2025/06/26木

次の出番は赤いグラジオラス だろう。普段は目立たないのだが、季節になるとびっくりするほどの原色で咲き誇る。口紅をつけた若いタレントのように。周りを明るくする。
最近、生老病死を噛みしめる出来事に対面し他者を通して経験している。この世に産まれた瞬間から老いはじめ、病気も出現し、4つめに死が目の前に現れる。
今日の熊日には6月11日に亡くなった原田正純先生のことが載っていた。原田先生の勤務先の部屋には何度か訪れたことがある。「メコンの風景」の本を持参したのは熊大の頃は暗い狭い部屋、「隠された職業病」を持って行ったことも。その後の学園大の部屋は明るくて広い大きな部屋、このときは韓国からの二硫化炭素中毒症の患者救済で協力関係にあった朴賢緒先生ご一行を案内したのが二回あったか。いずれも水俣や八代からの帰りに研究室へ案内した。講演中に医師を前に倒れられた話やら、その後の食道癌で手術をしたあと、日本酒が美味しいと感じるようになったことなど、笑ったり、ビックリした話ばかり覚えている。その先生も何度も生き返ったような人だ。
我が母も、脳梗塞後の脳出血で、これで終わりかと宣言されてはまた復活、大腿骨骨折ではもう寝たきりだろうと宣言されたのに、私が乗る車椅子を押すまでに。なかなかすんなりとあちら側へ行くなんて思えない先輩ばかり。それと反対に治療半ばであっと天国へ引きずりこまれる人もあって、老+病+のあとの死は千差万別、お手本はなかなか見つからない。
人間の運命なんて一歩先のことはさっぱり分からない、私の場合は兵庫県の職員採用時 定例の試験受けた後の秋の内定、なのに春には入職前の健診で腎臓がおかしいと新卒の20代で入職を断られて(採用取り消し)熊本へ帰ってきた偶然。平田宗男先生の一言「まあ良かろう」と採用してくれた偶然。一時はちょっと食事制限したもののあとはそんなこと忘れ去って、腎臓の治療を一度もしたこともなく、それから定年まで39年も勤務した医療法人。そこで知り合った人と共通の知人を募って偲ぶ会をやった偶然。まあこれってなんだろうか?と思ってしまう。
その娘さんが亡くなったお母さんが望んでいたことは「生前・母は、自分が死んだときはお経もいらないし、葬儀は簡素でいいから、親しい仲間の皆さんに1輪ずつお花を手向けてもらえたらいいなあと言ってたらしいんです。 「そんなことをこちらからお願いするわけにもいかないし……」と思っていたら ・・と御礼のメールが届いたのでした。献花しなきゃあと妻が偶然言い出したのだった。偶然というより当たり前のことだったのだった。
昨日は3つだった花が5つ咲いた紫のグラジオラス、花の中に入り込んで邪魔をする雑草。植物の世界も覇権争いのなかにある。


ついにアメリカ紫陽花も最後の姿、明日にでも散るのだろう。周りの花は既にない。明け方に寝室の窓を開けて寝たら、田んぼを越えてくる風邪が冷え切って冷たい。
梅雨の晴れ間が時々、雨が降り出して窓を閉め切ると蒸し暑い。最近Aiが主流になりつつあって、人が要らないようになる仕事があるというので、子どもたち、孫たちの将来が心配になる。
夕刻4時からの田園散歩に出たが蒸し暑かった。帰り着くまで、足取り重く、帰宅して、すぐに冷たく冷蔵庫で冷やしたロゼのスパークワインを飲み上げた。アルコール11%なので、すぐに頭はふらふらに。
爺575は”ふらふらが 気持ちよいのか 我が頭”・・一日の終わりはふわふわでふらふらなのだ。明日からは山小屋へ。あっという間に6月は終わりに近い。
山形空港では10頭の熊が飛行機を止めたニュースも。小学校では教員仲間10人が盗撮の共有者・・なんでもありの世の中だ。もう誰も信じてはいけません。


