おっちょこちょいXipoci日記
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記録日  客観的 主観的  趣味的 
 
 2017/08/16(水)  初盆で帰省した兄がi-padに神戸の自宅のTVを転送して観ていたので、どうしたのか聞くとIOデータのビデオレコーダの転送画面のようで不思議な光景をみた。関西のTVがwifi下ではちょっと遅れがあるものの、ちゃんとした画面で見えていた。あらまあ不思議・・出先での(自宅デッキの)録画も自由にできるようで、いつも最先端を行っているつもりの田舎者の私が思わずつられてしまった。・・と今日は夢タウンの電気屋さんで、似た機能のデッキを見つけた。FUNAI,SONY、PANASONICが並んでいて店員さんに確認するとやはりIOデータのが面白いという。FUNAIのも充実しているが私は我が家のTVと同じPANASONICにした。いつも1チャンネルしか録画できないと言って不満気味のTVっ子のご主人様のために奮発して・・1Tで3チャンネルでスマホからも視聴できるものをと衝動買いしてしまった。(^^;)・・設定は簡単、有線LANがどうしても繋がらないために、無線で対応することに。世の中もっと便利なものがあるに違いない・・知らないのは視野狭窄の我が輩だけかもしれないぞ。i-phoneにもi-padにも専用アプリを取り込んで今テストしているが、こりゃあ便利だ。(神戸でHPみてニヤニヤしているだろうなあ) 今日の読書
『黎明の笛』数多久遠著・自衛隊内部の反乱劇の描写。女性3佐を縦軸に・・と私の視野狭窄の範疇を広げるために勉強してる、私の住む世界とは違う世界の駆け引きが・・今半分まで読み進めたところ。武器は使うためにあるという恐ろしい思惑・・どうなることか。

<地震>
21時51分頃 奄美大島北西沖 M5.7 震度2
21時44分頃 新潟県上越地方 M1.9 震度1
18時32分頃 熊本県熊本地方 M2.3 震度1
14時31分頃 千葉県東方沖 M3.6 震度1
14時17分頃 三宅島近海 M3.7 震度2
04時39分頃 伊予灘 M3.9 震度2
00時04分頃 茨城県沖 M3.9 震度3
 <趣味>
今日も空には出ない・・代わりにクマデンへ情報収集に出掛けた。そこへ知り合いの大先輩がトランシーバーと電源修理にお出でになっていて少し話した。KSNハムクラブの会長さんだった方で、同好会再建の話しをして、地震で立て直した自宅からオンエアできそうになった様子。でも電源コードとアンテナコードの新調が必要のようだ。来週くらいには空で会えるかもしれない。・・
 めぼしいガラクタもなく今日は何も買わずに引き上げる。そのうち、何か大きな買い物するかも(それも衝動買いかな)・・

<HDのフォルダー毎不明になった>
こんなことってあるんだなあ。貴重ファイルは二重に保存しなくてはと思う。
<放射線>
22:00  0.08μSv/h,  22:15  0.11μSv/h
*今日は16日 明日からまた 新たな日記のページが始まる。
 2017/08/15(火)  もう15日終戦記念日だ。奈良から車で来た姉たちは朝ご飯のあと南に下った。昨夜より雨と雷雨がひどかった。熊本市内と南部は大雨だったようで八代では小さな川が溢れたとのニュース。午前11時には北部で雨もやんで曇り空に戻った。
 今日は兄を16時に飛行場へ送ったら大体私の出番は終わるので少し自由になりそうだ。あと半年で1年忌・・さてどうしょう。3年忌、7年忌は覚悟していたが、どうしたものか。

熊本は雨の1日だった。元気なのは植物ばかり、猫もヒトも窓ガラスを閉めた部屋ではクーラーなしでは過ごせない・・夏休みで子どもがたくさんいるところでは大変だろうなあ。夜7時過ぎても大降りの雨、時折遠くで雷鳴が聞こえている。今年の夏は雨ばかりだ。
 

<地震>
04時01分頃 大隅半島東方沖 M3.6 震度1
00時59分頃 網走地方 M2.9 震度1
00時50分頃 福井県嶺北 M2.8 震度1
 書きかけ
 <趣味>
少し手が空いたので受信だけ再開。14MHzも21Mhzもビーという電気的雑音が強く妨害をしている。

<阿蘇くまもと空港フォトコンテスト2017のチラシをみた>メモ
8/1~8/31入賞グランプリで賞金5万円だって・・・
参加費無料 発表は10月中旬  四つ切りorB4サイズ
飛行機とともに自然と阿蘇くまもと空港の魅力を表現したもの・ならば撮れそうだなあ。応募作は熊本空港ビルディングKK企画営業課

<放射線>
19:00 0.09μSv/h
19:15 0.08μSv/h
 2017/08/14(月)  どうなるものかと思っていたけど、ご主人様も快復し、お坊さんも、仕出しやさんも全て予定通りの到着で、母の初盆を迎えることが出来てホッとした。今午後6時、後片付けの最中に一人PCに辿り着き記入する。ああ律儀だなあ・・  昨日の出来事を考えると神様に守られているかなと思う。
<地震>
18時11分頃 千葉県北西部 M4.5 震度3
16時17分頃 茨城県北部 M3.2 震度2
12時06分頃 三陸沖 M4.7 震度1
08時11分頃 有明海 M3.5 震度2
0時12分頃 秋田県内陸南部 M2.5 震度1
 趣味も省略だ。外に出れば虫が多い。
 2017/08/13(日)  初盆で集合する兄弟を迎えるために、掃除などして、頑張った。10時頃より緊急事態発生。緊急事態ではその夜はカレーしか思いつかない以下省略  省略 思わないことが突然起きてとてもビックリした。こうした事態は起こるのが当たり前の世界なのだ。空港に迎えに行くが駐車場は満車だった。凄い混みようだ。

<地震>
19時40分頃 後志地方北部 M3.4 震度2
13時19分頃 長野県北部 M2.9 震度2
12時18分頃 浦河沖 M3.5 震度1
12時13分頃 浦河沖 M3.9 震度2
07時13分頃 網走地方 M2.2 震度1
06時16分頃 宮城県沖 M3.5 震度1
03時23分頃 種子島南東沖 M5.1 震度2
02時07分頃 埼玉県南部 M3.9 震度2
趣味もすべて省略の日。
 2017/08/12(土)  今日は山小屋で客人を迎えるための準備に追われる。
 よい具合にお客様もなく、布団干しが進んだ。あとは14日の初盆本番だ。15年前の父の時のことは殆ど覚えておらず。自分ながら薄情なものだ。山は暑さにむせていたが夜になると寒くなる。朝方には布団を引っ張り出すほど寒くなる。山ではもう秋が進行している。
 薄着で過ごせるのもあと数週間のうちだ、だんだん肌寒くなって、秋が深まっていく。
9月終わり頃にでも薔薇がさかないかな。・・
 昨晩はこの地域(袴野地区)の花火大会だった。9時過ぎての花火、ポンポンと山にこだますると、戦争の大砲の音のような気がした。漆黒の森の奥が時々赤く輝いた。
 もうすぐ8月15日戦争が終わった日が近づく.当時この辺はどうだったのだろうか。東区では大きな焼夷弾の不発弾が見つかって撤去時には交通止めするくらいの大騒ぎになった、72年後の時限爆弾だ。
北がグアムへ向けてミサイル実験をすると言えば、アメリカも大統領が血相を変えて応対している。まるで子どもの喧嘩のよう。だが万一の場合は日本はタダでは済まない。覚悟あるの日本人はいかほどあるだろうか。何としても戦争は避けなければ、・・軍事産業を利するばかり、アメリカでは軒並み下がる株の中で、ロッキードとか軍事産業んばかりが株を上げているようだという解説を耳にした。それに日本円が買われているので円高傾向109円台になってしまった。愚かな戦争には個人としても巻き込まれたくない。戦争に関係ない場所での市民の死は何の利益もないのだから。

 <地震>比較的揺れが少ない日だから用心だ。
鹿児島はなかなか収まらない。
15時08分頃 千葉県北西部 M3.2 震度1
06時41分頃 秋田県内陸北部 M2.9 震度1
05時10分頃 鹿児島湾 M2.0 震度1
 <趣味>
V型アンテナは1.8mhとジャングルの様な草原に埋もれてしまいそうだ。ついこの前まで自由自在に足が運べていたのだが、草刈りしないと歩けない状態だ。夏の邪魔者、雑草とヤブ蚊がここの名物だ。夕方4時過ぎると一人一匹ずつ蚊の案内人が付く、時には左右の耳にVIP仕様で案内が付く。
 蜂も構わず飛んでくる。大きな蜂が頭の上を廻ったりするがもう慣れたモノ。あまり動じないと奴らは通り過ぎてゆく。
 2017/08/11(金) <お盆>
 山の日で祭日・・こんな日が祭日なんてカレンダーをみるまで知らなかった。どうせなら13,14,15日もお盆休みとして公式な3連休になれば休みが取りやすいだろうに。現役時代もお盆は休みでなく、職場の中で誰が休みを取るかを決めることが大変だったような思い出がある。みんなお盆に休めたら精神的にもスッキリするのだが、それぞれ任せになって曖昧だ。盆と正月くらいは公休にすべきだろう。お盆の曖昧さと反対に正月は全国的に公休のようだが・・・

<KSNハム同好会>
本日も空振りとなった。みんな忙しいのでしょうね。そのうちに空へ出てくる方もきっと増えるかな。KSN「空のミィーティング」は金曜日午後8時~8時半 145,140Mhzまたは(混雑してたら)+40Khzupにて。
 ・
今日も熊本は揺れた。揺れる場所が少し移動しているような気がする。まだ揺れが足りないところを少しだけゆらしてるだけだろうか。エネルギーの無駄使いだから、もうそろそろ終わりにしてくれるかな。
<地震>
23時05分頃 北海道南西沖 M3.3 震度1
22時54分頃 有明海 M2.3 震度2
22時42分頃 宮城県沖 M4.1 震度1
22時05分頃 福島県沖 M3.6 震度1
16時57分頃 長野県北部 M2.8 震度1
16時48分頃 長野県北部 M2.9 震度1
16時46分頃 長野県北部 M3.9 震度3
11時34分頃 沖縄本島近海 M3.2 震度1
04時33分頃 長野県南部 M2.0 震度1
00時05分頃 千葉県北東部 M3.7 震度1
 <趣味>
相変わらずだ・・本日の成果KSN空の会話はゼロに終わった。それでも、呼んでいるときに、通りすがりの局があって3局と交信、その後先週更新した荒尾の方と城南の方との交信で計5局(ログに控えて)1日計5局と収穫があり。自己目標の1日1局にも余裕が出てきた。

10Mhzの電信を聴いたり、3.5Mhzの会話を聞いたりして午前0時日付変更線を超えてしまった。今日はこれくらいにするか。

そんな間にも小さな虫が足を刺して痒くなった。外に一番近いシャックだから、蟻も堂々とパソコンの上を往来する。「ここは俺の町だぞ」みたいに虫たちが大きな顔をしている西原村の山小屋シャックの中。夏は特にへんな虫たちが私の足に這い上がって遊んでいる。もぞもぞと・・パソコンのDisplayにも黒い虫が右から左へ。まあ自然の中だからしょうがないか。人間が後発で侵入してきたからなあ。
 2017/08/10(木)  暑いなぁと思う日々が続く。今日は8月10日。明日は11日いよいよ母の初盆(予定では14日)が近い。全てうまくいくと良いがそれぞれに問題がある。まぁ仕方ない。母をちゃんとお盆で向かえてまた送り出そう。そういえば母も時々山小屋で過ごすことがあったなぁ。春先は白い花赤い花を見たこともある。それに震災からもう1年が経つ。それも含めて山小屋も4月から復活することができた報告も兼ねての会場だ。他に気にかかることは、”孫の手足口病がは早くなおりますように”と願うくらいかな・・

 午後友の会に行き「秋版だより」発行打ち合わせを済ませた。表紙は立派な写真を頂いた。おかげで毎号大助かり。私も綺麗な写真が撮れたらなあ。・・・
 その後4時過ぎには帰ってくるといって家を出たものの4時半過ぎになっり(予定では一緒に買い出しにいくはずだったが)、ご主人様一人で出発したあとだった。帰宅後、少しご機嫌斜めに・・
 猫は暑いのに食欲旺盛・・私は暑さに負けて体がだるい。クーラー病かも。やっぱり贅沢は敵だ。大好きな夏が少しずつ遠ざかっていく。夕方近隣徘徊。公園や道路に草の活気が戻ってきた。小川も山小屋も 草ばかりはお手上げだ。何度刈ってもすぐ伸びる。
 

「富士山噴火」高嶋哲夫著(集英社文庫)を完読641pもあるので時間がかかってしまった。この物語は2030年に南海トラフ大震災で22万人が亡くなったと仮定した後の3年後に富士山が大噴火するという想定での小説だ。確かにありえる話しで物語にここ数日、引きずり込まれてしまった。だが、当たり前の存在と思っていた富士山が300年を超えて沈黙を破り噴火が始まる。それはとてもたいへんな結末を招くものに・・読んで頂くことにして・・その日を境にして非日常が始まる。
 もしかしたら今日かもしれないし100年後かもしれない。だが必ず来るのだから困ったものだ。(もっと身近に阿蘇山もある)

最近全国的に揺れている。
<地震>
20時48分頃 茨城県沖 M3.5 震度1
20時07分頃 熊本県熊本地方 M2.6 震度1
16時34分頃 岩手県沿岸北部 M3.7 震度2
14時21分頃 和歌山県北部 M2.6 震度2
11時21分頃 長野県南部 M2.5 震度1
09時58分頃 長野県南部 M1.9 震度1
09時39分頃 長野県南部 M3.2 震度2
09時36分頃 千葉県北西部 M4.9 震度3
09時07分頃 奄美大島近海 M3.8 震度2
05時19分頃 熊本県熊本地方 M2.8 震度1
もう一つの今日のネットの記事に注目した。YOMIURIONLINE 高度上空で起こる核爆発でおこる「電気のない世界」の恐怖に身震いする.。文明の利器に頼りすぎている我々に対する未来予想図のようでもあり、間近に迫っている恐怖でもある。地震や火山噴火の自然災害に比べてこちらは人為的なので停めようと思えば阻止できる。まずは、お互いの理解が大前提だろう。それを拒否したら我々地球人は滅亡してしまうだろう。それにその武力を使っただけで、実施國だって滅亡は免れまい。核に頼るのはそろそろ人間はやめてしまったほうがよい。

<趣味>
今日も1局との交信をと、7Mhzで21:13になって愛知県豊川市の曲と交信。59プラスというレポートみに貧弱アンテナアンテナの主は大喜び。

 <予定>
8月11日 山小屋へ仏壇写真移動、供え物を忘れないこと
8月12日 奈良の姉に大津のホテル確保済み
8月14日午前11時 母の初盆で坊さんが来る。用意すべきこと沢山あり。
 2017/08/09(水)  本日は孫の子守に出掛けた。手足口病なんて病気じゃないと思いながら元気な孫が・・ハイハイもできなかったのに(というか興味がなかったのだろう)9月で一歳になるのを意識してか、立ち上がって歩こうとしていた。人間の成長も凄いものだ。泣くだけの赤ん坊が好き嫌いを示して、自分の人生を創ろうとしている。パソコンで言えば、フォーマットされて、OSさえも搭載してない真っ新な真っ白な脳みそにソフトが、言語が、動作が、好みが次第に書き込まれていく、わずか365日の時間。不思議なことに全ての人間が辿ってきた経過がやがて2本足歩行を始め、小さな人間がまさに今が進化の過程を示しているのだろう。関係者はそっと見守るしかない。
 元気に育ってくれますように。
そんな願いをする爺になった。時間は人を変えてしまう。爺さんは遂にはその脳みそも軽くなって、煙になって、地球の風になってしまうのだろう。風は地球の餌になれればよいか。
今朝は水俣の陣内で震度2があった様子。陣内は私が20代の頃住んだ町だ。昔、この界隈では詩人の淵上毛銭(本名 淵上 喬 )が寝ていた場所だ。ずっと後になって、知人の柏木敏治が彼の詩に曲をつけて歌うのを仲間たちと何度も聞いた。
*参照 あれんじ
山小屋でコンサートも開いた・・その毛銭の葬式で(故)池尾寧(やすし)さんが昭和25年市文化葬当日霊前にて朗読されたという弔詩<故 渕上毛銭の霊に捧ぐ>・・という池尾さんの手作り詩集「どじょう」にも記録があった・・すぐにそんな場面を連想させる地名だ。あれから35年以上経ったろうか。そんな場所も小さいながら揺れている。
 <地震>
19時31分頃 釧路沖 M3.4 震度1
17時57分頃 トカラ列島近海 M2.2 震度1
12時14分頃 鹿児島湾 M2.6 震度2
08時10分頃 福島県沖 M3.6 震度1
05時57分頃 熊本県天草・芦北地方 M3.0 震度2
03時20分頃 鹿児島湾 M2.3 震度1
01時59分頃 鹿児島湾 M2.4 震度1
00時50分頃 宮崎県南部平野部 M2.3 震度1
 <天気>
朝から空が曇り大荒れの天気になった。構わず車を南に運転していくと次第に明るくなってきた。今夜もまた夜半に雲が通過するかもしれない。
<趣味>
戦後72年アジアでは独立を記念した記念局が多く、この時期に出ている、今日は韓国のHL72Vという記念局が出ていた。交信する日本局も多かった。この周波数では交信する局の気が知れないみたいな口調でその交信を妨害するような日本局の声も微かに聞こえた。いいじゃないか誰が誰と交信しようと。。私も交信に加わった。空の仲間には区別も差別もありやしない。みんな仲間だ。おめでとう解放72年局!!足下の日本は未だにアメリカから解放されてないというのに。
 2017/08/08(火) KSNハム同好会支援小説「空の上で」
 
No6<利雄の兵法>

誘導雷の話しは周囲をハラハラさせるだけの禁句だった。今になって利雄は無線の天敵である雷様の話をしたことの後悔を始めたがもう遅すぎた。お守り札の話しも詳しく話せば話すほど・・あらよあらよという間に百合子の顔色や態度は硬化の一途を辿って甘茶無線の発展どころか、今、辛うじて立っている3m足らずの高さのアンテナの撤去を申し渡されるのに違いない。そんなわけで軽はずみに誘導雷の話しも口(嘘)から出た実(まこと)、いや 身から出た錆だ。的外れの言動に利雄の行く手を自ら遮ることになってしまった。「もうこれ以上のアンテナの話しは駄目だ」と観念した利雄は今あるアンテナを守らねばと突然、話題を変えた。不利な体勢を自覚する利雄は「そういえば昔、結婚前に無線の免許を取ったじゃないね」「だからなんね」という表情も変えない百合子、「せっかくだから再開せんですか」と利雄は猫撫で声で話しかける。驚くような即答が返ってきた「私はせんよ。あんたと違うて毎日忙しいんだから」想像通りの素っ気なさだ。それに反応するような華奢な精神の持ち主ではない。その言葉を反芻するように百合子の若い頃のことを思い浮かべていた。
・それは、まだ結婚前のことだった。利雄が百合子に出した結婚の条件が「無線の免許を取ること」だった。仕事を中断しての国内留学というか専門の勉強に出るとき、そっちの試験も大変だったはずだが・・そんなことにはお構いなしに利雄は自己中心的に勧めた。(逆に利雄に出された条件はすっかりその場で希釈していた)電話代が高くつくからと「連絡は無線で」と言ったらすぐに百合子は一番近い電話級甘茶無線の国家試験を受けた。結果に喜んで利雄は中古の短波用の無線機を引っ越し先へ送り出した。だが大都会の学校へ通い民家の食事付き間借り生活では、肝心のアンテナ問題に
 利雄は気づくこともなかった。卒業まで一度も交信せずにそのまま梱包されたまま無線機は帰ってきた。その無線機の代金を電話料金に換算したら、たぶんずーっと朝から晩まで1年間は話せただろうに。利雄の経済観念がないのは今も昔も変わらない。まさか都会で7Mhzのダイポールアンテナが張れるはずもない・・それでも未練たっぷりに「あの時一度でも交信できていたら今の状況は随分違っていたのだろうなあ」と思う。
 その頃を思い返すと百合子は今と全く違って素直だった。あらあら・・、どこで間違ったのだろう。苦いお酒を飲みながら、その夜 利雄は夢を見た。7Mhzの真ん中付近で会おうと手紙に書いて、学校も職場も休みになる日曜日の午後3時、外は冷たい秋風が吹いていた。予定の時間よりずっと前からマイク片手に利雄は赤くなった真空管を2時間以上も見つめていた。「ハローCQ」「ハローCQ」「こちらは大都会の百合子です」雑音の中に浮かびあがる音声信号が一つ、「オツ 見つけたぞ! こちらは田舎の利雄」・ますます甘茶無線にのめり込む若い二人の世界がぼんやり浮かんだ・・あの頃の百合子は清楚で純情で綺麗だった。(と後々の対策で書いとこう)・・そんな夢も明け方には・・娘の電話で目が覚めた。「手足口病のようだから、すぐに来て頂戴!、私は今から出勤だけん、すぐに来て!」ゼロ歳の孫が保育園に行けなくなったらしい。寝ぼけ眼に利雄は「ハローCQ」・・「何ゆうとるのよ」電話の受話器を取り上げた妻の顔は雷様のようで怖かった。・・すべては夢であった。しばらくすると、さっさと身支度し、孫が待つY市へと車の運転を急ぐ爺さん婆さんという普段のロールモデルに2人は戻ってゆくのだった。  
 つづく
                   北北東
 <地震>夜9時過ぎに会議を終えて自宅に帰ってメールチェックしているときにドスンと直下型の揺れを感じた。階下でご主人様も大騒ぎ。「今のは大きかったね」と友だちに電話していた。TVをつけると震度3とか・・でも、もっと大きそうだけどなあ。久しぶりの大揺れだった。まだまだ揺れは続きそうだ。今日のKSNハム同好会支援小説メーリングへの投稿の最後に・・これも不思議なことだが・・・ 「地震にご用心」と付け加えていた。どうしたことだろう。 気分的に今日は地震が支配しているようだった。あのオレンジの月を見たからだろうか。
(写真は気象庁地震ページから)
21時28分頃 熊本県熊本地方 M3.9 震度3
19時25分頃 茨城県南部 M3.4 震度1
17時51分頃 沖縄本島近海 M4.0 震度2
14時49分頃 沖縄本島近海 M5.0 震度3
11時13分頃 有明海 M2.2 震度1
09時37分頃 有明海 M2.2 震度1
07時35分頃 宮城県沖 M4.0 震度2
04時54分頃 鹿児島湾 M2.3 震度1
03時14分頃 西表島付近 M3.5 震度1

<趣味>埼玉の局と1年ぶりの交信を21Mhzにて行った。
 2017/08/07(月)  <いつもの散歩道>きれいに草刈りがしてあった。ニョロニョロ対策のぴょんぴょん歩行がやっと改善された。だがこれもすぐに草茫茫の田圃道になるはずだ。
 わずか一瞬の散歩道。今朝5時半の草刈り機の音は勘弁してあげよう。台風一過今日は暑くなった。青空の下でGPアンテナ再構築した。
 あとは読書の時間に充てた。8月の暑すぎる昼下がり。台風直撃を免れた田圃には、抜いてあった水が再び戻っていた。
 いよいよ夏本番と思っていたら、明日8月7日は立秋だ。(二十四節気の第13)
いよいよ秋になる。
 思ってもいないような超スピード。台風5号と正反対。歳を取るはずだ。
 収穫の秋も近い。
21時の空を見上げたらオレンジ色の満月だった。今日は地震に注意の夜だ。

<地震>
20時24分頃 長野県南部 M2.5 震度1
15時20分頃 福島県浜通り M2.8 震度1
15時12分頃 宮城県沖 M3.6 震度1
14時29分頃 網走地方 M2.1 震度1
12時26分頃 福岡県北九州地方 M2.3 震度1
09時39分頃 鹿児島湾 M2.4 震度1
09時24分頃 鹿児島県薩摩地方 M3.3 震度2
02時55分頃 宮城県沖 M3.9 震度2
02時16分頃 滋賀県南部 M2.6 震度1
 <趣味>
21時過ぎ、3.5Mhzはコンディションがよい。他は駄目だ。台風の余波で時々風があったが、GPを再びあげて、SWRの測定。2階と1階を十回ほど往復して、汗びっしょりになった。たまにはこんな運動もよいかな。それでも7Mhzはうまく収まらず。別支度の逆Vで7/14/18の面倒をみることに・・ということは相変わらずだ。

 <気がかり>
 孫が手足口病に罹ったらしくSOSが来た。あさってしあさって、応援せねばならないかも。明日は18時から会議が入っている。・・いろいろ重ならないとよいが。
 今週は日曜日を境にして忙しくなりそうだ。
 2017/08/06(日)  夜中は台風の影響で風音が強く、もしかしたら近づいてくるのではないかと心配になった。朝起きて台風情報に触れたらまだ種子島前後、遅すぎる台風・・逸れろと祈っていたように午後の予報では宮崎と四国の中間側に逸れそうだ。なんとか災害を免れるようで安心。
 あとは母の初盆まで何事も起こらないことを祈るばかり。私に残された能力は「祈る」という行為ばかり。 災害を吹き飛ばす能力も実力もないので、ただ頭の中で災難が遠ざかりますようにと。
 森の中の栗の木の下に強風の犠牲者がいっぱいゴロゴロと落ちていた。ああ可哀想に。寿命を全うできなかった栗の少年たち。来年こそしっかり実りなさい。
 台風休憩の合間に西原村の山小屋で庭の草取りを命令された。こんな感じで薔薇の枝も雑草の中に埋もれている。それでも小さな赤みがかった花のつぼみをつけていた。暑い中に頑張る あちらこちらに枯れかけた小さな薔薇の花びらが//さっそくレスキューに取りかかる。蚊も雑草の肩を持って私の(肩)腕にとまっていた。だが来週行くとまた雑草と区別がつかなくなっているかもしれない。  <趣味>14Mhzで今日もYB72RI/6、今回はスマトラ島移動の記念局。インドネシア独立72年記念局は2回目、先日はポータブル3だった。 8月1日から6日までの交信数は13局・・7月不足分に4局とって8月分は9局なので8月9日までは楽ちんだ。(1日1局のノルマは達成中)
山小屋から降りてきて22時台ワッチすると7Mhzは夜中も国内がよく聞こえている。
<読書途中>
  「富士山噴火」高嶋哲夫著(集英社文庫)の続きだが、大きな災害が一段落した(この本では南海トラフの大地震のあと)数年後に火山が大噴火する話だが、実際に起こりうる話だが、被災者には追い打ちをかけるばかりの悲惨さ、日本は立ち直れるのだろうか・・という途中までよんだとこ・・こんな日記なんて飛んでしまうなあ。

<放射線>
22:15 0.09μSv/h
22:30 0.08μSv/h
 2017/08/05(土)  午前中は晴れ間があって台風のことは遠くに感じていたが、午後6時頃から風が強くなった。目の前の小さな青い実を付けた栗の木が大きくうねる。こんな台風の前にお客様が合計8名来られた。というのは奇跡的だ。明日まで頑張るか。・・・
<読書>「富士山噴火」高嶋哲夫著(集英社文庫)を一昨日クレアの書店で手に取ってみた、少し面白そうだったので買った。最近は節約のために図書館で借りることを原則にしているが、この本は 初版が2017年6月20日だからまだ新しい。こんな最新号なんて図書館には、さっぱりないし期待も出来ないので仕方ない。この物語は南海トラフの地震後に焦点をあてて、富士山が噴火するという想定の小説である。ノンフィクションに近い事実も織り交ぜて、想像も膨らむ。
 そういえば今日のYahooニュースで「100km上空で核兵器を爆発させると、電磁パルスで日本全土で大変なことに」なるという記事を掲載していた。電気が使えなくなる、電子回路も無効になり、個人のキャッシュカードも使えなくなる。飛んでる飛行機も墜落するという。そんな大きな電磁パルスが発生するrたしい。そうなると全国全て停電、原発は制御が効かなくなってあちこちでメルトダウン状態。パソコンも、銀行も保険もサッパリ使えなくなる。日本人全員がサバイバル時代にはいるそうだ。そうなると強いモノしか生き残れない。電子部品多数使用の自動車も交通信号も全く動かなくなるそうだ。地上100kmで核爆発。それは許せないがどうやって阻止出来るのだろうか。そんなニュースが某国の行動を誘導しないかと私は心配する。考えすぎだろうか。

<地震>
16時01分頃 宗谷地方南部 M2.5 震度1
11時22分頃 トカラ列島近海 M3.0 震度1
07時55分頃 茨城県北部 M4.1 震度3
 台風上陸前日の夕方、19時直前には夕陽が森を照らしていた。
 虹が空の一部見えていた。明日ははたしてどんなことが待ち受けているものやら。
 風は森の葉っぱをザワザワと揺らしている。まだまだ遠い地にある台風なのに、既にその呼吸は遠くの阿蘇俵山麓まで揺らしている。自然は凄いなあ。
 週明けの7日は立秋。もう秋になるんだなあ。その後は少し暑さはなくなっていくのだろうか。既に夕陽が少しずつ早く沈み始めているのは感じている。そのうち寒くなって昼間の時間が短くなるんだな。(なんて今頃嘆いてもなあ)
 <趣味>3
北海道は寒いそうだ。今日は無線上ではコンテストがあっていた。その「第60回フィールドデーコンテスト」は3.5から430MHzまであってそれぞれが混雑していた。今日は声は出さず、ジッとワッチに努めるつもりだ。
規約では、50W以下(移動局ゆえの出力制限)2017年8月5日(土)18:00から6日(日)12:00(JST)までとのことだが、移動していないのであんまり興味はない。だが、そのうちに車を動かして絶景な場所から出てみたいものだ。
 仕事を終えて風呂にはいり一安心して冷たいビールを飲みながら日記を綴るこの時間が私にとっては優雅な一瞬だ。
 近づく台風が少しづつ心配になってきた。時折、雨音、そして時折、風音、 森の静寂を破る夏の台風5号、震災被災地での影響は大きい。
 そういえば奄美の古仁屋には20歳前半で行ったことがある(研修などで)、その地が、50年に1度の大雨というニュースが流れていた。あの頃出会った皆さんももうよい年齢になっている。もう人生をリタイヤされて天国に行かれた方も多いかも。無自覚な一瞬一瞬があとで考えると、どこかで深くつながっているような気がする。夏の嵐の前の山小屋の中で。青年は老人になって過去を思い出す。
 2017/08/04(金)  本日から山小屋暮らし。台風5号の行方はどうも直撃コースが濃厚になってきた。それなら少しくらい弱くなって欲しいものだ。でも大きな顔をしてやってくるんだろうなあ。
 8月は母の初盆をやる。私が全て窓口だから忙しくなる。今日は仏前料理をお願いしたら、すべて予約でいっぱいですとのこと、他に仕出しをしてくれるライバル店を教えてくれと頼み込んで、なんとか押し込んで貰えることになった。だが配達は希望の時間から遅れてしまう。その前に一番心配なのはお坊さん大丈夫だろうかと先ずは思ってしまう。空港から近いし大きな車も何台も駐めることが出来るように仏事の会場を山小屋にしてしまった。だからこの場所分かるだろうかというのが一番の課題。途中の道路は震災で大きく変更されているし、小川町から遠すぎたかも。
新聞を読んでいたら「再生エネルギー買取改訂 国の計画書提出要求」という記事にびっくりした。再生可能エネルギー固定価格買取制度(FIT)の改訂に従い、経済産業省は旧制度の下で認定を受けた人に対し、新しい発電計画書を4月1日から9月30日までに提出するように要求しているとか。「はがきかメールで通知している」というが届いていない人が多いとのこと・・さらに読むと{既に売電をしている人や家庭などで10Kw未満の太陽光発電を設置して居る人も含まれ」、経済省はその届けを出さない場合、認定を取り消す対象となる可能性もあるという。・・大丈夫か?
 
googleマップ上で我がAZUL閉店となっているが・・なんとか復活したと変更しないいけない。・・間違われてしまう。
 <趣味>
8月4日は西原村では短波帯で岐阜、愛媛と交信,145Mhzで山鹿走行中のモービルと交信。風が強い。その後南方に弱い(たぶん山の向こう)氷川付近の局は全く入らないことに気づいた。市内も一部全然なのだが北の佐賀などは、うまく飛んでいるようだ。

 今晩も熊本シニアネットハム同好会のオンエアミーティング、ちゃんとうまくいくか心配だ。よい報告が書ければ嬉しいのだが・・・ということでその結果は・・なんとKSNの方はゼロ・・・残念ながら北北東1局で長く呼び出してました。
20時15分、残りあと15分かと時計をみながら・・グスンと涙目になった時に心の動揺を見透かされたように(会員でない)荒尾のOM局が声を掛けてくれました。、そしてその次に市内城南の局が・こちらは時々交信している方ですが・・先月で丁度還暦退職をしたと言われるので、「オメデトウ!!」の言葉を贈りました。
ついでに、こんなのもありますよって、熊本シニアネットの紹介をしました。還暦を区切りとして私と同じようなことを考えておられるようでした。Sさん、これからやりたいことが叶いますように。また空で(^^)/です。
 2017/08/03〔木) 今日は銀行へ振り込みに出掛けた、ついでに郵便局へ寄ってクレアで昼食・・夏休みでフードコートは子どもが多かった。連日の猛暑もショッピングモールでは夏を忘れるくらいの涼しさで快適さだった。明日のハム同好会案内付録の小説が気になったが、帰ってなんとか仕上げた。帰りに通りかかるいつも恨めしいタワーは低くなってアンテナは降ろしてあった。近づく台風対策だろう。私も2mのGPを降ろすことにした。ところがワッシャーが1個転んで行方不明に。

熊本シニアネットハム同好会勧誘のための 連載誘導小説
連載誘導小説No5 <真実はどこに>

 全てに軟弱な利雄に反して妻の百合子は頑張り屋で強い女性だ。だから利雄は密かにご主人様と恐れている。百合子は「あんたの言ってることには矛盾があるんじゃないかな」「周りにどんなに高いモノがあっても人間のような所に雷が落ちるってことは、低いアンテナも危ないってことじゃないの」・・利雄はぐうの音も出ない。
 「そっか!それもそうだよな」 でも普段、百合子が言っている「アンテナは屋根より高くしないこと」というハムを続けるために突きつけられた条件も同様に、これも違うことになる。
 よくよく考えるとこりゃあ利雄にとって思いがけないチャンス到来かもしれない。だって低いアンテナに雷が落ちるのが心配だからという論調なら高いタワーを建ててもよいような気がする。それも昔から夢みていたクルクル回転する大きなアンテナタワーが実現するかもしれない。それを想像しただけで利雄は目眩がした。
 何か助けになる資料と思ってネットを漁った。やはりタワーに雷が落ちたという証言ばかり。何の根拠にもなりやしない。そのうえ隣の家のTVが壊れたのも弁償してくれと言われたという嘆かわしい事例もあった。・・これが百合子にバレると「じゃあ低いアンテナも撤去ね」と、ますます利雄のクビを絞めかねない。・・しかし中にはとてもすごいことが書いてあった。(直撃雷ではない)誘導雷に対してはアースは百害あって一利なしという人がいた。半径数十メートルの周囲の落雷で、地面から電流がアースを伝って流れてくる。そうしてつながっているあらゆる電化製品を破壊するという。”必ずやらなければならないこと“と思って、やってしまったらやられてしまうというのだ。
 経験者はアースを取っていた電化製品は全てがやられ、アースを取ってなかったモノだけが残ったそうだ。普段の感電事故対策ではアースは絶対必要なこと。(特に洗濯機やら電子レンジやら冷蔵庫だが)、雷対策については疑問符が突きつけられている。何を信じたらよいのやら訳が分からない。裏の裏をかけということだろうか。
それとも全ては運命に任せろというのだろうか。
 
 長田弘の詩の中では、カッパドキアの賢人は4つの真実を持っていたという「神々は恐るるに足りない。死は恐るるに足りない。幸福は手に入れることができる。苦痛は耐えることができる」という。八代亜紀はモンゴルの歌JAMAASを紹介し”真実は二つ”それは「生まれることと死ぬこと」と歌う。様々な真実がこの世にはあるらしい。肝心の利雄にとって真実とは何だろう
 長田の詩では神々=雷様とも読み替えができる。その雷が落ちて死んでも恐ろしくもない。幸福と思うなら利雄よ”さっさとアンテナ建てな”でも雷に打たれるのは相当な痛さだぞ、(利雄は耐えられないだろうなあ。ならばすべて諦めよう)・・八代亜紀の歌では生きたからには死ぬのが真実・・雷に打たれてもそれは運命なのだと利
雄は曲解した。 その運命を変える方法として利雄の得意の神頼みもあった。 京都の嵐山にある虚空蔵法輪寺は電気や電波、電子で効用ある寺だ。ここには雷様から守って貰うため
の電電宮安全御守があるそうだ。 このお守りを手に入れることも一つだなあと真面目に思うのだった。・・一体どうしたものか・・悩ましい夏はつづく。
     
   せっかくだから物語もつづく 
            北北東
*虚空蔵法輪寺 参考 http://www.kokuzohourinji.com/ ―――――――――――――――――――
お断り ほとんどがフィクションです。信じないでください
投稿後の誤字修正はにて
<地震>
15時23分頃 茨城県南部 M3.2 震度1
14時00分頃 島根県東部 M2.8 震度1
13時45分頃 茨城県南部 M4.5 震度3
12時58分頃 茨城県北部 M3.2 震度1
12時47分頃 長野県南部 M2.4 震度1
10時24分頃 滋賀県北部 M3.0 震度1
09時49分頃 鹿児島湾 M2.3 震度1
08時43分頃 鹿児島湾 M2.0 震度1
05時18分頃 鹿児島湾 M2.6 震度2
00時43分頃 千葉県北西部 M3.3 震度1
 <趣味>台風近づいてきているので、とりあえず、GPアンテナを外した。先日の小型台風でも折れそうになったので次の台風はやばいぞ!!と思った。それでしばらくは倒しておこう。

 <暑さ>
この数日の暑さは尋常ではない。寝苦しい夜も続いて、クーラーを多用しているために夏風邪をひいたか鼻水がとまらない。大好きな夏よ!もう少し涼しくしてくれよ。そうでないと嫌いになってしまいそうだ。

 <神頼み>
台風よ!九州に近づくな・・まだまだ福岡大分は災害から復旧してないし、昨年大震災があった熊本だってまだブルーシートがかかっている家が多い。お前がくると、そのブルーシートまで剥ぎ上げて持って行ってしまうのだろう。もし来たいのなら金色の台風にになってお金をうんと落として行って呉れ。ちゃんとした家が建つぐらいのお金を。風も雨も余計なものはいらないからな。

<放射線>
22:15 0.09μSv/h
22:30 0.08μSv/h
 2017/08/02〔水)  朝から地震日・・これで東京オリンピック開けるだろうか?と思うが、その次には南へ移動。これって揺さぶりかもしれない。日本が自然に勝手に揺さぶりをかけられているんだろう。地震に台風・・どこかへ飛んでいけ!・・と追加で書く午後7時半過ぎは南風が強く吹く。田圃の上を通過してきた風のようで若干冷風にも感じる。(台風よ来るな!!ともう一度神頼み。)

新しい苦情ブログを始めた。苦情は全部これに吐き出そう。https://blogs.yahoo.co.jp/kumaala/28881684.html

今日は午前中外出した。車外温度は39度Cになっていて、車を触るだけで暑かった。県内は37度から38度ということで人間の体温と同じでこりゃたまらん。    
<地震>
12時46分頃 茨城県北部 M3.5 震度2
09時19分頃 宮城県沖 M4.3 震度2
09時10分頃 鹿児島湾 M2.4 震度1
07時16分頃 茨城県南部 M4.6 震度4
05時22分頃 茨城県北部 M3.2 震度1
04時32分頃 茨城県北部 M3.1 震度1
03時24分頃 茨城県北部 M2.8 震度1
02時02分頃 茨城県北部 M5.5 震度4
00時38分頃 茨城県南部 M3.6 震度2
 我が家の庭も草が真っ盛り、こんな暑い日でも花を咲かせるのだから凄い生命力だ。生命力が薄い私はクーラーをつけながら「バックトウザフューチャー Ⅲ」を寝転びながら鑑賞・・労働者諸君のことを考えると悪いなあと思いながらも、リタイヤしていてよかったなあと思う一時であった。さああとは風呂を浴びて冷たいビールを飲んでニュースをみようかなと思い始める午後8時前であった。そのあとな夏の小説家だ。  <趣味>インドネシア独立72周年記念局運用のYB72RI/3と17/08/02の04:06UTCにお互い59にて21.220MhzのSSBにて交信した。昔の当事者の日本が殆ど相手局だった。このIndonesiaへは日本だけでなく第二次世界大戦後はオランドが占領した時代もあって、そのために犠牲に人も沢山いた。
彼の地へ我が南区からIC7600+2mHGP 100wの貧弱無線局の電波もこの暑さをモノとせず瞬時に軽々と海を越えていった。

 平和だから声が出せるアマチュア無線の世界を守らねばいかんですな。 最近3.562Mhz付近に妨害電波が居座っている。AMで周波数を特定すると3.560Mhzで平壌放送らしい。乱数表読み上げと音楽を流し、無変調電波が流れていて、困ってるがそこはアマチュア無線家、びっちりこの上に合わせてAMで交信していると思ったらSSBだ。ビート音で自動復調しているらしくAMでも受信出来ていた。大きな放送局に対抗した各局の話しも面白い。目には目をって感じだ。
 2017/08/01(火)  相変わらず暑い・・今日から8月が始まった.。近所の田圃の水は抜かれている様子。この暑いのに稲はたいへんだ。喉が渇くだろうなあ。
 我が家の猫も地べたに座り込んで動こうとしない。それを真似てXipociも机に座りっぱなし・・よいことはない。
 台風5号が熊本を目指しているような情報だ(いつもその中心に熊本があるように被害妄想的に予報円の中心を思い込んでしまう)。こりゃあ困ったぞ。
 
 近くのスーパーに行き予備の食品数個と今日の刺身を買ってきた。6時を過ぎて近隣散歩。ほぼ草が伸び放題の田圃道、こんな草むらにニョロニョロが居そうで、今日も草むらを飛び跳ねての散歩だった。先日は小学生が蛇に噛まれた話がニュースに流れたがあれは蛇を捕まえてリュックに持ち帰って自宅で、触れているうちに、また噛まれたという積極的な話だ。裁判にかけられても蛇は正当防衛で無罪だろう。野にあるものを持ち帰ってはいけない。
 人生結構長く生息しているが、こんなに暑い夏を感じるのは久しぶりだ。室内ではクーラーがないと過ごせない。それより狭い車の中がクーラーが冷えそうだとワザと、外出の用事を創って機会を狙うが、買い物への数十分だけの冷えではなんともいえない。駐車場に着いてエンジンを切ると、暑くてたまらない。慌てて汗をかきながら冷えた売り場へ駆け込んで買い物をする。

 冷たいものをいつも口に入れて内部冷却をしているものだから、今日はお腹の調子が悪く、下痢気味だ。これで体重が減ればよいが・・・そうはいかない。夏のピーヒャラお祭りだ。(^_-)

<地震>台風の動きと連動してるのかな・・と思うXipociだ
14時26分頃 鹿児島湾 M2.1 震度1
07時59分頃 鹿児島湾 M1.8 震度1
07時36分頃 種子島南東沖 M4.4 震度1
 <趣味>
7月の目標に4局不足で残念だった。取り残し4局を今月にプラスした目標にしようと考えた。そんな訳で、8月の初日、ちょっと焦って無線機を電源ON、すると10時AMに21MhzのCQを捉えた。ところが何とまあ・・偶然なことに一人で5局分のコールで相手してくださった。(あちらから”迷惑でしょうが”みたいな感じだったが)実はこっちが1日で7月分をやり上げて1局分のおつりまで貰ってしまった。福井県越前市のJE9RWF(岩堀さん)とまずRS交換、その後連続してコール違いでのjf1zzz/9 jn1zsn/9 jm1zzm/9 ja6dqf/9の分で信号交換・・あわせて5局。おかげさまで7月も達成した上に8月も1局達成だ。こんな偶然が面白い。月末の無念さも消し飛んだ。・・もう笑うしかないトホホホ(^_-) じゃなかったオホホホホ!(^^)!
 2017/07/31(月)  連載誘導小説No4 <夏の運命> 
 
 夏といえば雷・・幼い頃から夏が大好きだった利雄はその友だちの雷が大嫌いだった。遠くで雷鳴が聞こえると、何もかも放り出して家に走った。家の中でも真ん中に。柱に寄りかかっていると柱を伝って電気が走るという噂も信じていた。
 アマチュア無線といえば空高くそびえるもの、そう、アンテナと雷は友人の一つかもしれない。そんな訳で雷といえば、すぐに想い浮かべるのは「運命」という言葉だ。 利雄が大阪で2畳(家賃4500円)の部屋に住んでていた時、医学生だった同級生が西日本医科学生サッカー大会に参加したついでにねてきたことがある。最近の学生生活での身の回りのことをお互いが話し終えて、別れる間際に最近の出来事をさっきの明るさとは違うトーンで話し始めた「先日、グランドを走っていた教育学部の女学生が雷に打たれて死んだんだ」という。突然の話に利雄は、ぞっとした。「グランドのまわりにはフエンスや高い電柱もあるのに」と田端は話し続けた、「せいぜい1.6m程度の身長なんだよ。空から俯瞰すると蟻の子のような女学生に狙いを定めて落ちてくるなんて・・・」、利雄はその光景を想像していた。倒れた女学生に気づいて周りを取り囲む学生、その中で揺さぶられても目を覚ますことのない亡骸。頭につけたピン(鬢留)から体を縦断したようだという。一瞬でこの世から去らなければならない学生の家族もたいへんだったろうと・・「そりゃ参ったなあ」「そんな事が突然起こるなんて」と利雄が返事すると、スポーツマンらしい田端安男は黒々と焼けた顔の口を開いて「確かに運命だな」とぼそりと言葉を吐く。田端も同じグランドで練習試合の最中だった。もし気まぐれに閃光が我が身に落ちたらと自分も何度も自問したというが、「これはやはり運命なのだ」と思うことにしたという。
 ・・・ そういえば、利雄自身、子どもの頃、大人の会話を聞いたことがあった。それは、近所の知り合いの家の娘さんのことだった。普段は電話が鳴ったらすぐに取れる体制で、電話器側に枕を置いて寝ていた。その晩はどういう訳か(夜中に起きて寝ぼけてか)いつもと反対に寝てしまったらしい。明け方に電話器に誘電雷が落ち、左足を火傷したことで初めて落雷に気づいたという。この火傷は数週間病院通いをして治ったというが・・「もし普段通りに頭の位置を変えずに寝込んでいたら、生きているものやら分からなかったですもんな」「ほんに〇子ちゃんは運が良かったとバイ」という縁側での近所の人との母たちの茶飲み話だった。・・「そう、やっぱり運命としかいいようがない」その時利雄も確かにそう思った。そんな茶飲み話しにこっそり耳を傾けている傍らで、遠くの雷鳴が段々こちらに近づいてくるように利雄の耳には聞こえてきた。

 過去を調べてみると 1960/7/30に熊本県大津町で農作業の時、雨宿りしていた農業小屋に落雷。5人死亡、5人負傷。という記録もある。勝手にネットで検索した”あおば屋”の雷による事故リスト( http://www.aobaya.jp/rakuraijiko.html )では 田圃を歩いている時や、登山などでの死亡や負傷が多いようだ。
そんな経験から雷の事を考えると 利雄はアンテナを空高く上げることが出来ないのである。これは無線家にとって致命傷だ。実際に利雄のアンテナは屋根よりずっと低いものばかり。だからどんなに頑張ってマイクに向かって叫んでも遠くの相手に電波が飛ばない訳である。その呪縛は還暦すぎた今でも続いている。近所で正々堂々と高くアンテナタワーを上げているDXサー(地球規模の交信を専門にしている局)は「単に運がよいだけなのだ」とイソップ物語の話の「酸っぱい葡萄」を受けいれるだけの弱気な利雄は”アンテナを高くすると雷を呼ぶ”のだという思いは変わらない。そう、まさに利雄の行動は過去の悪夢と連想ゲームで成り立っていた。これでよくも無線家だと図々しく言えるもんだな。ああ恥ずかしい。
                        つづく
(2017年7月31日KSNメーリングへ投稿)
文字変換間違いと、消し忘れあった部分は赤字で

  


<地震>再び鹿児島湾でも揺れている。
22時07分頃 宮城県沖 M4.1 震度2
11時37分頃 茨城県南部 M2.9 震度1
07時38分頃 沖縄本島近海 M3.6 震度1
06時01分頃 千島列島 M5.4 震度1
04時08分頃 鹿児島湾 M2.5 震度1
02時12分頃 鹿児島湾 M2.1 震度1

<趣味>7月も今日で終わり1日1局の目標もあと5局となったが今日もコンディション悪いぞ・・今日は1日頑張るはずだったが・・実家への盆提灯探しへ出掛け、そのあと仕事を始めた娘のところに行ってきた。・・帰りは8時過ぎ、通りがかりの中華飯屋で夕食、自宅へ辿り着いたの9時過ぎ、風呂に入ってのんびりしてたら22時を過ぎてしまった。
  そういえばと2階に上がって見下ろすアンテナの先端。じゃあやるかとわずか2mHのGPで3.5Mhzで徳島の記念局との交信J5ARDF/5
徳島県みま市、QSLは11月のARDF大会の後に発行とのこと。これで今月は終わるとするか。来月に残目標4局を上乗せすることにした。

 小説を書いて小川の実家に帰り、あの縁側に立つと間近で雷の光が雲から地上へ落ちてるのが見えてきた。あら・・筋書きで、今日私に落ちたらこれも運命かいな・・なんて早々に引き上げ準備を開始。
まだまだもう少しやりたいこともあつので・・今の所は見逃してほしいなあ。って思っいながら山を越えて国道3号線を南に下った。

<写真・兄弟>
あと2ヶ月で1歳になる孫と3歳になった孫、それぞれ車を舐めたり、恐竜を並べたりと保育園から帰ってきたら喧しく遊んでいた。
 兄の後ばかり追う弟、それが嫌で、「邪魔するな」と押し戻される弟・・一発触発の様子
趣味も半年で変わっているが。あと10年後にはどんな兄弟になってるだろう。


<放射線>
22:30  0.12μSv/h
22:45  0.09μSv/h
23時前に窓からの風が冷たく感じる34度の我が部屋は暑い
 2017/07/30(日)  今日も暑い。昼間には雨もなく一日蝉が鳴いていた。昨夜眠りながら観た「シンゴジラ」眼を開けてみたのだが、評判ほどもない。怪獣がどうやって生まれたか・・それからどうなるのか??さっぱりだ。国会のバタバタも今の政権よりも正しい動き、映画が模範かな。でもソレが主題ではない。果たしてこの映画は何を意図したのだろう。私はゴジラをISに見立てた。交渉手段も交流もない、やっつけるしかない。時間が経てば外国の軍隊が東京に核爆弾を落とす。。その時間に合うように怪獣の体を凍り付かせただけ。さてさて、そんな簡単に凍り付いてお終いじゃなかろうな。やはり正義の怪獣と悪の怪獣を闘わせて、正義の怪獣が地球や人間を守るストーリーにしたほうが納得がいく。あまりにも私には馴染めないストーリー展開だった。日本沈没が遙かに映画としては印象に残る。東京を破壊して何を訴えたいのだろう?  山小屋の我が家の裏山を散策していると見覚えのないピンクの印(目印の旗)が立っていた。何じゃこりゃ、知らないうちに 勝手にこんなもの建ててゴジラの動作で引き倒してきた。・・何の印だろうか??
 勝手に他人の所有地に入ってこんな目印建てるなんてプンプンだぞ!

 どなたかこのQQ23-5の意味ご存じの方いますか?・・・
 <趣味>お店閉店後の夕方6時過ぎから短時間に3.5Mhzで8N4KL倉敷市50周年記念局と、7Mhzで韓国HL5FHR(ShinOM)との交信で今月は26局、残数目標はあと5局になった。明日出来るだろうか??一寸心配だなあ。7月もあと1日だ。
金曜日のKSNハム同好会で使用した144の2段、430の3段GP・・少し端っこにずらしたら、レポートは1週間前の2倍の信号強度になったということで喜んでいるXipociである。
 自宅に帰ると(交信証として使う)QSLカードが沢山きていた。色んなカードを見て、もっと面白いカードを創ろうと思う。
<放射線>22:45 0.12μSv/h、23:00 0.09μSv/h、23:15 0.11μSv/h
 2017/07/29(土)  暑い 何をやっても暑い。今日はピザ生地を作った。この暑さでピザ生地も何倍にも膨らんだ。・・あと2日で8月になるとは信じ難い。つい先日今年になったばかりなのに8/12=2/3の月日を消費してしまっうぞ。ああ・・寒いと言っては休憩し暑いと言っては手を休め、もう1年の2/3を過ごすのだからたまがってしまう。
<地震>
17時23分頃 茨城県沖 M3.5 震度1
11時31分頃 茨城県沖 M2.6 震度1
07時25分頃 宮城県沖 M3.9 震度2
6時53分頃 トカラ列島近海 M2.5 震度1
6時25分頃 トカラ列島近海 M3.9 震度2
5時55分頃 トカラ列島近海 M2.8 震度1
 <映画>今から
ネット経由で「シンゴジラ」レンタル料500円を視聴のため今日はこの辺で。また明日に続く・・最近は映画館へ行かないでも映画が観れるのは便利だなあ。

 パソコンを持って寝床で寝転がってこの映画を眺めていたらいつの間にか眠ってしまっていた。
<趣味> 
佐賀県小城市三日月町の34号線と203号線の交差点を通過中の局と交信。佐賀市内を通過して久留米へ帰るというモービル局だった。地図をみると、まあこんな遠くまで。・・・最初は花火があってという話しで熊本港付近通過かと先入観を持って、玉名を通って久留米へ行かれるのかなと想像していたのだが、実際の町名と国道の番号を調べたら、佐賀県小城市を走行中だった。えらい遠い所だ。
 7月の交信数は24局で目標残数は7局、もしかしたら目標達成出来るかも・・その前に3.5Mhzでは高知県室戸市移動の8N5ISN(維新記念局)と交信成立。明日もご主人様の目を盗んで挑戦だ!

地震以降、シャックを片付けたら何とか過ごしやすくなった。ただ、蟻や虫が堂々と侵入してくるし、夜は暑くてたまらないなあ。贅沢か。ここで自由な時間を持てるだけ幸せなのだろう。
 もう少し清潔になると蟻や蜂は遠慮してくれるかな。
時々パソコンの上に小さな蟻が寄ってくる。何か美味しそうな臭いでもするのだろうか。
 2017/07/28(金)  熊本シニアネットのオンエアミーティングを毎週金曜日の午後8時から空の上でやっている.。今年6月からボソボソとやってきていたが、15年前のKSNハムクラブには26名のメンバーを数え、毎回その半分の局が空に出ていたというのに、・・・「少ないなあ」と感想を述べられる唯一の相手局。そうやって終わろうとした瞬間にブレークの声・・やった3人だ。今日は初めて3人目のメンバーを迎えることが出来た。3人目は先週も終了後に携帯で電話した方、固定の装置では送信は出来るが受信は感度が落ちてしまったということで、今夜は自宅車庫の車の中からの登場でした。そろそろとメンバーが揃いつつある。くじけず続けることだろう。

<地震>
22時31分頃 茨城県南部 M3.4 震度1
22時14分頃 滋賀県北部 M3.1 震度1
16時16分頃 茨城県沖 M5.0 震度1
14時21分頃 伊豆半島東方沖 M3.0 震度2
08時59分頃 鳥島近海 M5.6 震度1

<だからYouTuber>
 ユーチューブを見ながら虚実の実を取り去った物語を考えるXipociだった。
・・というか考えるポーズに我を失うのであった。似合わないなあ・・1990年代年、カン・スージー강수지 が歌う「紫の香り」보라빛향기が利雄の青春時代だった。・・その時代に足を踏み入れた途端に香りが湧いてきた。
그대 모습은 보라빛처럼 살며시 다가왔지(君の姿は紫色のようにそっと近づいてきたんだよね)
紫色の香りってなんだよってXipocは思った。題名の「紫色の香り」って煙草の煙か、はたまた愛する人が死んで線香を上げている風景かと・・この題字から虚しく想像するばかりだった。が、実際には色ではなく臭いのような・・それはオーラというそうだ。初めて行ったソウルでの露天でその中身も分からずに偶然手にしたテープがこのカン・スージーの「보라빛향기」だった。 ハングルも読めないのに、なぜ手に取ったのだろうと不思議に思うのだが、磁石のようなものだろう。歌を聴いて、これは流行しそうだと思い、韓国に住む元大学教授夫妻を熊本で案内したときにその名前を聞くと
奥さんが即座に「あの若い歌手じゃない」と言って同調を求めていたが、社会問題に拳をあげるのが得意な旦那さんの知る範囲にはなさそうだった。実際の歌は https://www.youtube.com/watc時間h?v=XZTiVP9xDS4
にある。
夏特有の入道雲を眺めながら、ふと人生を振り返ってみた。
永遠の嘘をついてくれもまたXipociの胸をどうやらかきむしる。 https://www.youtube.com/watch?v=o8Q3OzzWBxU
もまた青春時代の心情に重なる。大阪で学生時代を送っていた、そのたまの休日、天六から電車に乗って京都着、そこから乗り換えてたまには琵琶湖にでも、と着いた湖西線に乗ったつもりが正反対の最終駅に石山寺へ辿り着いた・・そこで会うはずもない高校の同級生とバッタリ出会ってしまった。彼の左右には女の子。あらまあ!!・・それから琵琶湖大橋を渡り、汗びっしょりの私に同情して、通りがかりの大学生の車が停まった。最寄りの駅まで乗せてくれた20歳の夏。私は迷っていた。その時、大学生の車のカセットで聞く吉田拓郎の歌にいたく感動した。「夏休み」姉ちゃん先生もういない・・ 反戦歌との書き込みも目にしたがそれはどうだどう?思い出の詰まった歌だ。
https://www.youtube.com/watch?v=j0cyWtZmLzc 

 2017/07/27(木)  あっという間に木曜日、明日から山小屋の営業日だ。今日も暑すぎる室内温度34度の我慢大会を続けている。この暑さの中、体力維持のために、さあ(^_^)v(夕方になった)そろそろ散歩に出掛けようか。と書いて散歩から帰って来た。相変わらず熱すぎる。2階の我が机の温度計は33度・・キーボード叩く、私の顔から汗がポタリポタリの20時54分・・
 この夏を生きているだけでも体力を消耗気味のXipociである。庭に出ると真っ赤な花が明日は咲こうと炎天下に頑張っていた。
 KSNメーリングに<その3>を投稿した。あまりになんちゃって小説が長すぎるので戸惑っているかもしれない。   

<地震>立っていて揺れに気づいた2時48分PM
17時45分頃 岩手県沿岸南部 M4.3 震度3
14時48分頃 熊本県熊本地方 M3.1 震度2
01時27分頃 釧路沖 M3.5 震度1
00時46分頃 滋賀県北部 M3.6 震度2
 『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』伊集院静著を読み終えた。・・博打が好きでお酒が好きで、それでいて美人の女性がいつも側にいて、それでも男が寄ってくるそんな主人公だが、余りに周囲に死が多すぎるのでちょっと怖い。現実とフィクションを混合した小説だろうが、どうもノンフィクションとしてのライブ中継的にXipociには読めてしまう。
 所々にキャンディーズのスーちゃんが現れては消えている。この一つ前に読んだある作詞家の小説も途中で読むのを中断し難かった・・次から次に続きを読んでみたくなる。
 ごちゃごちゃ考えるよりストレートな、そんな小説もよい。・・
 <趣味>久しぶりに21MhzでのRTTYでのパラオとの交信。結構日本全国と交信出来ている様子。(QRZ,com によるとQSLはJA7XBG経由らしい)これで今月は20局・・ただ6m&downコンテストのログ締め切りはソロソロと思って概要を確認したら7/24必着だった。あらまあ過ぎていた。ちゃんと計画通りにしないと駄目だ。今日で20局。今月はあと11局目標だが出来るんだろうか・・厳しいぞ!!



<放射線>
21:00  0.12μSv/h
21:15  0.11μSv/h
<写真>もう暑すぎて、今年は特に気温が高いのではないか、草が伸び放題になっている散歩道。田圃の稲穂は丈夫にスクスク育っているが、人間には辛い夏になった。
最近の散歩風景は顎が出て、額からは汗ばかり流れている。
 2017/07/26(水)  朝からKSNの執行委員会に参加。暑すぎる1日だった。昼からは東区は突発的に1時間100mmを超える雨が降った様子だが、南区では雨無しという天気。同じ市内なのに不思議だ。暑くて家に帰るとクーラーを入れてTVを観ながら横になっていた。夕方には田圃道の散歩。これも熱風が吹いて暑い歩きだった。そんな訳で今日も日記を書かず小説の続きをアップしておこう。



フィクション小説(もどき)「空の上であいましょう」

<その3>散々な高校生活

アマチュア無線で飯を食っていくと心の中で宣言した利雄は高校へ進むと、すんなりと無線クラブに入るかと思えばテニスクラブへ入部届を出した。「お前たちは1週間もせんうちにキッと辞めたくなるだろう」と生意気そうな先輩が口を尖らせた。「もしそんな根性なしの奴ならいらん。さっさと辞めちまえ」という隣に控えたキャプテンの鋭い予言。その言葉通り利雄は1週間も続く素振りに顎を出してしまった。「そんなら、これで退部させてください」と最初からの計画のようにさっさと辞めてしまった。父は利雄に「体を鍛えないと、今のままではお前は駄目になるぞ」ということを言っていて、受け入れたことを見せつけた意図ある入部だった。が我慢の限界もある。利雄の我慢の限界は学力と同様に相当に低いレベルだったのである。
 2年生のある日、体育の授業では5段重ねの跳び箱を跳ぶテストがあった。飛んだのはよかったが、着地点はマットの遙か先。尻から着地してしまうのだった。あ痛!・・しばらくは起き上がれない。相当酷く尾てい骨を打ったようだ。しばらくは動けていたが、授業終了後、体育館から2階の教室まで歩いて帰る途中から、段々ズキーンと骨髄の芯にしみるような痛みが増してきて、階段半ばで立ち往生してしまった。同級生は痛みで青ざめた利雄の顔を見て担任に知らせに走った。利雄は同級生に抱えられながら保健室へ運ばれた。急遽担任自慢のスバル360で高校近くの整形外科へ連れられていくが、骨折らしさは見受けられないということで湿布薬を沢山貰って、そのまま車ではるばる30kmも離れた利雄の自宅まで送って貰った。家に着いても、痛みは改善しなかった。利雄の父が仕事から帰ってきても、段々痛みが増すので、夜間になって、もう少し大きな病院で検査して貰おうと救急受け入れのあるR病院に連れて行った。レントゲン検査してもはっきりしない。じゃあ入院して様子をみましょうということになった。9月の残暑の暑い日だった。
  R病院の機器の中でも自慢の最新のX線透視装置(レントゲンテレビ)で利雄の本邦初の下半身が透けて写された。「足を曲げて」という担当医の指示に従って歯を食いしばって痛む足を曲げた。「大腿骨は大丈夫のようだけど」という鉛ガラスの向こうから主治医の声も聞こえる。父への説明では「この痛みはもしかしたら股関節から骨がずれてしまったか、小さな骨折があるのかも」とか言われて・「一晩・牽引をして様子みましょう」ということで一夜病院預かりになった。痛みにうめきながら過ごし朝、目覚めると左足の感覚が全くなくなっていることに気づいた。
 左足の付け根から足先まで、つねっても針を刺しても全く痛みが無かった。担当医は、「もしかしたら脊髄震盪が原因で左足に繋がる神経が細くなったのか切れてしまったのかもしれない」とその翌日来院した利雄の父に説明していた。数日経て大学病院で筋電図などをとるが原因は不明のままだった。結果歩けるようになるのか今は分からないという。父母の落胆ぶりに気づかない利雄は我が儘を通した。家にある携帯用無線機(FDAM3)を持ってきてくれるように頼んだ。どうせベッドの上でジッとしているのには耐えられない、何か楽しい事でもしていないと心が塞がってしまうと焦った。
R病院の整形病棟にはいろんな人が入院していた。利雄が入院した日、隣室には前日手術で足を切断した人がウンウンと唸っていた。隣との境は殆どないのでベッドの上で無線機に向かって大きな声を出そうものなら「そこの小僧うるさいぞ」と叱られる。病院の秩序と安静は暗黙の了解で成り立っている。そこで、無線機を手にすると車椅子の車輪をまわして屋上に上がり、交信を試みた。利雄の学校のある市内の別の高校生と繋がった。入院が長期化するなら、暇だろうから病室近くにその知り合い数人でアンテナ上げて呉れると言うことだった。その約束の日曜日にこっそりとアンテナとケーブルを持参して来てくれた。そんな周囲の高校生たちが授業を終えて自宅から電波を出して呉れるのを心待ちにする日々だった。確かにその会話で気が紛れていた。病院の中には利雄より小さな難病を抱えた子どもや、電柱から落ちたという電気工事のおじさんがいたが、話しはあまり合うこともなかった。というかどんな会話をするべきか何も知識を持ち合わせていなかった。だから会話は同年代の外へと向ける利雄だった。入院している憐れな高校生がいるという噂を聞いた他校の女子高校生も空の会話に加わってきた。すっかり病院の中でも無線に夢中になる利雄だが、3ヶ月近くなると周囲から心配の声も聞こえてきた。谷川豊は症状伺いの手紙に”進級は大丈夫かい”と書いてあった。利雄は勉強そっちのけで若者の無線交流に夢中の日々で、それを観た途端に青ざめた。
  電話で担任に問い合わせたら今がギリギリだという返事だった。私はすぐに退院することを決めた。どういうわけか分からないものの幸い数週間前から足先の指が動かせるようになってきて少しずつ皮膚の感覚も蘇ってきていた。訓練を続けていたリハビリの担当者からは、装具をはめたら歩けるかもしれないということだった。そこで退院目指して歩行に励むようになった。 退院は秋風がふき始める頃の11月の半ばに決まった。それからの復学で、なんとか欠席日数が及第ギリギリとなっていた。復帰後は友人から貸して貰ったノートをひたすら写して期末テストに臨んだ。中間テストは受けてないので全てが一発勝負だった。一つでも落としたら落第だ。それで今まで試験前に集中して勉強する習慣のなかった利雄は仕方なく頑張るしかなかった。そうやって今まで取ったことのない高得点を得て学年でも上位になっていた。ある科目は1番だった。留年との闘いで利雄はこれまで出したことのない力を出し尽くした。結果をみて周囲はたまげた。そんな訳で悲惨な二年生から三年生に無事進級出来た。あと1日か2日休んだら留年だったろうと後に担任が利雄に伝えた。奇跡がよく起こる男である。・・3年生になっても、利雄は無線から離れることは出来なかった。首尾一貫「おらあ ラジオ人間になる」・・ということで入院生活で体験した見えない光線、不思議なあのレントゲン室の光景を自分の進路に繋ぐことにした。放射線技師はRT(Radiological technologist)と呼ばれる。このRadio=無線、同時に”放射線の”という意味合いを理解して利雄との相性はよいはずだと独り合点していた。そんな訳でこの仕事で飯を食おうと技師学校への進学を決めた。「Radio」という文字で”無線”から”放射線”に飯の種を変更したのは高校3年の終わりに近かった。18歳にもなっても利雄の思考は、相変わらず単純だった。

  つづく
 2017/07/25(火) 今日は暑すぎる。室内も34度を超えた。国会閉会中審査も内容が暑すぎた。・・日記はKSNメーリングに投稿したやつをアップしてこんな夏は休憩にしたい。 (^^;) 

フィクション小説(もどき)「空の上であいましょう」
 

<その2>
 利雄が小学6年生で12歳の頃、鉱石ラジオに出会った、電池もないのになんでラジオがきこえるのだろうかと不思議に思った。なんとなくトイレのトタン屋根にアンテナを伸ばしていくとさらにイヤホーンの音が大きくなった。組み立てることは出来ないが、分解することは得意とする利雄だ。くるくるとコイルをほどいて疎にすると知らない国の言葉があふれ出てきた。中には北京からモスクワからという日本語も混じっている。
 未知の海外放送、それが利雄の電波との出会いだった。それは、まだアマチュア無線まで辿り着く前の大きな衝撃だった。熱しやすく冷めやすい彼の内側にその思いは留まったままだった。友だちとは暗号通信に夢中になった、幼い頃からの友人(後に文字の芸術家になる)谷川豊とは小学生の頃は暗号ごっこをやっていた勿論モールスでなく言葉で「オストアンデル=饅頭」「ヒネルトジャー=水道」程度の暗号を交わすくらいだ。飽きたら文字を後ろから書いて読ませたりの可愛いものに熱中。同時にませた親友、(後に物の芸術家になった)川本久からは最新科学情報やら車の話を聞いていた。三人は中学になると名前だけは格好良い科学クラブに一緒に入部した。帰りも自転車を押して一緒に歩いて帰っていた。この科学クラブは郡の科学展への発表までの一時期だけ真面目に活動するクラブで、普段は雑巾なげをしたりして、きゃーきゃーと騒ぎまくる少年たちのたまり場だった。時々部員の友達であるサッカークラブ員や陸上部の元気者が時々サボりに来て汗を拭っていた。そうノルマはないし帰りたい時に帰れるので気楽なクラブだった。スポーツクラブに比べれば天国だった。 「ここはよかなあ、教室で遊んでばっかりで」そんな感想を他のクラブ連中が口々に言って持ち場に帰っていった。
  椅子に寝転んで実験と称して睡眠実験をやったり、手品を見せ合ったり、時には・・別棟の3階の理科教室へ一人向かわせて電話ごっこをやったり、その電話は手で回して発電しながら喋るものだった。そのうちに理科準備室にアンプがあるのを見つけた利雄たちは「こっば校内放送の線に繋いだらどぎゃんなるとだろう」と久や豊に相談した。
「そりゃ面白そう」すぐに意見は一致した。放課後で校内放送も終わっていたのを確認してこっそりつなぎ、マイクを差し込み声を出すとちゃんと利雄の声が出る。「あーあー。今日は曇天なり、マイクのテスト中」と自分の声がちゃんと理科室にも流れてくる。さっと豊は2年生の教室へ、久は1年生の教室へ、何度かテスト放送を繰り返している内に、血相を変えた科学部顧問が飛んできた。はて何かあったのかなと利雄は科学クラブの顧問の先生の顔を見つめた。実は放送室の出力端子に逆に音声出力が加えられたので放送室のアンプがやられたという。「あんたたちは大変なことばしでかしたなあ」と叱られ正座させられた。
 利雄は「すみません。珍しいものがあってホントに使えるのか試してみたくて」と、か細い声を出した。もう泣き出しそうだった。顧問「もーしょうんなか。もうよかたい、先生が弁償しとくけんで、これからこんな事するなよ」という。「そうそう君たちはこんな事に興味があるなら・・もしかしてアマチュア無線って知らんどね」という。実は理科教師である科学部の顧問は無線家だった。それがいよいよ本物のアマチュア無線との出会いとなった。先生は私達が悪さをしないように興味を外へ向けようという魂胆だったようだ。翌日からモールス符号表を持ってきてAからZまで暗記させられた。お互いにトンツーと言って伝言ゲームをするまでになった。最初は豊も久も暗記するまではつきあって呉れたが、しばらくすると興味は離れ受験勉強を優先するようになった。だが鉱石ラジオの記憶が災いして利雄だけはさらにのめり込んでいくのだった。中学3年生となると無線免
 許も得て自宅で回路図を見ながら電信送信機を自作し、アンテナも銅線で作っていた。休日になると廃品回収業者をまわって五級スーパーなどの部品取りが出来そうなのを物色しては安く分けて貰っていた。そんな廃材でBFO付きの送受信機をこしらえていた。勿論アンテナの整合なんて詳しい測定はしないままだったのだが。その頃はクリスタル発信器(水晶)2個を差し替えて空に出ていた。交信は10回呼んで1回出来れば良い方だった。殆どが受信中心だった。

 周囲はいよいよ高校受験に集中する頃だったが、利雄の家族はのんびりしたもので、深夜までイヤホンをはめてノートを取っているのでラジオの深夜放送でも聴きながら受験勉強しているのだろうと思っていたようだ。「遅くまで大変ね」と利雄の母は夜食まで出していたのだから面白い。父親は午前3時頃トイレに起きると、まだ熱心に勉強しているらしい息子に「そぎゃん勉強せんでもよかとに、はよ寝らんと体ば壊すばい」 と声掛けするのが常だった。ところが利雄はもう無線ばかりに夢中、今のはヨーロッパから、そして今度は南米が聞こえてきたとか・・刻々と伝搬状況は変化している。目はらんらんと輝き眠るどころではなかった。だから当然、学校ではうつらうつらとした生活だった。でも一方では弱気な利雄のことだから高校受験も気に
なる。そこで勇気を出して「無線に夢中になり過ぎて勉強が手につかない」と顧問に相談したのだが・「”好きこそ物の上手なれ”っていう言葉があるけん」と、白髪が少し混じった頭を触りながら応える顧問の口からは・・「よかこつたい。興味あるとにしっかり頑張ればよかたい」と逆に後押しされてしまった。先生が、そういうなら、じゃあそうしようと思う単純な利雄はさらに無線に割く時間をエスカレートするのだった。「ようしおらあアマチュア無線で食っていくばい」そう お馬鹿な決意をした利雄だった。
                          つづく
 2017/07/24(月)  今朝も揺れて起きた。それも7時43分だから、もう起きてもよさそうな時間だ。(^^;)・・震度1なので気づかない人もいた。
慌ててTVをつけて確認したが・・なーんだという感じだ、それにしても21時までの揺れが3回とは少なすぎるぞ。今日もエネルギーを蓄えているのかもしれない。まだまだ安心は早すぎる。
 午後2時外の気温35度、顎が出て汗が滲んできた。昨日山から運んだグランドプレーンを車から取り出すだけで汗びっしょりだった。
東北は雨が降って大洪水だし、太平洋には台風とその予備軍がいっぱいだし。今年の夏から秋も、どうなることやら想像がつかない。予備食を蓄えるしかないぞ。

<地震>
11時15分頃 秋田県沖 M4.4 震度2
07時43分頃 熊本県熊本地方 M2.6 震度1
00時36分頃 三陸沖 M5.7 震度2
 庭には見覚えのない花が咲いていた。毎日水やりしているご主人様は気づいているだろうけど、たまにしか庭の様子を気にしない私にとっては、何が何やら分からない。辛うじてアサガオの一つだけは分かるけど・

・夏休みになるとアサガオの観察として日記帳に綴っていたが途中省略で提出前に途中を想像で書いていたなあ。「今日は2つ花が開いた」なんて・・そんな観察でも満足する小学生の頃もあったなあ。あれから五十数年、父母ももういなくなった。
 そしてそのうち私もいなくなる。この世に存在したという事実も消えて無くなるのだろうけど・・何か寂しき夏の夜。クーラーをつけると浪費家と言われるだけで、生産を忘れた爺さんの老後は さてどうなることやら・・
 <趣味>
相変わらず7Mhzはコンディションが悪いが21Mhzや50Mhzでは関東・北陸・東北が聞こえていた。2局と交信したのみ。やはりQSBでフェードアウト近くで短い交信に終わる。もう少しなんとかしなければ全ては中途半端に終わってしまいそうだ。思い切るしかないかな。

 小説がなかなか進まない。<その2>をそろそろアップしようかな・・好きこそ物の上手なれ!後はどうにかきゃーなろたい。(日和見作家Xipociのモットー)

<予定>
今週水 AM10~本部で会議
1800円のカンパ持参すること
機関誌締め切り8/10
母法事 8/14 お寺に地図渡しは済み。・・ 
(写真) 夕方猛暑の散歩道 稲穂は青く伸びていた。

<放射線> 
21:15 0.11μSv/h、
21:30 0.10μSv/h
 2017/07/23(日)  阿蘇外輪山の麓の我が山小屋も暑くなった。先週まではクーラーをつけるのを我慢していたが、もうあかん。昨日の14名が一同に我慢大会を続ける訳にはいかず、淸水の舞台から飛び降りる気持ちで200V三層の配電盤のブレーカーを上げた。・・クーラーが効き始めるともう外に出て顎を出すのは御免被りたくなる。ずっとクーラーの側から離れられず。そんな訳で本日も5名のお客様・・クーラーを入れて冷やしたが・・たぶん売り上げ分が電気代になってしまうかな。悲しい夏でもある。経済的には秋か春先が一番だ。雷も昨日は特別に何度も何度も繰り返しに騒いでいた。今日は静かだが、暑さは昨日よりさらに暑いと感じた山小屋だ。午後7時半に下山。着いた下界は山小屋の2倍暑い。ああ今夜は寝れるかなあ。(写真は山小屋の庭に生えたキノコ・・白くて気持ち悪い)  山小屋から裏道で萌の里へ抜ける山道(農道)があるが、最近車が通らないせいか、道路の真ん中に沢山の植物が育っている。車高の低い車ならガサガサと底を擦ってしまいそうだ。
 やがて下の牛舎も完成し、実際に牛が入ってくるとこの先の草原の牧草刈りが始まる。そうなると綺麗な道に戻ることだろう。震災の後遺症はこんな道路にも繋がっている。
 <趣味>
 金土は雷のせいで無線交信が出来なかった分、取り戻そうと21Mhzで呼んだ相手からは21から31と言われてガッカリ!!。やっぱり1KWは夢なのか。埼玉県狭山市は2回目・・南区より西原村が飛ばないのはコンディションのせいかはたまた木々の中に埋もれた2mと低いV型アンテナのせいなのだろうか。

<放射線>
22:15  0.08μSv/h
22:30  0.10μSv/h

森の中は草ばっかり、薔薇もまた草に埋もれてしまった。よく眺めると木の間に張り巡らしたダイポールアンテナもすっかり夏草や藪に飲み込まれてしまったようだ。ムシャムシャ電波を食べているのかな。
2017/07/22(土)   カンボジア・アンコールワット周囲にはため池が多い。水の流れを考えた様々なため池があちらこちら出来ていた15世紀まで600年続いたアンコール王朝が沈んでしまったその謎は・・まだ解明されてないそうだ。・・トルコ・カッパドキアもまた面白い。火山の溶岩が風雨水による浸食で奇岩を作って今は観光の目玉になっている。
 人が作ったため池とアンコールワット、自然が作ったカッパドキア、ラクダ岩やカエル岩等々偶然の産物だ。玄武岩と凝灰岩の組み合わせで自然が作る姿だ。最近訪問した場所の紹介がTVでされていて復習を兼ねてじっと見入っている。外は雷雨。夜九時の森の中で雷鳴の音響効果がすごい。

 本日は14名の大小のお客様で少し疲れてしまった。毎日がこんなだったら大変だ。ついうっかり忘れてしまうことも。そうそうサラダのドレッシングを忘れたりと、慌てることが多い1日だった。明日は、少しのんびり出来るかな。

<地震>今日はまだ2つの揺れのみ。あとが怖い。
18時29分頃 八丈島東方沖 M4.5 震度1
10時47分頃 三陸沖 M4.8 震度1
 <寝覚めの夢>
 外が明るくなってきた頃私は夢を見始めていた。・・詳しい話は別に書くとして、寝起きにはまざまざと夢をしっかり覚えているのに、歯を磨き日常に戻っていってしまうと・・そして仕事が終わってしまい余裕が出て、それを思い出そうとしても思い出せない。あれは何の夢だったのかな。覚めた時にさっさと記録すれば面白い物語になるのになあ。
 <趣味>
今夜も雷雨がひっきりなしにやってくる。そのため用心して無線機からアンテナを外しているために思うように空へ出ることができず。明日は2段GPを仮に載せて居る4mの竿を現在の3mの竿と交換しよう。

 <小説その2>
構想・・RBBS(Radio Bulletin Board System)の日々・・その昔、1985年頃はスロースキャンTVやパナFAX改造のアマチュアFAXにも手を出した。前後にパケット通信全盛の頃があった。デジタル通信の始まりだった。元々ハワイ大学で70年代の研究ALOHANETで、TNC開発、プロトコルの統一、AX25プロトコルを元に 無線機のマイク端子につなぐものだった。1987年頃、私は思いきってある国を訪問した体験記をアップした。反応は上々。だがそのRBBSは国内だけでなく海外まで伝送されているということに気がつくまでには時間がかかった。日本語環境にない海外にまでそのRBBSが届くとは知らなかった。勿論数ビットで作れるアルファベットは日本で読めるからそれはそれ、でも特殊文字(ASCIIとbyte数が違う)なので海外まで伝送されるというか(電波で飛ばされる)とは、そして届くとは思いもしなかったのだ。
 そこで起こった事件とは・・(ノンフィクションは続く・・ずっとあとに)
2017/07/21(金)   今日は午前中は雲が多いが、晴れるだろうと思って山小屋へ行くが、午後3時過ぎて雷と雨が大降りになった。買い物で忘れたモノがあると言って買い出しに出掛けるふりをして、途中のナフコでGP用の物干し竿を買った。勿論、忘れた買い物も済ませて帰った。
友だちが来たので雨の間は談話して雨が瞬間上がったので一緒にGPアンテナをあげた。彼は几帳面だから、私に任せられないという感じで細かいことを仕上げていた。どうしてそんなに几帳面になれるんだろうと思ってしまうほどいい加減な工作をしてしまうXipociであった。
<地震>熊本で2回揺れてる。
20時28分頃 青森県東方沖 M4.3 震度1
21日17時30分頃 三宅島近海 M2.7 震度1
16時07分頃 千葉県北西部 M4.3 震度3
12時58分頃 鳥取県中部 M2.1 震度1
07時14分頃 熊本県熊本地方 M2.6 震度1
03時48分頃 熊本県熊本地方 M2.3 震度1
 夜8時からは、シニアネットのオンエアミーティングの日だったのでそわそわしてその時を待った・・今日こそ3局に増えそうな予感だったが・8時から5分間は孤独との闘い。やっと5分していつものOOCさんに会えた。その後KKAさんが同一周波数でCQを出されて・・使ってますとか言ったが。KKAさんてシニアネットのメンバーではないか・慌てて呼び戻すも返事がないので・・携帯電話で直接電話掛けると。私の信号は聞こえてないとのこと。OOCさんだけ聞こえていたそうな。ああ やっぱり、アンテナ新調しても、ダメかとがっくりきたが、どうやら受信がよくないらしい。  <趣味>
 2段GPを4mの洗濯竿の上に載せて旧GPより1mも高い位置へ一生懸命に据えたのだが。1mの差なんて殆ど無い様子。期待が大きかった割にがっくりときた。まあ人生こんなものだ。毎日が諦めなのだ。GPの形は避雷針に似ている。
 雷とアンテナは仲がよさそうだ。近所の鉄塔もそうだ。だから高さを上げることに躊躇してしまう。

 昼間もそうだが、夜の雷雨も凄かった。いよいよ夏の空になったような気がする。小学生の頃の夏には夕立が必ずやってきて、私は雷から逃れようと逃げ回っていた。いつも父母の側から離れず、鬱陶しがられていた。その頃の雷も怖かった。今は打たれたら、それが運命だと思うところもあるが、瞬間の恐怖では、子どもの頃と大差はない。何も成長してないのではないかと思う・。これで爺さんか・・ああ中身は13歳の外見は100歳の爺さんが。あああ・・まあそんなものだ。明日こそもう少し大人になるだろう。そうやってあれから50年・・何も変わらず。たぶん明日もこんなこと言ってるだろうな。嘆かわしい。
 2017/07/20(木)   山梨の桃がお中元に送られてきた。うまそうだ。九州で取れたのはもっと以前梅雨前の季節にとれたろうか・・私の昔の家の周囲は桃畑だった。・・・
 子らがうらやましはるかと思ってか我が家にも桃の木が2本植えてあった。
 虫がよく寄ってきていた。こんなに立派な桃と違いもっと小ぶりだったような気がする。桃の思いでは辛い思いでの方が多い。甘い味の中に人間の本能が詰まっているようなそんな動きを人間にさせる。


<地震>福島で震度4 最近3,4が多いような気がする。
10時15分頃 茨城県北部 M4.0 震度2
09時57分頃 福島県沖 M4.0 震度2
09時11分頃 福島県沖 M5.6 震度4
07時09分頃 富山湾 M3.5 震度1
02時03分頃 種子島近海 M4.1 震度
 午後返却予定1日過ぎの城南図書館へ立ち寄って、そのまま豊野のアグリパークに野菜を買いに行った。途上も暑かったが、城南の高速スマートインターが開通していた。この辺も様変わりするだろう。そんな小旅行から帰宅して我が家に到着するやムッとする暑さ。こりゃいかんと、今年に入って初めて2階の私の机の部屋にあるクーラーをつけた。昨年は水がドバリと落ちてきたが、今年はどうだろうか。ドレーンホースの場所が昨年同様に小鳥の住処になってないだろうか。もしかしたら・・ドバドバと2階が洪水のようになるかもと恐怖のヒヤヒヤなクーラーに成り下がっている。
<趣味>
KSNハム同好会を再建するためにと今日から小説を書き始めた。その1回目をそのまますぐに投稿してしまった。後悔!!懺悔!!ああなんてことを、しちまったんだろうと。でも乗り出した舟だ。途中下車は出来ない、やめろと言われるか小説が完了するまで出し続けるしかない。
  連載の一回目を掲載しておこう。
フィクション小説(もどき)「空の上であいましょう」
<その1>
 利雄は63歳、既に現役を引退して数年、長女は昨年結婚して家を出て、妻との二人暮らし。今は何の希望も無く通り過ぎる時間を耳にするだけの身となった。利雄の住まいは蝉の鳴き声が喧しい田園地帯。還暦退職後再び凝り出した無線の趣味への当てつけか「ゴミ捨てよろしく」という妻の怒鳴り声で我に返る。時々遠隔地の人と交信中に言われるものだから・・その声がマイクに入ってしまう、だから腹も立つ。言ってる妻の方は忙しく掃除している最中にのんびりと趣味に浸られるのは狡いぞという感じなのだろう。妻百合子は数年前までキャリアウーマンで数百人の部下がいて利雄よりずっと偉かった。だからの んべんだらりと喋って一日を過ごしている利雄に活を入れてるつもりなのだろう。ジェンダーフリーというものがあるがまさにそれ、この家庭では夫が家を守る、妻が遅くまで働くという、日本の平均的家族の正反対だった。だから大きな事は全て妻が取り仕切った。家を新しく建てる時も設計主は妻だった。夫は工務店の方が聞いてくることに対しては何も言えなかった。
「すみません妻が帰ってきてから電話させます」ということにしてる。
一寸でも妻の意志を損なう事になれば「もう家から出ていきなさい!」と叱られることは目に見えている。そんな訳で昔から利雄が家には早く帰って家事をすることが多く、保育園の送迎から夜のご飯作りなど・・と言っても冬は水炊きが主。あとはカレーにシチュウくらいだ。仕事面でも手抜きの利雄と職場でも言われていたが、家庭でも手抜きの利雄を通していた。それでも意外に子どもらはスクスクと育った。・・というか一時期は育ちすぎて困っていた。その子育ても一段落。昔取った杵柄を想い出して30年ぶりに無線再開。
 仕事でほぼ停止状態以前の30年前は車のルーフに130cmほどの短縮ホイップアンテナを使って、載せていたミズホのピコ14では僅か2W出力で南米やヨーロッパと交信出来ていたのだから不思議だ。2Wといえば豆電球がほんわりと灯る電力だ。その時のコンディションと比べ今はサイクル何とかという環境の真逆で殆ど電波は飛んでくれない。そのために低電力で交信出来るデジタル通信の一つの形態であるJT65が話題になってきた。
 こんな時期の再開だったので昔から夢みていたのは、必ず相手に届くというKW局(日本ではアマチュア無線の最高出力は1kWが最高)の開局だ。今更なんて周囲は思うだろうが、呼べば応えて呉れるというそんな出力に憧れてはいたが、手始めにインターネットで(妻には内緒で)資料集めを開始した。周辺の住民へのアンケートが必要なようだ。一番厄介なのは妻百合子の許可の問題なのは重々承知しているはず、だから、今は悟られる訳にはいかない。電波防護のための指針 
http://www.tele.soumu.go.jp/resource/j/material/dwn/guidance.pdf  
や環境問題という大きな逆の問いかけもあってすんなりいかない事は内々承知している。折衷案で200Wという方法もある。それでも現在の倍の出力だ。利雄の冒険は今始まったばかりである。
                        つづく
(内容は北北東の生態とは無関係でフィクションですのでその点はよろしくお願いいたします。不定期投稿  ・・・ 北北東)と但し書き
 2017/07/19(水)  本日は呼ばれてある方と話あいをした。相互理解と発展方向についての話しに始終した。必要なことばかりだ。
夕方、6時草むらをぴょんぴょん跳ねて、にゅるにゅるがいないかとビクビクして走る。草は元気よく伸び続ける田圃道。夏草は強い。

 空を見上げると積乱雲がジワジワと近づいてくる。ヤバイぞ!、雷に打たれたら痛いぞ、痛いだけでは終わらない・・心臓を止められたり火傷の刑に処せられるぞ!と散歩コースを短縮コースへ変更しようかと頭の中でごちゃごちゃ。そんな事を考えているうちに雲は次第に頭の上から離れて行った。まあ今日のところは目出度し目出度し。
<地震>午前4時過ぎ突然の揺れに驚く、まだ安心は早い!!
19時33分頃 鹿児島湾 M2.3 震度1
18時55分頃 十勝沖 M4.8 震度1
16時15分頃 沖縄本島北西沖 M4.6 震度2
11時40分頃 鹿児島県薩摩地方 M2.1 震度1
04時25分頃 有明海 M3.5 震度3
00時10分頃 熊本県熊本地方 M2.2 震度1    
 <現在制作中のHp>
 芳和会のプラットホームと 新しく加わった「八王寺の杜」
なかなか二つとも資料が来ない。このままにしておくか。
<読書>阿久悠の『無冠の父』を読み終えた。プロローグの旅先で父の死を知った時からエピローグまで主に主人公の自分と父の関係を想起させる思い出が延々と綴られるのだが、なかなか大したものだ。ちゃんとその筋が繋がるのだから、そんじゅうそこらの日和見作家の小説とは違う。人生の重みが感じられる作品である。生きた時代が似ているということで、ふと私の父にそれを重ねてみた。父は招集礼状が来る前に志願して戦争へ行った、母は満州へ田畑を売り払って一家で満州へ。悲惨さは阿久悠の父どころではない・・それでも似てるところもある。父は郵便局に勤めながら満州で生まれた長男を厳しく躾していたようで、小学生になったかならないうちに長男は病死してしまった。その存在は次男しか知らない。その心境の変化などは阿久悠の小説ほぼ同様、男らしさとは何か、こんな風に男は育てなければという覚悟だったのだろう。戦後9年経て生を得た末っ子の私はほぼ我が儘放題に育ってしまった。 阿久悠の父や私の父の頃の青春には戦争参加以外に意味があったのだろうか。
 <趣味>
ごまめの歯ぎしりから一歩前進しようと本日はクマデンで1kWの手続きについて聞いてみた。リニアアンプはIC7600を母体とするならICOMのほうがよさそうだ。200V電源は既にクーラーにあるようだから、今度聞いてみよう。気が変わらなかったら秋にでも行動開始しようか。
 近隣調査もあるが・・どうだろう。これから資料にあたってみるか。
 この文脈とは全く関係ないがうっかり144/430のGPを買ってしまった。毎週金曜日に空に出ているがOさんには私の電波が飛んでいないようだ。・・ということを心配されて午前中にOさんも機器を持参して調べてもらわれていたらしい。これを高くあげると飛んでいくだろうか???金曜日は設置が楽しみだ。一方、雷との折り合いはどうだろうかという心配もある。
 2017/07/18(火)  蝉が鳴き出すのが早すぎる7時前・既に目覚め猫に朝ご飯をやった。TVを眺めながらの暑い1日が始まった。
8時17分・・じっと待つている目の前のi-phone・・やがて犬の鳴き声の呼び出しの音・・今日もスカイプで会議が始まった。
 話題は震災仮設団地への支援の話し・・特に任務がない者は傍観者になってしまう。雨の日も、風の日も、こんなに暑い日でも関係なくモチベーションが保てることに感心する。私の発する言葉は少ない。
   
朝・・アリューシャン列島でマグニチュード7.4の地震があったとのことだ。日本ではまだ揺れてない午前10時・・本日は南で僅か1回・・
<地震>14時58分頃 沖縄本島近海 M3.2 震度1
 (^_^)v 今日は小川の実家の風入れと お寺さんに母の初盆の確認に行く予定。

ということでお寺に行ってきた。お坊さんは留守で地図を置いてきた8月14日は動かないとは思うけど、何しろ遠いので心配だ。
 その後実家の風入れをしたのだが、開いて10分しないうちに雨が降り出し雷も鳴り出した。そんなわけですぐに窓も閉め切って退散!! 帰りに小川のイオンに行き本屋さんで(ゼロ円)読書し早めに帰宅。
 <趣味>
2003年の「KSN活動報告」の中にJA6OOCさんの事が乗っていた。定年退職後、シニアネットの無線クラブを知って夫妻で電話級の講習を受けられて・・その後電信(第3級)、上級クラスへ。初心者の方が僅かの間に和文、欧文をマスターされて1級の試験もパスされたのは驚異的だ。指折り数えて30年以上も前に受験して以来、未だに和文をまともに送受出来ない私からすると素晴らしいとしか思えない。最近はモールスの送受実技が廃止されたのでやっとついていってる私だが・・やはり和文送受は出来なければ一人前でないようだ。雷の合間に韓国大邱市の局と2回目の交信・・これで7月は13局になった。残18局
頑張ろう・・(写真は小川の家周辺・・もう雑草が再び襲っていた)
2017/07/17(月) 今日は大忙しの日だった。朝から家族連れのお客様といっても知り合いなのだが、夕方5時までなんと二桁。久しぶりの忙しさだった。一瞬思考停止・・同時に2つのことが出来ない私達でした。
 山小屋の空には大仏の手のような雲が浮かんでいた。   
 本日からは(震災から1年3ヶ月と1日目で)日記のページは新しくなりました。熊本でも時々地震があっています。このまま収まって呉れることを期待しながら、それでも常に準備は必要でしょう。何事も忘れた頃にやってくるそうですから。
<地震>
16時30分頃 熊本県熊本地方 M2.0 震度1
05時15分頃 鹿児島湾 M2.2 震度1
01時51分頃 山梨県東部・富士五湖 M2.5 震度1
01時03分頃 鹿児島湾 M1.7 震度1
山小屋から下山して書くつもりです。
湧き水のお風呂から上がって一服状態です。今日も汗びっしょりかきました。1日が過ぎるのが早すぎで山小屋生活4日過ぎました。今週は毎日お客様あって感謝です。そんな訳でにこにこ顔で、やがて猫同伴で下山開始します。
 と行って帰宅の家は暑い、ただ風が気持ちよい・・太平洋に台風でも出来たのだろうか。風一つでも疑心暗鬼のこの頃だ。
金曜日のロールコール以来QRT状態でした。
<趣味>3.5Mhz空電が多い。雷様が近いのでしょう。くわばらくわばらサッサと帰ろう!!
<読書>阿久悠著「無冠の父」を読み始める。すんなり入ってくる。それでも273pのまだ半分もいかない。
最近夜に目を酷使するからか、目が霞む・・というか眼鏡が霞む。眼鏡も新調しないとけない。
何から何まで不調だ。

<放射線>
22:30 0.10μSv/h
22:45 0.08μSv/h

暑い(-_-)/ボーっとするしかない。大好きな夏だから・・