2025/09/01月

生老病死 世の中には免れることのない事項があるものだ。生まれ出たら死に向かい必ず進む。それを視野にいれるのは老と病が原因となり、夫々の生き方に指図する。あれほど勢いのあった薔薇の花も、時が経つと形を変えて醜くなって朽ちるのだって万物の常識だ。抗う必要もない、只自然に自分事で生きるだけ。
9月1日未明アフガニスタンで地震多数犠牲に。この日、日本では大正12年(1923年)9月1日に関東大震災があった。絶対安全な場所というところはない。生きている限り、災害は必ずやってくる。9月13日午後 我がギャラリーで「震災カフェ(茶話会)」を予定。それも台風が来ないとよいがと心配している。裏山を越えると阿蘇カルデラ、そちらもまた 本格噴火が起きないか心配も。裏返せば地球上みんな危険なところ。そんな場所に「明日をも知らず」我々は寝起きして暮らしている。
以心伝心というのだろうか 昨日話題にした幼友達から電話あって情報交換。いろんな世間話。富士山噴火が近いがどこかもう一カ所の逃げ場所を作っておいたがよいとの話をしたら、なんともう用意してあるそうだ。残念なことに、そこもある火山の麓。火山活動が激しくなると隣近所が炎を吐くのではないか。・・ということで、火山がない天草高浜を推薦した、が津波には弱い。そうなれば もうどこも逃げ場がない。
そこで、石黒耀の火山小説「死都日本」を紹介して電話を切ったのだった。自然災害とは別な人為的戦争準備も市民の命を危うくする。防衛省のミサイル配備発言で・・必ず健軍は標的にされる。勿論従来からの原発も。そんなこんなで(特に九州は)もう逃げ場はない。県知事は断固「ミサイル配備反対」の表明してくれなきゃ、熊本県民はオロオロしてしまう。逃げ場所を考えるのは自然災害だけにしてほしい。


いろんな事物はどこかで繋がる。それは不思議な(見えない)神の張り巡らした鎖を感じる。昨日喋ったことあるいは書いたことが今日は予想外の場所から形が現れる。
8月は「死者を思う月」という仏教の日本・・ヒロシマで色々考えた。カトリック教会では11月2日が死者の日といい11月を「死者の月」と言うらしい。9月はどんな月になるのだろうか。
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爺575は”振り返る 浮かぶ声まで 初思い” 人との出会いもだが、猫との出会いも不思議だった。一緒に過ごして5年目の元野良 いつもお互いを気にする仲に。/ 図書館5冊、車給油、珈琲5袋、1579歩


