2025/08/23土

 立秋も過ぎて随分経つがまだ暑い、そんな時にコスモスが咲き始めた。秋を代表する花のはずだが、山小屋のは早い。南区のは春に咲いていた。傍らには夏の代表 アサガオの紫もちらり。二つの季節が同居中

暑い時は、喉をするすると今日も素麺がうまい。氷の埋まったそうめんを掬い生姜と小ネギ、青しそをめんつゆの中に入れ口の中へ。

一休みするとうっすらと汗が・・この暑さいつまで続くのだろうか。そうめんと言えば、中学生の頃まで小川の実家の近所に工場があった。昔熊本の県立の小川再生院という精神科の病院が砂川の向こう岸にあった(今は町民グランドになっている)・・この精神病院は砂川が氾濫する水害で富合に引っ越したが・・その手前にあった。長い白い糸のような素麺が干してあったような覚えも、その工場も洪水とともに消えたかな。その下には瓦屋さんがあって、小さな町にはいろいろ工場もあったが、今の小川町には何もない。町のメインストリートも空き地や駐車場ばかり、思い出は55年程前の大昔のこと。だからそうめんは身近な場所にあったような・・と今日も暑い中での冷たく細い食を・・

森の夕闇は5時過ぎたら始まる。ヒグラシが聞こえてきた16:31、散歩に出ようか、ヤブ蚊に刺されるからやめて、このまま寝転がっていようかと迷う。だんだんと夕暮れが近づくと蝉も必死に泣き始める。ツクッショ、ツクッショ  ガラガラ、ヒグラシ以外の虫の音も喧しい。

やるべきことが浮かんでは消える。 KSNだより9月号を真面目に始めなければあと一週間しかない。余裕がない。明日は24日、KSNでは本部講習、スマホの勉強会があるのでそれを表紙にしよう。8月はサロン暑さで休止が多いので誌面が余ってしまう。さてさてどうしよう。既に9月で88ヶ月目に突入だ。

10年前のFACEBOOK投稿がスマホ画面に現れた。萌の里付近を散策したときの記事。2015年8月23日のこと。これは熊本地震の前年。まだまだ俵山には傷がない頃の写真だ。コメント欄には南半球ペルーに住む亡き原さん(日米井戸端会議でご一緒した)から「時間が止まったよい景色、山には送電線が、電気も流れ、時も流れます」って。いつかペルーの原さんに会いに行きますって言っていたのに、行く目的がまた一つなくなってしまった。

爺575は”思い出は 次から次へ 玉手箱” あのときのことがあちらこちらに関連して 広がってゆく。言葉にするのは難しいが、なにしろ、すべての人は絶対にこの世から消える。生きて居る間はお互いに関心を持ち合って・それでも・消えてもなお、思い出にある。それが消えるときが自の消滅の日だろう。

 

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