で胃袋が満たされて乗り切るアイデア”だ。こんなことを妻に言っても真に受けてはくれないような気がする。それより我が家では猫の餌備蓄も忘れてはいけないのだ。

 私は血圧が高くて医師から血圧のクスリを処方して貰っているが、以前より地震に備えてずっと飲まずに備蓄しているから大丈夫なり(^_-)・・主治医は見てないだろうな?
<読書>『レアケース』 大門剛明著、PHP研究所2012年8月発行
この本は新卒で公務員に採用され、まず福祉課のケースワーカーを初仕事とする人物を主人公にした物語。現場のリアルな内容が描かれるが、主人公はいろんな事件に遭遇する。この部署ではワーカーが発した言葉で対象者から逆恨みの矛先にされたり、対象者が自殺してしまうケースもある。とても普通の新人では務まらない部署であり人の暮らし、生命と関わる最前線だ。
 生活保護制度について「保護が必要な人の1/4が今は適用されているだけで、もし全てを救うつもりなら制度が破綻する」という。また著者は「真面目な人の矜持と無知な人が支える」というが、・・それも真実かもしれない。
 ケースワーカーが生活保護を実際に当てはめる前に、まず補足制の原理が強調されるが財産調査と、親族にお金が援助できそうな人がいないかを探ることから始まる。生活保護は永続的でなく,一時的困窮に対して適用するという考え方であり、対象者宅を訪問し面談し「補足制の原理」の確認、労働が出来るかどうかなど定期的に確認していく。対人関係の良好さと深く人間の洞察力が必要で神経を使う仕事だ。施設とか病院入所でも判断を任せられる。またこの制度の様々な問題を浮き彫りにする。現実には「本当の困窮者が保護されず、制度を悪知恵を使って利用するぬくぬくとした被保護者もいる実態や「保護と依存の度合いの線引き」をどう考えるか。それぞれの場面で考えさせられる。上司である女性係長(スーパーバイザー)の裏面にも少しずつ光が当てられる。殺人事件に絡む刑事やネズミ小僧など登場するがラストは意外だ。

<消費税>
「消費税を先送りする」とAさんがやっと決断。新聞報道で市民からは「消費税が予定通り上がらないでよかった」との声が多くある中で 「上がらない分福祉にまわらない」と理解している人も多い。だが過去の消費税は市民の福祉どころか・・儲けで笑いのとまらない大企業の減税(法人税減税)にまわっているのだから・・政府の言う言葉を信じたらいけない。
 元々の法人税を課税すれば僅かな買い物にもかかる税金を必要とはしないはず。実際消費税が8%になったのに介護保険の要介護1,2の福祉関係外しが進行中で、すでに要支援は地域に丸投げではないか。何が介護の社会化だろう。介護保険導入の頃の意見とは随分後退してきた。
加えて、「年金の株への投資」にも随分な赤字が報道されている。素人官僚に株が分かるはずもなく、あらまた数億すったなんて会話してるのではないか、リスクが大きいジャンク債への投資もハイリターンを予定してやるとか・・貴重な年金資金いくら損すればやめるのだろうか?いずれ年金資金が枯渇したところでも、知らんぷりだろう。このままでは年金を頼みにする高齢者の生活も不安になる。
Aさんが世界歴訪ごとにまき散らす約束の海外支援もすべて我々の税金から。インドやトルコへの原発売り込みだって「万一事故の時は日本が全責任を負う」という前提での売り込みである。多くの国民が福島事故が未解決なのに、と反対しているにだが、まったく聞く耳がない。「原発売り込み」の保障は国民の税金が後ろ盾、儲けるのはシステム発注の大手企業(投資資金の回収役)ばかり。被災地のみんながおかしいと思っていることは。・・どんなに地震があろうと原発を止めない方針を貫くばかりの国民の声を聞かない政府。それと似た鹿児島県知事だ。企業の経済活動優先と主権在民でなく主権財民だ金持ち優先の政治に反対する。
 税は国が持てる者から一度吸い上げて広く国民に再分配する制度ではなかったのか。今は仲間内(経団連)などからも政治資金を堂々と集め、呉れた御礼の政治を優先している。
また政治家には資質のない人も沢山いる。市民から選ばれ政治を託した人がその税金を勝手に「自分の好きなこと」中心に使っている東京都知事の例もある。全ての政治家は市民の期待の1票で選ばれた事を忘れてはいけない。特権や議員の世襲制も困ったことだ。

<趣味>午前11時前 愛知県桐生モービルの局と交信。なんと全長85cmの18MHZアンテナで移動中とのこと。びっくりするほど電波が良く届く。センターローディングとのことだが1m以内の長さに驚愕。ご本人は長崎の方。ノイズのない周波数で交信してアンテナの詳細を聞いてみたい。・
 30枚のQSLカードが届いた。HAMLOGで確認しながら整理するのも楽しい。

<放射線>15:00 0.13μSv/h、19:00 0.10μSv/h 、19:05  0.12μSv/h


 2016年6月1日(水)
 今日は西原村某所に山鹿から親類4名駆けつけて、大きな荷物を軽トラで搬送した。
Xipociのあわやタンスの下敷き未遂事件の下手人である重すぎるタンスを西原村のゴミ置き場で無罪放免にしてやった。このタンスにまつわる話は日記の4月20日にある。表紙の画像が張本人のタンス。見て頂けたらわかるけど:もし、あの日西原村の山小屋に寝てたら・・見事、この下手人にやられていたはず。その結果Xipociはこの世から卒業していただろう。.心の広いXipociだから許してやったのだが・・・生命の境の4時間は何だったのだろうと時々振り返っている。
 他に天日(太陽光式温熱器)も屋根から転げ落ちた罪でゴミ置き場へ連行。他にはガラス、瓦の破片などを処分した。これで身も心も(関係ないが)ついでに財布も軽くなった。
ゴミ捨て場の担当の方は毎日朝早くから夕方まで酷い環境の中で頑張っておられて頭が下がる

 朝は曇りがちで夕方、日が沈む頃晴天・・天気予報をみると明日は晴れのようだ。山の花に水をかけ損なった。
   左写真は本日の西原村震災ゴミ置き場、右は天日(太陽温水器)の表面(太陽光の入り口である)ガラスの大量な破片を拾い集める私の手。時々チクリと刺すことも。細々とした片付けがまだ残っているがしばらく休憩だ。 
地震その後:体に感じる揺れは今のところない。
 <瓦の屋根で思うこと>震災の余震が収まらない時に屋根の上に乗ることは勇気を試されている。いつ揺れが来るかも分からないので構えようがないが、命綱も着けずに瓦の上での行動はずぶの素人には真似出来ない。瓦職人(写真モデルは別の職人)が瓦を並べるときも命綱を着けて作業しているなど見ない。労働安全関係の法にはあるのかもしれないが。それに塗装業の方が屋根に上る時も命綱を着けた場面をみたことがない。思えば瓦の上も下も角度は一緒なのだから、一度足の傾きに慣れたらそのまま上下斜めと移動出来るのだろうかと素人ながらに思う。が・・瓦が割れているのに足を載せて全体重をかけたときはするりと滑ってしまうかもしれない。と、そんなことを考えるとその一歩を踏み出せない。揺れが今きたら・・とか思ってしまうと益々固まってしまう。瓦の上の専門家はそれなりに滑らない方法を教わっているのだろう。そんな瓦職人の趣味が落語だったら、落ちたり、滑ったりを別世界で楽しんでいるのかも。痛くない落ち方で。
(今日もつまらないことを書いている自覚はあるのだが)

<趣味>「1日1局と知り合いになって1年365人と話すことを目標」
だ。震災以降 5月のアマチュア無線交信数は目標31局で実際は42局で達成。本日から6月、初日は3局で1日1局の目標クリア。交信周波数は最近50MHZ、28MHZ,18MHZが多い。夏のコンディションだ。

<放射線> 19:40 0.12μSv/h、19:50 0.13μSv/h
         20:00 0.10μSv/h      
 2016年5月31日(火)  朝、幾つかの(左上写真)淡い筋雲が空に漂う。鳥が小声で鳴いていて平和な気分になる。昼はブルーシートがズレてないかと西原村の山小屋へ行く、まず屋根を確認すると変な雲(中をくりぬいたような雲)が屋根の上にあった。ちょっと不安がよぎる・・山小屋の裏に回るとブルーシートの上にS字状に淡い流れ。そして帰り際には(右下)ちょっとばかりの鱗雲。でも圧巻は(左下)熊本市南区18時過ぎの鱗雲・・今日は様々な雲に出会った。まさかこの中に地震雲ってやつはないだろうなと雲変化はこころを揺すぶる。Ba小腸造影のような雲も。指紋のようなのも。 1日にいろんな物を見せて呉れた。今日明日地震がないとよいが。
 明日も天気がよければ山小屋へ賽の河原に石積むようないつもの片付けに出掛ける予定。

<探検 大切畑ダム
安政2年~6年にかけて作られた大切畑ため池を昭和45年~50年にかけて近代的に作り直した「農業目的の灌漑用人工湖」である。農林水産省のため池100選にも選ばれていた。それが今回の震災でダム壁崩壊の危険性があり,下流の集落には避難命令が出された。幸いダムの崩落はなかったが、ダムとしての機能せず、今後の農業用水の確保が課題になっている。
  水がすっかりなくなった5月31日の大切畑ダムを歩いてみた。、非常に土壌がもろくて軟らかい。湖の底だったのが、地表に現れた場所をしっかり観察するのは初めてのことだ。
 亀裂のような部分は水路。砂地が浸食されて亀裂のように見えているのだろう。池のあちこちから水が入ってくる。この地域には湧水が多く、近くの2つの湧水である塩井社湧水妙見神社湧水も水量が多い。特に夏場は冷たい水が湧き、多くのファンがタンクを持参する。幸いこの地域の湧水は地震前と水量は変わらないようだ。私はここの塩井社湧水を山小屋で使っている。湧水との組み合わせで特に珈琲が美味しく出来上がる。
 下のブルーシートが壁面が壊れそうになっている部分、手前にコンクリート壁の破壊が見える。この震災では貴重な地域の資源を亡くしてしまった。 <放射線>21:50. 0.10μSv/h
22:00 0.08μSv/h
2016年5月30日(月)   いよいよ5月も最後。震災関連ではJMAT(医師会)の支援が昨日で終わったようだ。自衛隊の支援も今日で終了。各地からの支援もそれぞれ引き上げるだろう。阿蘇などは大丈夫だろうか・・「各地からの支援をお世話になりました。m(_ _)m」

 ネット検索関連では、google earthも地震直後の画像に変わっていた。まだブルーシートが目立たないので直後の航空写真のようだ。ドローンで空中撮影した大切畑ダム周辺の動画ではよく知っている新築の家もあって、みていたら気分が滅入ってしまった。しばらく思考停止状態でベッドに横たわる。
夕方 夜間診療受診の合間に元職場へ顔を出す。ここにも全国から支援が来ていて今週は金沢からの支援(女性)技師が来ていて明日までとのこと。系統病院から看護師、医師、技師の支援もまだ続いている様子。全国連携の医療機関はこんな時にはとても励まされる。現役も元気そうで安心。よう頑張っているね。
*朝から天気晴天なのに気分が落ち込むこともあった日。1日体感の揺れは殆どない。
<読書>
「芥川症」という面白い題の小説を見つけた。著者は久坂部羊氏 阪大出身の医師で小説家。 表題の面白さだけで手に取ったのだが、NHKの「破裂」という高齢者抹殺の話題を呼んだ物語や「無痛」の原作者。
 芥川の著書題名のパロディ版なのか「クモの意図」「耳」「或利口の一生」「極楽変」などの短編があるが、芥川のそれとは趣が異なる。「或利口の一生」などは同年代の医師のことを彼のみたままを解説し我々の常識が非常識であることなどを知らせる。現代医療界の矛盾を素直に書いてある。そこで「健康診断なんてするな」という提言。最近の何もするなの風潮も取り入れてあり。まあそうかなと思う場面も思わない場面もあってどうでもよいのも。まあ暇つぶしには楽しめる本かな。(不気味な内容もあって、手元にずっと置いておこうと言う気はしない。買うより図書館で借りよう)
<放射線> 20:45  0,10μSv/h、 21:00  0.12μSv/h 
 2016年5月29日(日)  朝から雨。西原村・山小屋のブルーシートがはげ落ちていないか心配。
<この震災は>
もし震災(本震と言われるM7.3の地震)がみんな起きて活動している平日の昼間だったら・・とてつもない被害が出たと思う。大型ショッピングモールは滅茶苦茶に壊れていたので、まだ再開の予定がたたないくらい・・漏れ聞こえてくる状況はエレベータ周囲の被害も大きく内部は壊れているという。
 神様が、せめての手加減を加えてくれたのは「地震が起きた時間」だ。もし人が動いている時間であれば、壊れた道路や大橋、線路から転落したバスや列車電車には多くが乗っていただろうから。(わずか,時間をあと9時間ほど手前にずらしてしまったら子ども達の帰り道に重なっていただろう。)まさか震度7が2回くるなんて。2回目の大揺れの午前1時半頃はベッドで何事が起こったのかと寝とぼけて揺れをやり過ごしたのだが。その時 益城や阿蘇、西原では大変な事態が起こっていた。そしていざ救急時の対応が期待されていた市民病院が倒壊の恐れそして、阿蘇大橋が失われたニュースがラジオから流れた。

 老朽化した熊本市民病院のその時を熊日で特集していたけど、ホントに奇跡的にみんなが助かったという内容・・何か一つ狂うだけで小さな生命の灯火は消えてしまうから現場の混乱ぶりは相当なものだったろう。病棟も危なくて他院への転院させるという新たな課題も発生。そうして、本番での震災被害者の受け入れが出来なかったのだ。・老巧化施設をほったらかしにしておいての人命軽視の前市長も現市長もMICE優先を掲げたための人災だ。病院建て直しを優先して市民の安全が優先されるべきだったのにと今呟いてもどうにもならないが、今からでもMICEはきっぱりやめて企業優先ではなく市民優先の安全な熊本市を作って貰いたいものだ。・・MICEは震災後の熊本には似合わない)(観光の目玉の阿蘇も熊本城の復活にも十年単位の時間が必要だ)・・MICEにふれるのは2回目だ。県議会では復興のための会議(5/13は所用のためという理由で)をサボって講演活動しているタレント議員がいることに呆れてしまう。投票数1番で議員になりながら開催される県議会へは「体調不良」の届出(2月定例会の欠席理由)して他の活動をしているとは。。有権者も馬鹿にされたものだ。プンプン!!。「悲嘆」と同様、その時、怒らないといつまでもストレスとして残るから思うことを思った通りに書き残すことが実践だ。誰にも遠慮はいらない。
<外食> 少しずつ復興中
震災以来初めての外食をした。私は中華飯と青椒肉絲、あれ!!料理はよく知ってる読みかたが分からない、漢字からくる印象は「青はピーマン 胡椒に豚肉の糸線切り」そんな雰囲気でよく中華料理では食べるやつ・・、これとこれと指さして注文すると、青椒肉絲=ジンジャオロースって言葉が返ってきた。「そうそう」 読めるけど書けない漢字があるときの気分と一緒だ。久しぶりの中華だ。
 <危機介入>crisis intervention
昨日の記載で地震のあとのケアの話を書いたが、1998年8月20日 当時同志社大学の岡本民夫先生の集中講義の時私が(分担)担当した「危機介入アプローチ」についてのメモがファイルにあったので記す。
 危機介入の基礎は危機理論(Crisis Theory)からなっている。「危機介入とは危機がある人が再び元の状態に回復するために必要な援助を提供しようと試みることで当面の問題解決に焦点をおく短期的な介入が特徴で、危機状態を促進させている社会・文化的な要因について検討が必要」
危機理論における危機の特徴的定義は一般的で広く使われるが「原因と結果の相互作用を厳密に述べた形式的理論システムというより推定と提案」という一般的言及にすぎない。
重要なのは、危機のあとに続く、危険な結果を防止するための最良な方法は「情緒的」、「情報的」、「環境的」支援を周囲が資源(人・物)を提供することである。
・危機対応で肝心なのは「対応は人によって異なる」点でそれは、認知される意味、環境によって提供される資源が異なるからである。自然災害、深刻な荒廃状況にある共同体、家庭内暴力、職場、学校など発生場所はあらゆるところにあり。情緒的に窮地に陥っている人には迅速かつダイナミックな介入によって短期的に効果的援助ができる。基本理論の危機理論では「恒常性維持規則」に基づくものであるが「人が危機に陥ってそこから回復していく過程には一定の法則がありそれは長続きしない。
危機にある人は特徴的な感情や行動を持つ、それ自体は病的でない。この介入の仕方によっては重大な結果を招くこともある。*危機の語源はギリシャ語のクリシス、英語でデジジョン(決断・判断)、つまり重大な境目(峠)を指す。だから「危機とは危険と好機が表裏一体をなし明暗の決定的な岐路」である。実際の支援では、入念なアセスメントが必要1)投入2)ろ過3)認識4)産出5)認識6)産出7)評価(回答を検証)
問題解決への危機アプローチは個人と問題のアセスメント、治療的介入の計画、介入及び危機の解消と予期計画が含まれる(モーリー、メズイックとアギュララによる)
#参考・引用文献 
1 『社会福祉援助技術総論』岡本民夫、小田兼三編(ミネルヴァ書房 1990年)
2 『臨床ケースワーク』武田建、荒川義子編著(川島書店 1986年)
3 『危機介入の理論と実際』 ドナ C,アギュララ著、小松源助、荒川義子訳(川島書店1997年)
4 『医療ソーシャルワークの現代性と国際性』小島美都子著
5 Crisis Theory『Social work Threatment 4th Edition』Francis J.Turner,1996
<放射線>  19:15 0.08μSv/h 、20:15  0.11μSv/h
 2016年5月28日(土)  昨日は米国オバマ大統領が広島を訪問した。核兵器廃絶の声は世界に伝わっただろうか。そして時代は変わるのだろうか。地震は、収まりかけた揺れが少し再開かと思わせる体感あり。・・今日の朝ご飯は梅干しをご飯に載せて、昼はレトルトカレー。外は雨降り、お腹だけがブクブクになる。
 昼過ぎまで無線交信5局、中には1KW出力の女性の方もいて、頼もしい。私も1KWまで免許は貰えるが、実際は密集地ではステルス(派手に目立たない)無線局としては精一杯の1/10の免許だ。そんな大出力局であってもコンディション次第で強力な局がその数分後にはうたかたの泡のように消えていることもあって楽しい。一番重要なのはコンディション次いでアンテナの順番。そんな時の出会いのタイミングを逃すと翌年まで待たねばならないそんな周波数もある(特に高い周波数)。それは釣りに似てるかもしれない。潮の満ちかけ、天候などなどがうまくいっての出会いである。

 私の言葉は相当熟練な者(例えば妻とか子どもさえ)でも理解出来ないと言う。まして余力で他者との会話を趣味の世界に求めるとは?これまで私は本当に言葉が通じないので悩んでいる。発語機能が喪失状態なのだ。思った事を口に出そうとすると違った事を喋っているような感じなのだ。こりゃあいかん。思わないことはスラスラ出てくる。あらまあ!!自分で感心してどうする(T_T))。

今日は読書と無線で1日終わりそうだ。そんなとき知人からLINEの希望がきたので仕方なくi-phoneにLINEを導入した。初心者なのでさっぱり分からないのだがFACEBOOKを始めた頃の初々しさに似た体験をしている。知らないうちに友だちが増えてスタンプを貰っている。(^^;)
今日はたくさんの知人とラインで言葉を交わした・・書き言葉なのでなんとか通じたみたい。

 熊本でも地震の話題が少なくなって、あとは復興に目が向いてきた。小さな子ども達への影響がこれから心配だという話題がネットに出ている。うまく解決を願うばかりだ。
 昔大学院の演習で、危機介入を文献で学んだことがある。アギュララらの解説などこんな時に実践出来るはずだが、内容はすっかり忘却した。がその時々の課題処理をして「悲嘆」すべき時にそれが出来ず何時までもその課題が残ってしまう。思い切り言葉に出したり、感情表現して課題を克服しておくべきだという理論。だが中途半端に済ませてしまうことで後悔するが、個人個人の差(強弱)もあるから一律にはいかない。個人の苦境に対する強さの程度が課題だ。・・そうして震災が心理面で尾を引かせないよう出来ればよいのだが。・・・昨日見た「ソロモンの偽証」はそれを裏付けるようなよい映画だった。その年齢で解決しておかなければならないことを解決することで蟠りが消えてその後の人生に及ぼす影響が大きく変化するのに似たものだろうか。
<読書> 昨日借りてきた本に「世界のどこでも生き残る完全サバイバル術」(ナショナルジオグラフィ社)がある。
 山小屋のカフェは震災でお家断絶になりそうな状況で、お荷物になる非生産人口に入る私らは読まなくてもよいかと思いながらもつい面白くて読んでしまった。 絶体絶命からどうして生還できたかが各人の経験を紹介してある。知恵と心がけ、慌てない冷静にというのが基本だがそれが私にはまったく備わっていない。

そんなことを自慢する私も随分危険地帯に出入りしたものだ。
 南アフリカは世界一の犯罪都市だ。そんな犯罪(殺人事件)の特に多い場所であるヨハネスブルグのヒルブロウの飲み屋さんとかケープタウンの町を徒歩で歩いた。あとで聞けば「つい前日も銃で撃たれた」とかいう話で「目に見えている所だって普通はタクシーを使うのだ」と助言された。無知もサバイバルの一つだったのかも。ベトナムホーチミンでは絶対裏通りを歩くなとアドバイスされたにも関わらず、こんな場所が面白いんだと3人連れだって歩いていると、面白い建物に目を奪われてる間に、つい出足が遅れた私が子ども達に囲まれポケットを手探りされて財布を奪われ、後ろから走りこんできたバイクの青年に財布をバトンタッチ。子どもらは「わー」と退散した・・あっという間の災難。これはサバイバルでなくて、恵まれない子達への慈善事業だったようだ。
 サバイバルも色々あるが私の馬鹿話と違って本書は実用的だ。砂漠で一人になったらとかアマゾンで怪我したときとか。水の作り方、山登りで用心すべきこと・・山でまさかの蛇に出くわすとパニックになるのだが・・経験者がいて帰還した人がいるからこんな本に出来たのかな。それぞれ驚きのあまりに副腎からアドレナリンが出すぎるのも困りもの。
<放射線>21:30 0.12μSv/h 、 21:45 0.14μSv/h ちょっと高いかな
       22:00 0.08μSv/h
 2016年5月27日(金)   相変わらずのスッキリしない天気。最近、朝早く烏がまたやかましい。そういえばあの震災の前も森の枝で烏がへんに甲高い声で鳴いていた。終息宣言なき震災。烏がこのへんでと鳴いているのかもと善意に解釈。
今日は城南図書館に本を借りに行った。5月20日まで返却だけOKだったようで、震災のための復旧工事も3/4位進んでいた。壁が落ちたのだろうか。奥は工事中だった。いつも6冊借りて大体2,3冊読んで返すのだが、当たり外れがあって面白くないのはすぐやめる。4冊くらいは余分な保険みたいなものだ。初めての作家で面白いものもあった。
 県立図書館は地震のあとずっと閉館中だ。ここは1年ほど休館して図書整理していたが、再開してもあまりそれらしい改善点は目につかず・・いつも疲れたら寄って珈琲を飲み新聞を眺めるのを楽しみにしていた(特に景色が絶好の)1Fカフェが閉店していて残念。これでは、この図書館の魅力が半減だ。そんなところにまた地震でお休みとは・・まったく役立たずの図書館だ。
 現在緑川の河川沿いの道路はヒビ止め工事が進んでおり嘉島より手前300mくらいは通れるが途中がまだ通行禁止、それでクレアと城南図書館の間の県道ははずっと渋滞が続いている。時間に余裕をみておかないとたいへんだ。僅か4km進むのに40分ほどもかかってしまう。震災後の道路は異常事態だ。雨でも降ればさらに通行禁止が多くの箇所にかかるだろう。
今日の揺れはホントに少ない。いつもと異なるところに✕印がついている。芦北沖を震源にしたり、有明を震源にする弱い地震もあり要注意だ。それに沖縄・奄美や千葉、さらに上の東北も揺れがあっているので、全国的な警戒が必要だ。
<写真は自宅の庭に生えた青じそとミントの葉、青じそはそうめんや豆腐にのせて食べると美味しい。ミントは冷水に浮かべて香りを楽しむ>
<転倒予防>
人間もちょっとしたことで転倒して骨折などしてしまう。最近シニア向けに転倒予防教室が開催されているが・・これはパソコンの転倒予防のはなし・・本震の4月16日の日記で紹介してるように大揺れでパソコンが転倒した。幸い、壁とPC机の間にうまい具合に挟まれて、机の真下に落下していた。デスクトップなのでモニター画面のバック全体がPC本体だ。以来大事なデータを守るために机を離れる都度、本体を机に伏せている。(左写真)おかげで時々の大きな揺れでも大丈夫だった。特にデスクトップ型PCは注意が必要だ。
 <趣味の続き>
 昨日のe-QSLの続きだが、自分のeーQSLカードをよいデザインで無料で作るのは限界がある、オリジナル画像を使わなければ自分らしさが出ない。そこで独自画像を扱うにはドネーション(寄付)が必要だ。寄付は5ドルや10ドルくらいからでもよいと聞くが・・クレジットカードを利用したペイパル(Paipal)にて年間30ドル(3416円)をe-QSLセンターのへ寄付をしたらあっという間にシルバーメンバーになった。振り込み後、確認すると直ぐに独自の画像を配置出来るようになっていた。だがどうしても・・歪んでしまう。特殊なプログラムを使っているようで、何度かやり直すとフリーズしてしまう。横に伸びてなかなかうまく出来ず制限された画素の固定が問題のようだ。 口を開けて空を見上げるボケーッとした私は横に広がり更にデブになってる。(画像の縦横比が制御できない)だから、まだまだ正式のカードにならない。じっくり納得いくカード作りを当面やることに。その後既に頂いている人に返信したいところだ。 
現実に送るカードはイラストレーターなどのソフトを使うと思ったようなカードになるのだが、(美術品に近いようなカード)そこまでネット上では要求されない。e-QSLは証としての実用性を重んじてるわけだ。
カード作りから発送・受け取りまで全てがネットの上なので便利なことは違いない。寄付送金まで同様であり、一昔前には想像も出来ない進歩だ。まだまだネットの可能性は知らないところで面白いことに結びついてるかも。
<放射線>21:30 0.11μSv/h、21:45 0.08μSv/h
 2016年5月26日(木)  曇り。晴耕雨読にしては中途半端なその後の晴れ。今日は揺れが殆どない。そろそろ(揺れが収まれば)Xipociの大震災日記も終了になる。
 雑用で山鹿に行ったが、地震への備えがあまりない。山鹿には断層がないから大丈夫という確信を持っている様子。でも分かっていない断層があるはずだし、いつかは大きな揺れが来ると構えて家具を固定しておかなければと、ボソボソ迫力もない小声で私が言っても聴いてくれない。「タンスが飛んだら」、「大型テレビが飛んできて下敷きになったら」・・と私の頭の中だけで映像が運動会をしているから言葉はついつい空回りしてしまう。熟々自分の言葉の表現力のなさに感心してしまう羽目になる。
 北九州のT君から携帯に電話が入っているのに気づいた。彼は阿蘇カルデラ100kmマラソンのついでに昨年西原村の我が山小屋に来てくれたことがある。震災のあと高森へ震災ボランティアに来ていたとのこと。近況を聴かれて西原はしばらくは無理だと答えた。そのうちにうまく再開できたら案内しようと思う。ボランティアといえば、山鹿の(妻の)姪は先日西原へボランティア支援に行って瓦礫運びをしてくたびれたらしい。身近な人が災害ボランティアの活動をやっていることがなかなか頼もしい。体力がある人は力を貸すことができてうらやましい。私は3,4年前の白川豪雨後に龍田のボランティアをやったがその時以来無力を悟って手が出せない。出せるのは口だけだ。雨の中堤防に這いつくばって体を冷やしてゼーゼー言っていたことを思い出す。私は震災ボランティアは似合わない。違う方法で出来ることを探そう。
 庭にアジサイの花が咲いた。いよいよ梅雨入りだ。
<どっぷり趣味の世界のはなし>
アマチュア無線局が交信するとその証拠の事実:”ちゃんとあなたと何年月何日に周波数何メガヘルツで交信、その時のあなたの了解度信号強度は59でした”・・"使用した装置とアンテナの紹介など”を記載した交信証というQSLカードを郵送や各国の無線連盟経由で紙のQSLカードを交換する仕来りがある。最近ではネットを利用して時間と経費を省略するe-QSL発行というのが流行っている。私はやはり紙ベースのQSLカードに温もりを感じるのでこれまで利用したことがなかった、しかしながら昨年QRZcomでe-QSL OKに誤ってチェックを入れていたことがふと思い出されて・・消さないとまずいなあと思いながら、 妙に引っかかってe-QSLの運営サイトの中を検索してみた。結局ウクライナやフランス、スロバキア、マレーシア、シンガポール、タイ、ロシア、インドネシア、中国などの外国局とともに日本の局十数局からe-QSLが発行されていたことを今日発見した。
これはチェックの忘れでは済まないぞ・・と今朝から真剣にe-QSLへの参加を実行したがこれも結構面倒くさい。局免許をスキャンして送ってなリすまし防止の手続きなどが待っていた。その確認作業は、あと”待ち人12人”とあった。来週まで承認されるとよいのだが。・・と気長に考えていたが・・・
 妻の実家の山鹿で梅をちぎったので取りに来いという電話があって午後から出掛けた。梅を取っている真上に蛇が絡んでいたのを下から見ていた野次馬が発見。その時には既に蛇の枝はちぎり終えていたとか。・・そんな茶飲み話を聞きながら、又熊本へ帰ってきてe-QSLをチェックするとなんと確認済みになっていた。さすが一流の仕事は早い・・こりゃあ凄いぞ。(往復の時間3時間)。 24局の内2局(左はフランス、右はスロバキアの局)のe-QSLカード)を見本に示す。
・・という私のe-QSL作りはまだ終わっていない、明日にでもデザインを終わらなければいけない。皆様遅れてすみません。しばらくマニュアルを頑張って理解しますのでちょっと待っててください m(_ _)m
*このe-QSLは切手も不要だし、ビューロに年会費を払わなくてもよいし、早すぎるカード交換が可能で最近はみんな登録しているみたいだ。ネットで取り込んで自宅のプリンターで印刷するだけだ。運搬に使うCO2も削減し環境にもよい。新しい世界を発見した気分だ。(=手違いから出てきた新しきツールの発見)
<放射線>20:50 0.09μSv/h 、21:10 0.10μSv/h
 2016年5月25日(水)   本日は25日、労働者だった頃であれば嬉しい給料日のはず。残念ながら今はどんよりとした空を眺める日和見暮らしの身。朝から函館の人と2年ぶりに電信で再会。何が楽しゅうて朝からキーを叩くのやらって目で家族から見られている。夏場だけの50Mhz のEスポはすぐ変化しフェードアウトしてしまう・・だからつい私は慌ててしまい「さよなら」ばかりを急いで肝心なことを省いてしまったことにあとで気がつく。悪い癖が直らない。さよならのあとは「ジャー」と特有のノイズが耳に残るだけ。存在が消えること・・たぶん 人生最後もそうなのだろう・・ジャーというノイズのあとは何億光年かの静寂が続くだけだ。

<ああ無情 ああ無常だ>
 南海トラフの歪が凄すぎるニュースを見た。今朝の新聞にも色つきで載っていた。
 予想では33万人が死ぬという。一体全体どうやって予想するのだろう。まさかその中に俺は、家族は、友だちは、親類は・・と身近な人が入らないかと心配する。
 棺桶も足らないし、葬式はどうするのだ・・そもそも誰が残るのだ?・・と次から次に心配が浮かぶ、口に出すと妻はそんな悲観的なこと考えて、”つまらん”と切り捨てる。男らしい妻に反駁も出来ず。話題は途切れる。罪作りな南海トラフめ!・・食えない奴め。・・しばらく食の自給に励んで備えよう。とりあえず今日の収穫はミニトマト3個。明日は収穫ゼロの予定。もう少し早く育つ食べ物はないだろうか。 今日は体感範囲の揺れは少ない。このまま収まるかな。
  日記の話題が尽きだした・・と部屋の壁を見渡すと・・拓本が1枚。中国へは何度も行ったが職場の友だちとその子どもと3人で行った時のお土産だ。西安(昔の長安)郊外の石に書かれた碑林を見学したときのものだ。文字も読めないのに笹の葉が綺麗だからと手にした。石に細かい文字や絵がよく彫れるものだと感心した。書道をやっている人にとっては碑林は憧れの地かもしれない。筆順も定まらない私には何が良いのか猫に小判の漢字の林の中でグルグル迷っていた。遠い過去のような思い出の場所だ。ユーチューブで西安碑林での拓本の取り方が動画で紹介がアップしてしてある。通信販売のページで漢詩を日本語に翻訳しているのもあって興味ある人には役立ちページかもしれない。→中国拓本のページ

中国では兵馬俑にも楊貴妃のお風呂にもビックリした。世界にはいろんな物があるんだなあ。 昔から日本のお手本の国だったが最近上の方では仲違いしているような雰囲気。中国は大国で兄さんの国だから大事にしたいところ。民主化を進めて個人の権利をもっと広げたらよいのにと思う。離れた場所に土を盛るという領土拡張はやめて、お互いに平和に暮らす方法を探し出してほしいもの。日本は憲法9条(戦争の放棄)を死守すべしだ。どんなに平和安全法と言ってもそれは戦争法でしかない。口だけの政府の言葉に騙されるな日本国民。
    

夕方は墨絵のような散歩道だった。黒い雲とシルエットになった遠景。まるで水墨画だ。
今日の拓本に合わせて。

<放射線>22:00 0.12μSv/h
       22:10 0.08μSv/h ,  22:30  0.10μSv/h


 2016年5月24日(火)  曇り。今日NHKのテロップ再確認したので確実情報だ。「あと2ヶ月は震度6弱の地震に注意」と同時に続けて「震度6弱以上の別の地震に注意」とあった。じゃあまとめると結局震度6弱以上の地震に注意ということではないか。これだったら気象庁も弁解が大丈夫ということだろう。前震、本震で相当批判がきたのだろう。 
 6月は福岡で長女の結婚式だ。それまでは地震が収まってほしいのは人間の勝手かな。それで遠方より来る客人の帰りの飛行機の手配、娘の支度(写真)やらで忙しい。

 本棚整理中に手に取った文藝春秋2011年6月号に 特別企画「文藝春秋88年が伝えた震災・津波・被曝の証言」芥川龍之介、菊池寛、横光利一、吉村昭、柳田邦男などの文書が並んでいる。横光は「地震があると等しくこういう地震があっていいかとか悪かったとか直ぐに云われた。あっていいとは云いたい人があっても云わぬがよい。此の災厄に逢った人々に災難だと思ってあきらめるがいいというのは陳腐である・彼らは心に受けた恐怖に對して報酬を待ってゐる。生涯を通じて此れが稀有な災厄であったそれだけ、何物かに報酬を求めねばゐられないのだ。彼れらは、彼れ自身の恐怖を物語るとき、追想と共に生涯誇らかになるであらう。・・と書いている。(ちょっと難しいが・・・必ず災害は来るんだからそんな覚悟で生きておくべきか)
特集の中でも興味を持ったのは葉上太郎のルポ「原発銀座福島宴のあと」だった。

震災はさておいて、南区の農家は一斉に田植えの準備を始めている。(動画ソフトあれば「開く」を押す)季節に追われる農家は切り替えが早い。
(写真は我が家の庭に咲く真っ赤な花)
 サルバドル・ダリ Salvador Dali の「窓辺の少女」(モデルはダリの妹アナ・マリア)その昔、スペインに旅をしたとき美術館で模造品を買ってきたことに最近気づいた。荷物整理で何十年も経っての再会だ。
 ここはシンプルに海に開けた窓辺に立ちもの思う妹を描いている。・・この妹とダリのその後はいろいろあったようだ。。今は私の無線機の上に乗っている。壁にはピカソのゲルニカGuernicaの偽物が一枚。(スペイン内戦も酷い野蛮な争いだった。さらに独軍の参戦も)部分、部分を切り取っての解説もあるが大作の前では鎖があって近づけなかった。

ゴヤの作品では裸のマハと着衣のマハ二つあるのも面白かった。
 その時は写真撮影自由だったようだ。だが写真は絵を超えない。どこでも見える絵画だからといってそれも大事にしてなかったので写真は散逸。
ソフィア美術館にもプラド美術館や他の美術館にも行ったがどの作品がどの美術館にあったかごちゃごちゃになっている。ヨーロッパにはまだ知らない世界が広がっている。。
<放射線>21:30 0.11μSv/h 、23:00 0.09μSv/h
 2016年5月23日(月)
 今日も晴天・・私だけの(ユダヤ教ではないが)安息日・・ 横になったり、趣味に興味を傾ける一日になる予定。
 NHKのテロップが「あと2ヶ月は震度6弱の地震に注意」と書いてあったが、今日は「震度6以上の別の地震に注意」とあった。・・私の見間違いかな。そのような予兆があるのかな??

 一日を締めくくろうとする時刻・・もう終わったかなと思った頃に小刻みに揺れがやってくる。震度1や2の揺れが少し過小評価のように感じてしまう。揺れに慣れた家はよく揺れる。
<熊本市南区>
 夕方5時からあぜ道を歩いた。この数日、殆どの田んぼで稲作の準備が始まった。この一月の揺れに振り回された農家は忙しそう、日常を取り戻そうと汗をかく。

 田んぼの端では、忘れ去られたように墓地の石塔が倒れたままで動かない。 生きてる者は忙しく働き、この世に居ない人の思い出を復旧させる余裕がない。どうせこの石塔また揺れて倒れたら危険だし・・って(意識ない)先祖のことだって構う時間も復旧の重機もない。意識ある生者は明日の糧を手に入れるために持てる土を耕すしかない。日々苗は成長して、もうタイムリミットに。生きてる者優先社会だから・・・それでよかとですたい。墓石も頷く。
 気象庁の地震情報 を最近眺めているが震源地はまさに地図の上では我が実家(宇城市小川町)の直下が多い。断りもなく、勝手に家の下で暴れるんじゃないよ!・・400年に1回程度だから、親父も家を建てる50年前には考えもしなかっただろう。あと400年後まで揺れないという保障もないが、人類が存在する保障さえない。
米国イエローストーンが爆発すると人類滅亡という噂だから・・最近は道路が溶けたり、川が沸騰していると聞くと間近かなと思うが、そんな怖い話はさておいて、・・・
 西原村(AZUL)ー熊本南区(嘉島に隣接の自宅)ー小川(実家)ー八代(娘住む)と・・我が家は断層に沿って建物が存在する。いわば断層と友だち関係にある。日奈久・布田川の断層がくしゃみをすると我が家は泣き顔になる。
 これから心配なのは阿蘇の破局的大噴火・・九州は勿論中国四国まで火砕流が流れるというが、それこそ封印してくれなきゃ!!その封印の元の阿蘇神社がぶっ倒れている。石黒耀の「死都日本」という小説の内容が現実味を帯びてきた2016年夏。と書く10時8分震度3(西区・宇土市)の地震あり・・南区は震度2.
まだまだ揺れは、続くんだなあ。

<放射線>10:10 0.11μSv/h 、21:40 0.09μSv/h
 2016年5月22日(日)  揺れもないのに今朝は4時半には目が覚めてしまう。この時間に身体は備えているのだろうか。
 
 今日も晴れて連日の後片付けで西原村小森の山小屋へ通った。これまで2階の居住スペースはガラスの破片に注意して土足で上がっていたが、掃除機を通したので、今日からスリッパであがっての片付けだった。
 大きなところはほぼ完了した。あとは水が来て雑巾がけ(をするという。

 屋根改修が済まないとまだまだ雨漏りの心配がある。俵山の亀裂が広がるか その前に早めの改修か・・とても悩むところだ。
俵山崩壊で集落壊滅ならば、工事した分無駄になってしまうので・・でもこのまま朽ちるのも偲びがたい。

 亀裂は治まってもらって、・・今年の梅雨もほどほどの雨量にしてほしいものだ。

 写真は薔薇と草と境目のない庭。この庭をなんとかしようと鎌を持って草取りをしたのだが20分ほどで暑さでダウン。30分ほど休んでいるとしばしの昼寝になってしまった。体力がないなあ。 

<今日の空>
健軍からずーっと雲を追いかけながら走行。飛行機雲とは違い太めの帯状雲が続く、写真のように3本の大きな長い雲は阿蘇中岳方向へ収束するように見えていた。

<趣味>:午前中50MHzにて台湾の2局と交信(うち1局は電信) 
<放射線>06:40 0.08μSv/h , 09:30 0.12μSv/h、21:30 0.07μSv/h

 今日は早く寝なさいと電話忠告・・じゃあ寝るとするか。
 では またあした (^^)/

 今夜は新鮮な空気を吸って楽しいことやってる夢をみよう。鼻水(花粉症)のことを忘れて眠りこもう。
 2016年5月21日(土)  薄曇り。早朝より立て続けに震度3の地震が3回。4時のが大きく、おかげで浅すぎる眠りで顔色はいつでも土に帰ってもよい色に。
 天気がよさそうなので今日も西原村の山小屋へ片付けに出掛ける。
 日課である屋根上のブルーシートのし直し(風が強いとひっくり返ったりしてる)。
 そのあとは和室のタンス(4月16日の震度7の時)もしかしたら生命を奪われていたかもしれない重すぎるタンスを妻と引きずりながら階段を降ろす、引きずり降ろしの刑を執行。刑のあとは駐車場に監禁。

 その後私は書庫の片付け、適当に手当たり次第に棚に突っ込む。探すときに困るかもしれないけど本の大きさで探せばよし。昔の私の写真もあった。
 夕方6時過ぎまで頑張った。でもまた大揺れしたら元に戻ってしまう。先日使った言葉だが、・・・毎日私たちは怪獣に踏み荒らされると分かっていても・「・賽の河原に石を積み上げる」ことしか出来ない。その結果はどうあれ。
・・でも積み上げる行為が人生なのだろう。
.

 猫の餌がやがてなくなるので震災の中心地でもある益城町のコスモスで買って帰るのだが、そこで偶然にも昔の同僚に会った。
話を聞くと益城の自宅は14日の揺れでは被害なかった様子それで16日は南阿蘇(久木野)の家で遭遇したとのこと。もう大きな揺れは来ないと決めて阿蘇に向かったのだろう。

私もそうだった。危うく震度7の真上で泊まるはずだった。自分の人生でさえ、さっぱり掴めないもの。通り過ぎた過去ばかりが残っていく。
危険予知の能力はあるのかないのかサッパリ分からない。
分からないけど自然だけは自分の腹時計中心で勝手に薔薇の花を全ての株に咲かせている。見る人間はいないというのにだ。・・大自然というのは勝手な奴だ。

 今日は5月21日・・夏至も近くなった。私は夏至前後が大好きだ。太陽が日中いる時間が長いし、けだるい暑さがまたよい。仕事がなければさらによい。所詮私は夏の怠け者だから。
ゴロリゴロリとして風鈴の音を聞きながら誰にも邪魔されないで、時々は昼寝するのもよい。・・そういえば現役の仕事人の頃の昼休みは口が大きいのが幸いして早食いで、食ったらゴロリと横になっていた。(そこは職場のトイレの横)・・時々邪魔者も出入りしていたがあの僅かな至福の時間(わずか20分くらいかな)懐かしいなあ。 午睡か、最近しないけど復活しようかな。
 今日は先日の大切畑ダムの道路を山小屋側から眺めてみた。(上左右の写真)

 ブルーシートはダムの亀裂側に水が染みこんで拡大
しないようにしてあるようだ、

直進で300m程度の距離をずーっと遠回りして通っているのだが・・修理出来るんだろうか。?

下の写真左側は袴野地区の湧水までいく途中石組みが壊れている。その先400m先でも石組みが壊れていた。車一台ギリギリ通行可能だ。

下側写真右は・・萌の里から100m俵山トンネル側へ向かったところで通行止め。道路はズタズタになっていた。

 萌の里は外形上あまり変化がない。断層は道路に沿って走っているのだろうか?・・川沿いか道路沿いと考えてもよいのかも。
 
 2016年5月20日(金)   昨日の道路の状態やら阿蘇や西原、益城の町の様子をみると熊本地震じゃない。熊本大地震、大震災だ。
 当然日記の名称も改名。・・ 5月もあと11日しかない。時間ばかりが過ぎてゆく。残るは焦燥感だけ。朝6時過ぎの揺れでまた今朝も起床。治まったかに見えるのにまだまだ揺れる大地と我が心。風が強い。

 この揺れで瓦のうえに被せたブルーシートをまた載せ替えるためにXipociが屋根に上る。体力も気力もないと本人の弁。(昨日の西原村AZULにて)

夕方5時過ぎから近所を散歩する。

今日は花粉症の症状が酷い。鼻水が止まらない。もう5月末は卒業の頃なのだが、震災の粉塵が加勢しているのかもしれない。

鼻水にも負けず散歩に頑張り帰宅は既に6時、夕食の準備だ。アサリ貝の砂抜きの時間だ・・と同時に冷蔵庫から冷たい缶ビールを取り出した。
 これも鼻水で抜け出した水分を摂取しなきゃと健康的発想なのだから仕方ない。グラスを持って2階の無線機の前でキューって、これも趣味の延長だ。50MHzはまだEスポ続いていて50.159にて電信交信を聴く。6時半 CQCQCQ DE JE8***まだ北海道が聞こえている。北海道は30度Cを超えたようで九州より九州らしい。先ほど交信したDU2US局 Filさん宅はマニラから北へ320kmの場所で28度と言っていたのでコレよりも高いのだ。(内か外か気にしてなかったが・・もしかしたら28度は室内温度だったかも)、こんな時の夏らしい電波伝搬がスリリングで楽しい。口もとには”男は黙ってPREMIUM MALTS(by Suntory)” 夏はいいなあ。
 (ホントは飲んだらいけないのですが)

 来月は長女の結婚式。そして9月は次女の2人目の出産;その時は爺さん婆さんの家で長男をあづかることになるが、活発すぎる孫と対抗できるかな??どうなるものやら。30年前の親父おふくろは頼りになったなあ。新人の爺さんも婆さんも健康でいなくてはその役目が果たせない。目先の目標は今はそれだけだなあ。
 偉くもならなかったし、(なれなかっただけだけど)それでも未知の孫に会えるだけでも幸せか。早く震災が過去になればよい。タダの平凡な日々がくればよい。ビールの廻りが早すぎるか 散歩のあとはよく効くなあ。
明日は山小屋の後片付けだ。たまにはノンビリしなくては。じゃあ また(^^)/と書いとこう。
 <趣味の世界を一日過ごす>
 
 無線のクマデンですごく懐かしい本を手に入れた。とても分厚くて固い辞典みたいな本。淸水の舞台から飛び降りるつもりで100円を出して買った。中をチラホラみると基本的なコルピッツやハートレーの発振回路などもあって目はトーローンと過去の少年時代に誘われる。

こんな30年前の本がよく手に入ったものだ。

ほら こんなに便利!!(おつほんと威張っておいて)ちゃんと現代でも活用されるなんて(^^;) 
     ↓<活用先>
 右下の写真:本棚に収まった無線機の下で高さ調整用の便利グッズに変化。ARRLハンドブック1988年版100円が30年後にも現役で大活躍だよ!!(そこかよ)

今日は午前中に50MHzでeスポが出ていて、札幌の局と交信した。午後になるとノイズが多い。21Mhz では国内局呼べど取ってくれず。仕方なくフィリピンの局と交信。
ノイズは機械的にあり、一定の周波数で出現する 下段に貼り付けてみよう。
午後4時頃の記録画像です。無線機の左右の周波数での信号の動きをご覧ください。スペクトラムスコープで  ここをみてください。
*動画が開けるソフトがPCにあれば「開く」をおしてください。ソフトなければ変化なしです。

とんがった刺みたいに見える画像が左右に動いている。そのたびにガサガサと音がする。(i-phoneで撮影した画像です)

 自然ダイナモ=火打ち石を地獄の化け物が打ち付けているのか、岩を割っているのやら・・地震と関係あるというXipociの直感です)
と書いてるときも少し揺れた。

<放射線> 19:00 0.08μSv/h
 2016年5月19日(木) 市内の自宅で午前中損保会社から地震保険関連調査があった。岐阜からの支援の方で(地理に不慣れで)タクシー借し切りで調査されていた。その調査に備え、自宅周囲を観察していたら裏口で野良の子猫が何者(きっと年長の猫だろう)かにかみ殺されて血を流し死んでいた。近所の猫の縄張り争いの巻き添えになったのだろう。まだまだ若くて世間を知らないような若者(猫)だった。どうしようかと思っているうちに調査員が到着し、そのまま建物優先モードに。 猫は横たわったまま・・
 一段落して、子猫の埋葬先を妻に相談したら西原村・山小屋の裏山に埋めようと決まった。親切な調査員が帰ったあとに、死骸を妻が新聞紙にくるんだ。そうして、明日行く予定を変更して山行きを決めた。ついでにと・・西原村の山小屋へいつも通っていた大通りの壊れたルートを確認しようと、通行止めの最終地に車を置いて歩いて道路の被害確認をした。 もう別世界が始まっているような錯覚に襲われた。

 地震のエネルギーの凄さにたまげるばかり。この先の大切畑ダムもズタズタになって既にダムの機能をしていない。
 縁もゆかりもないこのダムで油絵を描いたことがある。まさかそこの山小屋で週末を過ごす予定もまったくなかった20代・・あれから40年近くたち、断層の上を往復していたのが・・まるで夢のような事実。・・言えることは、山小屋の後片付けも一向に進まないということばかり。
 (写真は 西原村小森 大切畑の大橋手前)
 萌の里の上空で荷物を降ろすヘリコプター・・重機の一部を運んでいるようだ。地上で組み立てるのだろう。何度も往復していた。俵山にはくっきりと縦型の亀裂と草原には横方向の亀裂がはいっているのは前回と変わらず、萌の里から俵山トンネルまで続く道路もそのままの状態。
たぶんこれから道路の改修を始めるのではないかと期待たっぷりのXipociであった。
 山の亀裂よよく聴け”お前はこれ以上広がることを許さないぞ!!””みんながこの集落を離れることのないように治まれ治まれ!”
<放射線>20:40 0.08μSv/h 、21:15 0.11μSv/h
 2016年5月18日(水)  薄曇りだが晴れ。午前中身の回りの片付けをする。
娘の用事で南区役所へ行った。玄関に市営アパートへの入居抽選結果が張り出してあった。当たった人はしばらく足を伸ばせるが、外れた人はまだ車中泊か避難所生活が続く
6月は梅雨だから、早く住宅が欲しいもの。
 
 うまく当選してもこれまで住んでいた場所から近いといいのだが、遠くなら子どもが転校しなければならない。つらい選択が待っている。

 南区役所をあとにして、宇城市の山の中にある母の特養へ行く。途中の松橋から豊野に向かう道は震災による段差が多く関連工事で片側通行になる区間が多い。
 どこに行くにもこの時期は時間に余裕がないといけない。国道218号線は宇城市~延岡まで繋がる道路。松橋から豊野にはいるとあちことの路面が被害を受けている。統計によると、この豊野は日本で一番地震で揺れる回数が多いそうだ。その揺れ一番の町を通る道路なので・・舗装したあとにまた舗装が必要になるかもしれない。

 本日の揺れの最大は18日00時38分の地震だ。この震源地は熊本県熊本地方(北緯32.6度、東経130.7度)震源の深さは約10km、地震の規模(マグニチュード)は3.6;当然のごとく震度3の揺れ地に「震度3  宇城市不知火町* 宇城市豊野町」とある。以降は震度2程度で終わっている:以上は日記書いてる20時25分現在のこと・(^^)/(あとは揺れない前提で書いてます)
 今日は空ばかり眺めていた。のほほんとしたカンボジアの遺跡で見た天女の羽衣のような ふんわりとした雲が目立つ。

 左のグランドプレーンアンテナの下方の丸く白い米粒みたいなのは月。















<放射線>
 09:00  0.08μSv/h 、20:30 0.07μSv/h、 20:40 0.11μSv/h
 明日は30度以上になりそうだ。
 2016年5月17日(火)  晴天:茨城の地震が続いている。熊本では震度2程度が立て続けだ。いよいよ日本列島は地震の時代に突入か。どこにいても揺れからは逃げられない。
今日は午前中昨日の続きで、Tにてボランティア。午後4時半から近隣散策に出る。
あとはfacebookに書いたこと。↓

木部公園の広場の亀裂は益々深まっているように見える。今日の散歩道で初めてニョロニョロにであった。と言っても尻尾だけだからどんな顔のニョロニョロかも分からない。地震からひと月、自然界はすっかり自然の営みに戻ってる様子、人間界はまだまだ不便と不安ばかりが歩いている。
 地震雲ってあれかなと・・よく空を眺めるがその解釈の真偽はわからない。ただ地下で岩盤が破壊される時のノイズは電波として受けることは出来る、地震以来短波帯は普段よりノイズが多いのは確か。圧電効果だったかピエゾ効果だったか古い記憶で微かなうろ覚えのことは浮かばない。そんなこんなに関係なく緑の5月の自然が眩しい。早く人間界も住環境など解決して、昔のようにみんなが元気になればよいが・・・

.
<趣味>
朝10時前後14MHzを聴いていると会話が途切れて聞こえるような大きな信号強度”1か2”の会話の中"9”までカチッというクリック音が何度も続く、他の周波数3.5や元々ノイズだれけの7MHZでは殆ど気にならないが14から21MHzの周波数ではとても気に掛かる。

 これも岩盤が割れているためのノイズかもしれない・・・と不安で空を見上げると放射状の地震雲に見えてくるから小心者は大変だ。午後9時前に3.5MHZで広島県三次市の局と交信。2mHの小さなグランドプレーンで今日も頑張った。
よく飛ぶものだ。(^_^)v さあ風呂入ってから寝よう!



<放射線> 
 :09:00   0.10μSv/h
 21:20  0.10μSv/h
 21:30  0.13μSv/h
 2016年5月16日(月)  今日はマグニチュード7.3の凄い地震から一ヶ月。外は小雨。夜中の揺れは1回あったようだが感じなかった。ただ眠れなかった。午前中出掛けるときは雨が強くなった。
 Tで昼過ぎまでボランティア。昔の職場の仲間に会って安心した。職場は近くの電気工事の影響か平日の昼間に2,3回突然停電して大変な騒ぎだったよう。今は病院は全て電子化しており(カルテも画像も)一時紙カルテ対応で凌いだそうだ。

 単純作業を終えて帰り道に無線のクマデンに寄った。VHF/UHFのアンテナを常時接続でき念願の窓の隙間に入れるコードを発注。2,3日中に届くらしい。
 台風は予想が出来、必ず終わりがある、だがこの厄介な地震だけはいつ終わるのかも分からない。今日は八代方面でも震度は小さいながら揺れた様子。昨日旦那が迎えにきて八代に帰っていった娘らが心配。
 
写真は雨が上がった今日の夕陽18時48分の様子。黄金色の夕方の空。
 <放射線>13:50  0.09μSv/h

<趣味>昼間には、トンガの中村さんとの近所の局の交信を21.230で狸ワッチ。18時前後に無線再開 18.133MHzにて7K1HMD 神奈川県逗子市の座間さんと交信、レポート交換しながら地震の話をしたが座間さんは震度5の経験があるとのこと。まだまだ日本全体では一部を除いて震度7の経験者は希少なのだろう。と書いて1時間後、JA7BXS千葉さん(宮城県栗原市)と交信したら5年前震度7を経験したとおっしゃっていた。・・わずか地上高4mの物干し棒を使った逆V型で電波があちらこちらにうまく飛んでいるとは信じ難い。4日前は茨城龍ケ崎市の局との14mHZの交信では2mの高さのGPアンテナでも大丈夫だった(=私が同調周波数を合わせるのに都合よい高さ)相手の設備次第だと他力本願の無線運用である。夕方は28MHzも開けていた。趣味とはいえ・・家にいながら未知の人と会話出来るチャンネルがあることはありがたいものだ。

         西原村の山小屋に咲くアザミ
         刺を隠しながら、パッとまわりを明るくしている。

     
 2016年5月15日(日)   早朝から烏の声がやかましいなあと思っているうちに午前6時36分の揺れでしっかり起こされた。西区が震度3,南区では1という情報だが、気分的には震度3。まだまだ揺れは収まりそうもない。そんなきっかけで日常が始まった。

 山小屋に着いたのは11時40分、震災ゴミは12時で一度締め切り、午後は1時~5時で受け付けしている。今日は壊れたテーブルのガラス、それと天日のガラスの片付けが主な仕事。
 暑すぎる日よりに汗ダクダクになって・・
結局南区の自宅に帰り着いたのは午後6時、汗をシャワーで流している時にまたグラっと揺れる。
 時間は18時9分西区で震度3・・だったらここでは(マグニチュード3.9)震度2だったかと換算。午前には10時頃、岩手県沖でも揺れたそうだ。
 
明日は雨、山には行かない。Tでボランティアでもしてこよう。駐車場があるかな?車社会、雨の日はあぶれるかな。
書いてる最中にも揺れあり。揺れると次々だ。今度は宇土、松橋、不知火、豊野で震度2,震央をネットで確認すると、これは前と同じ布田断層帯の揺れか。
日奈久断層の上に9月出産予定の身重の次女と孫らがいる、揺れはずーっと先伸ばしで400年後にしてしてほしい。ダメの時の猶予は「せめて20年は欲しい。」と地獄の神にお願いする。その時、私は80代で生きてる可能性はゼロに近い(^^;)、娘は50代、孫は22歳と19歳なら自分で逃げ出せるだろう。
 今春から本格的に薔薇園づくりをする予定だったが震災のために・・庭には雑草がいっぱい。

写真は、草刈りを頑張る同居人。庭はこれからまた大きな草が容赦なく生えてくる。闘いは続く。


今日の成果は1/5の場所取り、既に薔薇は雑草に埋もれながらも精一杯咲いている。天気がよい時に限って通いながら庭造りするつもりだが、次行くときはまた雑草に奪還されていることだろう。

 断水中の山小屋には下界から水道水を運ぶ。トイレにも、植物にも水はたっぷり必要。たっぷり水を使えた一月前が恨めしい。

帰りには空になったタンクに塩井社の湧水をたっぷり詰めて下山する。・・それもうまい珈琲を飲むためだ。ここの湧水は相変わらずうまい。この水もこれまでは大切畑ダムを潤してきた水脈の一つだ。
<放射線>22:30 0.11μSv/h
 2016年5月14日(土)  今日であの震災(1回目)から一ト月・・・あっという間に季節は春を通り過ぎて初夏になったような気がする。片付けに行った山小屋の庭は薔薇が満開だった。開店したての頃、西原村のギャラリーカフェAZUL(私の山小屋)に来てくれた俳人の長谷川櫂さんから度々庭造りにと送って貰った薔薇も十数本になる。まったく花の世話に素人だから季節的にメールで指導もはいる。時々現況を写メールで送らないといけない。たい肥、害虫予防にとラベンダーも植えさせられたけども・・
 ラベンダーがあっという間に枯れて、薔薇の葉ばかりが威勢のよい時もあった。(^^;)・・
 だが時々訳も分からず枯れる薔薇もあった。威勢がよいのに突然枝が黒ずんで弱々しくなって枯れた枝2本。震災後は草取りの暇もなく周囲に雑草がはびこってしまったが、薔薇が雑草のように堂々としていて頼もしい。でも生き物はすぐに変化するので素人にはとても難しい。時間をとって草取り作業に集中したいのだが、今は瓦や割れたガラスの後始末に追われている。
 今日は薔薇の花を市内に持ち帰って居間で皆(私と妻と次女とその子)で眺めている。薔薇を送ってくれた櫂に「ありがとう」のメッセージを送った。
もっと手を加えるとさらに綺麗な薔薇が誕生するのだろうが、余裕出来てからの話になる。白い花びらはドイツ薔薇で、山に来たときには株だけだった、初めてここで咲いたので2016西原震災薔薇と名付けようかな。

   右の欄の花瓶の中が山から持ち帰って薔薇たちだ。色鮮やかだ。その隣も。

このまま揺れも少ない一日を終わりたいなあ。
 <本日の放射線量>21:15 0.09μSv/h

屋根のブルーシートかけ直しのあとは、下の場所が私の今日の作業現場。妻は台所を片付けていた。

西原村小森の今日の作業現場は片付かず・・汗ばかり出る日だった。これも賽の河原で石を積む作業かもしれないと・・余震を気にしながら。・・本当は屋根の上で余震を気にするのが普通の人だけど・・


























西原村役場で被災証明書(事業所なので)とガラスなど捨てるための「許可証」を交付してもらう。待ち時間もなく、担当の女性職員には気持ちよい対応をしてもらった。・・4時半過ぎ慌ててゴミ捨てのための荷積み。什器の割れ物中心で重くてなかなか運べず、段ボール箱2つだけしか今回は持てず。災害ゴミ置き場の終了は17時、あと8分くらいで閉まるという時間ギリギリセーフ。慌てて飛び込んだら、そこには他県から派遣された公務員の方やボランティアの人たちが、重すぎる段ボール箱を持ち運んでくれた。ありがたい。
 ゴミ置き場をあとにして、自宅へ帰るルートを探していたら偶然益城を経由する道を発見。寺迫の交差点から田んぼ道へ抜けて嘉島へ向かった、その寺迫の左右の住宅の被害の酷さに地震ー断層の怖さを再認識。新しい家も古い家も、まともに建っている家がない。震度7が2回もきたらたまらない。建築技術ではなく「土地と建物一体型構造物」を考えなければ解決しないだろう。(=土地と建物一体型免震施設が必要になるのだろうか)

明日も晴れたらガラスの排出と本棚の片付けだ。・・つい中を読んでしまうので復旧が進まない。
     
 以前の日記は→  震災直後編vol 1 2016年4月16日~5月13日の日記帳はこちら  vol4 7月17日~8月16日版  vol5 8月17日~9月16日版      vol6 9月17日~10月16日版
vol7 10月17日~11月16日版         vol8 11月17日~12月16日   vol9 12月17日~最新はこちら