ベトナムへ行ってきました南は1987年に行って以来数度訪問しているが、北(ハノイやハロン湾)は初めてでした。

  ハノイは福岡空港から 僅か4時間です。40年前までのベトナム戦争(1960年12月~1975年4月サイゴン陥落)の時、沖縄から米軍はジェット戦闘機で爆弾落
としては、ほんの一寸の時間で往復できる距離だと実感しました。  ちょうど私が1975年社会に出た時が戦争終了の年。それまで、毎日のようにベトナム戦争の話題が
ニュースに流れていました。

  <初めての訪問は・・>1987年に訪問したときは、直接日本との国交がなく、飛行機は一旦、タイへ飛んで、そこからベトナム。ホーチミンへのルートを取った。
  だからタイで足止めされ市内で、雑貨を買ったりした。使った飛行機はキャセイ航空だった。 その旅の目的は ベトナムに散布された枯れ葉剤汚染地区を訪問
  し熊本の水問題を考えること。そして枯れ葉剤の犠牲者のベト・ドクの居たツーヅ病院へ保育器を贈ることだった。そして水俣で起きた水俣病を紹介することも
  忘れなかった。 (いずれもpdfは「メコンの風景その暮らし」から引用)
   フォトジャーナリストの中村悟郎さんの案内で南ベトナムの枯れ葉剤汚染地域であるメコン川下流のベンチェ省で話を聞いたり、病院訪問や障害者施設で交流
  したりした。 この旅の団長は長年水俣病と向きあって  水俣で治療と研究をされていた当時水俣協立病院 藤野糺院長、副団長は 当時「ベトちゃんドクちゃん
  の発達を願う会の藤本文朗滋賀大学教授と世話係(と自称されていた)中村悟郎さん他含め総勢14名。私はこの旅の記録係(写真係だったが中には悟郎さんの
  お弟子の写真家も参加されていて(^_^;) )・・この旅で人生を転換した人も出た。理学療法士から写真家へ、そしてアメリカの大学院へと・・とかく人生観の変更を迫る
  旅だった。私を含めて・・
  1)表紙だけをあげておきます。北岡秀郎氏、中村悟郎氏を読み返すと今でも当時がよみがえってきます。当時町中の珈琲1杯、1500ドン、今年は4万ドン・・物価
  の上昇には驚く。お金の単位が半端じゃない。
  

 
1988年6月発行の「メコンの風景、その暮らし」 
編集は長谷川がしました。B5版 95P (絶版)
表紙は勿論私の写真(水牛と少年)を優先と職権
乱用の感じもしますが(^^;
 

ハノイの町中にも憩いの湖がありました。
江津湖を巨大化したみたいな。大きな亀
がいるそうです。

 

地震が1000年無いというこの地、ちょっと自然
を侮っていないのだろうか、断崖の直下に有名
なお寺がある。営業妨害になるので名前は出さない
けどって・・名前を忘れただけですが・・

 

そのお寺・・占いがよく当たるというが、平均寿命が
短いベトナムでは70歳以上は占えないという、
我々の一行にも2名ほど該当者がいた。
 
水上生活者の家。固定資産税払わなくていいなあ
 
船の中で寝泊まりするというが、波の荒いときは
一睡もできないのではないか?いや子守のように
左右にゆれてスヤスヤか・・ハロン湾
 
       
 
ハロン湾は波はとても静かだ。

ハロン湾の島に上陸・・大きな鍾乳洞があった 
 
今も昔も 変わらない生活風景があった。