<いろんな新しい通信方式>耳体験
WIRES
WIRESという手段はインターネットと無線通信が融合した通信だ。C4FMという少し帯域が広く、echo-linkとうネット上で交信できるやつに似ているこちらは無線装置なくてもPCのマイクで交信できるというやつだったが・・・各部屋(ROOM)に別れているのは、ほぼ似ている。このWIRESでは「ALL JA CQ」という部屋が一番在室が多く常時100人くらいが耳立てているようだ。声を出すのはその中の数人。東京や沖縄、北海道からの声が時折交差している。熊本にはノード局が5,6カ所あるらしい。無線のKUMADENは430.920MHZにノード局を備えており、そこを経由していろいろ入ってくる。暇で聞き耳をたてているならいいのだが、無音にはまったく興味なく別バンドをすぐにいじる。音質は良好。日本中から必ずつながるので、アマチュア無線をやっていて短波帯でコンディションがなかなか上がらないなか出会うのも大変だが、このバンドでは100%交信できそうだ。C4FM付きで近くに利用できるノード局さえあれば小型ハンディで大丈夫だ。こんど岐阜の友達に紹介することにしよう。

JT65HF  文字通信 低電力でPCとの融合
もう一つJT65HFという通信ソフトをPCに入れて音声をFT991からUSBケーブルで直結。このソフトの基本は宇宙通信用に微弱電波をとらえるための通信形態である。それをHFに利用してQRP(低電力通信)が可能、10Wや5Wで世界中との交信が可能の様子。体験してみたが、ほんとにかすかな電波をよくとらえて文字にしている。でもDXCCを稼ぐぐらいで、前後の通信内容があまりに短くて理解できず。のめり込めない。ツウになるとのめり込んでしまうかもしれない形式である。パソコンでの通信主体だ。アパートに住み、あまり強い電波を出せない局にとっては救世主だ。

<APRS>2016年1月14日楽しく散歩しながらのAPRSの実験結果 2つの事を同時に進行させる方法
他者のデータを利用して、温度や気圧など天候を受信するとか。付加価値をつけるとアマチュア気象観測所も出来そうで面白いかも。
 我がシャック下界の状況
 

高そうに見えるDPもIVも角度を変えると実は2階の窓の下に給電部があって、なかなか呼んでも取って貰えない。7/21と14/18/28の組み合わせです。
 <台風直撃予報>

明日台風が来ると自慢げに天気予報は予想している。今日は午前中に自宅ベランダのアンテナを外しておこう。・・
と寝ながら考えたが、風速何メートルまで大丈夫なのかの実験をしてみようと思い直し、逆Vアンテナの外した線をまたはめた。あとは天に任せてみよう。何度も台風が来るので切れるまでの実験だ。竿だけが駐車場の車に折れて刺さるかもしれないがそれも運命だ。と書くも・・・怖い妻に、「そのまましておいて、あちこちアンテナが飛んで迷惑かけたらどうするの」と叱られながらベランダの1.8Mhz逆Vと50mHZホイップも花壇にある物干し用竿の7Mhz逆Vも撤去させられた。・・・実際に25日午前4時頃から台風15号の直撃で、猛烈な風が吹き始めて怖かった。長時間の停電までおまけがついて、冷や汗ものだった。撤去してなかったら目から冷や汗が流れていたかもしれないのだ。妻の言い分が正しかった。
 森さん(JA6SA)のこと    1983年のこと


森さんは身長が高い、いつも白い手袋をして杖を持っている。水俣では身長が高くさっさと歩くだけでもハイカラに見える。森さんの趣味はアマチュア無線。SAと2文字コールで無線歴は長い。湯堂から国道3号線を下ったところに、袋の森さんの家があった。両端が竹の支柱に張ったダイポールが建っていた。7MHzでいつも早朝に長崎の長年の友人との交信を日課にしているという。電信でお互いの体調を気遣って「おはよう」と声かけているそうだ。
森さんは難聴だ。話している時、時折ピーッというハウリングの音が漏れてくる。耳からイヤホンが外れたら慌てて手で押し込んで会話が続く。無線機の音を聞くときは直接ヘッドフォーンで音量最大で耳をそばだてる。外ではダンディで自宅ではステテコが似合う無線局長だった。
 <夢は南国に>

 18才の夏休み、無線仲間の3人で原付バイクで南九州の旅に出たことがある。コースはあまり覚えていないが、小川町をさっそうと出発したあとは矢部→高千穂→延岡→日向市→宮崎→加久藤峠→人吉→坂本村→八代→小川 のコースだったと思う。50MHZの無線機を前籠に入れて時々止まっては交信して、南国の岩だらけの荒い浜辺波が見えるころ夕方近くになった。誰も宿泊先など考えてもいなかったが段々暗くなると心細くなった。
 浜辺に野宿しようかという話になったが、雨が心配だった。
 バイクを止めてCQを出すとすぐ近くのアマチュア無線局と交信できた。そこで「この付近で宿泊出来るような施設はないか」と聞くと、「まあいいから、我が家に来たらどうか」と言われて、「じゃあ遠慮無く伺います」と誘導して貰った。建築関係の仕事をされているおじさんだ。
 まさかの展開で3人分の夕食とお風呂まで用意してもらった。その御礼に旅の道中の話をすると、おじさんは「俺もそんな旅がしたいなあ」と焼酎を片手に上機嫌だった。
 3人とも直射日光に疲れてその晩はぐっすり寝込んでしまった。ゆっくり手足を伸ばせる畳のすばらしさで目覚めるともう朝になっていた。見ず知らずのボロをまとった私たちに対して奥様は、何も気にしないでご主人様のお客さんとして朝食まで作ってもらった。出かけるときには、玄関先で「気を付けて!」と送られて出発した。
 突然の来客にも笑顔の奥様・・うちの母なら「あんた達はよ帰りなっせ」と追い返すに違いないと3人が3人とも思っていた。「ホントに御世話になりました」と2人に御礼を言いながら、バイクのミラーに写る2人の恩人に向かって「さようなら」と片手を挙げてスタートした。

 43年も前の南九州では所々舗装がなく、土埃があちことで舞っていた。その埃をたっぷりすってマフラーが詰まってしまい減速ばかりで上り坂は押してへとへとになった。人吉から下る坂道も埃がいっぱいしていた。今では想像も出来ない時代だった。こんな人情も既にハムの世界には存在しなくなったようだ。
 我が家に帰ると「そぎゃん汚れてどこに行ってきたと」と聞くばかりで、遠出の話と他人の御世話になったことを隠した夏の思い出だ。親は何時までも煙たいばかり。
 DSIさんの思い出   1968年頃

無線に興味を持ってきた中学時代、国道3号線沿いのアンテナ目指して教えを乞う14歳の少年二人に応えてくれたJA6DSIさん。夏休み中小川町から15kmほど離れた場所の八代厚生会館での電話級アマチュア無線技士の講習会を受けることにした。送り迎えをDSIさんにやって貰った記憶がある。我々をこの世界に導いてくれた無線の師に違いない。最近は無線をされていないということを聞くと寂しいが、他に興味ある世界があるのかもしれない。実は一緒に講習会に通った中学時代からの友人も還暦過ぎても建設会社の重要ポストで忙しそうで無線局免許も切らしてしまったようだ。再開してほしくて葉書を出して誘導しているがまだ再開局したという連絡はこない。DSIさんの2階に上っていくと8畳くらいの和室の机に無線機がドンと置いてあり、局免許が初めて来たときに交信(QSO)の仕方を教わった。初めての相手は英国の局、早口でよく聞き取れないので英語をDSIさんが通訳。私はRSレポートと名前を送るだけだったが生まれて初めての海外局との交信だった。屋根の上の3ele Yagi,,ローテーターも世界地図対応、顔を真っ赤にして興奮しすぎの初オペレーションだった。
 当時の21MHzはコンディションがよくてすぐに海外と交信が出来ていた。DSIさんも既に70歳に手が届く頃だ。もう私たちのことは忘れているかなあ。
 不思議なことにDSIさんの弟さん夫婦は無線で知り合った仲。その奥様は姉さん女房で私の中学時代の同窓生なのだ。DSIさんお元気で。

2015年12月5日 1アマ国家試験受験記
2015年12月5日の試験会場は熊本大学病院の近くの労働会館。当日寝坊してしまった。西原村の山小屋から7時半に出発するつもりだったのが起きたのが8時過ぎ。こりゃあ遅刻だあと大慌てのスタートだった。
 西原村で金土日は仕事(妻がせっせと準備する傍らで私はボーっとしているだけ、たまにコーヒーを入れる)だが、その土曜に試験を受けると3,4日前に妻に許しを乞うたら「何も役に立たないのに、受けんでもよかのに」と普段から無線機からの雑音を聞かされているので鬱陶しいらしい返事。でもそこは自分の好きなことは必ず押し通す(嫌いな事は絶対やらないという身勝手な)私だから、勝手に受験することに。
 TVに夢中な妻の矛先は無線に向けられて「無縁の音小さくして!ドラマの台詞が聞こえない」という声に私は震えて怯え小さくなってヘッドホンをつけてかわすのが精一杯の抵抗である。
 ともあれ、森の中で誰にも遠慮なく電波を出したいという夢に向かう私は、あえて「無制限」という憧れの一級アマチュア無線技士を身近な目標とした。願書は出したものの、その割に勉強には力が入らなかった。どうせ忘れるから「酒を断って1週間前から猛勉強するぞ」と決めたも のの相変わらずののんびり性格。本気はわずか3日前から1日2,3時間、過去問の解答に専念したが毎晩缶ビール1本でほろ酔い気分は試験前日まで続いた。
 法規は短期記憶が功を奏し合格点の自信はあったので早めに出てモスバーガーで食事を取りながら1時間以上も席を占有し工学の公式を覚えることに専念した。
 たが、配られた試験用紙の工学はなかなか厄介だった。学生時代はちゃんと学んだはずなのだが、40年近くになるとそんな覚えがまったくない。よく虚数の計算で+、ーの間違をしてしまうが今回の試験にも出た。工学は見直しに粘ったが、ダメだったかなとペンを置いて出た。青年の頃の二級アマチュア無線技士を受けた時には電信の送受と法規と工学の筆記試験だった。三十数年前の一アマには和文送受信が高く高くそびえて行く手を阻んだ。しかし規制緩和なのか?
 山へ帰ると「出来なかったごたる、また4月あるけ ん」と言うと妻は「一銭にもならんとに」と言う。私は反論するのをやめて心の中で「だから無銭なのさ」と呟くのだった。
 数日したら解答が出て採点したら 法規は137、工学は106点とすれすれの成果(105点以上が合格)、マークミスが
一つでもあればアウトだった。神様の助けかな・・と思う。
(普段は無神論者なのに都合がよい) 
<2015年の成果>
12月21日にweb発表されていたが、それまでドキドキだった。和文CWの実技の失敗の呪縛から逃れられずに蓋をしたまま三十数年間も門を叩くことのなかった国家試験だ。CW実技が高い高い障害物だったのがいつの間にか あっさり葬りさられていることに驚いた!!
 ホントにCWをアマ無線の試験から外していいの
か疑問には思うが、まずはこれで1級アマチュア無線の試験を受けなきゃという長い間の心理的呪縛から解放されたのは事実。
<2016年の無線関係の目標>
1 最低限の努力(CW)
2 省電力交信
3 耳慣らし
4 1日1交信で 365局/年目指す
5 機器整備(アンテナ・TXRX)
6 無線関係の物語を書く
言論の自由、表現の自由は守られているか「ハムフェアはフェアに!」
 趣味の世界 ここまできた自主規制
 今年
8月開催の第39回アマチュア無線フェスティバル(ハムフェア)にアマチュア無線9条の会の参加が拒否されたとある報道で知った。私も45年近くアマチュア無線を趣味としており同時に最近、憲法9条がないがしろにされるような事件が気になった。このハムフェアは日本アマチュア無線連盟の主催で総務省などが後援するもの。アマ無線9条の会は毎年参加している団体である。フェア実行委員会は団体名称の変更と「憲法について反対賛成などの表現をするなどの政治活動を伴わないこと」を条件にして出展を拒否したという。これは昨年埼玉の公民館だよりに「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」という俳句掲載拒否と同じところに根を持つ内容であるようだ。為政者に「戦争をしないことを誓わせ」「それを国民全員が守る」という憲法9条であって、平和が確保された中でしか自由な会話が出来ないということを念頭に置きアマチュア無線愛好家は力を合わせる必要がある。主催者のアマチュア無線連盟は趣味や言論・表現の自由を制限することで戦争の準備をする為政者に利したり、憲法9条の形骸化に力を貸すべきではない
これは少数意見を聞かない今のどこかの大政党と一緒だ。趣味の世界をますます狭くして、会員は減るばかりだろう。
 (と書いたが8月22-23日ハムフェアは少数意見を排除してアンフェアに終了したみたいだ)
9条の会はどこにもある。韓国にもだ。日本の憲法9条を輸入したいというのだ。さすが輸出は出来ないが自分たちで開花させようと頑張っている人たちがいる。           
 冬はアンテナが決まらない。

サイクル24という無線交信の好調な時期は下り坂になってきた。このサイクルが好調なときには遠距離通信出来るかが決まるのだが、これからぐんぐんと下がって交信しにくくなるという。秋にはF層の電子密度が高くなって日没時間のグレーライン伝搬があるという。冬は、国内の交信さえも大変低調になる。3.5MHZ、7MHZが精一杯の季節。空も寒さに震えている。

この季節 敷地がない我が家ではせいぜい話に耳立てるだけである。でも春先からはまた高い周波数に形だけDXがよみがえる。
 バーチカルかダイポールかで迷っている1月。
一個は欲しいバーチカルだが短縮率が高いと
飛ばないし、かといって長いと目立ってしまう。
ステルス無線局は目立たないアンテナにしなければと思うので近所のすごい八木アンテナなどのような(憧れの)アンテナは不可能だ、せいぜい屋根より低いインバーテッドV型や 銅線を家の周りに張りめぐらせる変形ダイポールくらいだろう。バーチカルも目立ちすぎるし悩ましい。
1日1局との交信目標 今年は新年のQSOパーティで21局と交信したので21日までは齷齪しないでもよいのだから、もう少しアンテナを悩んで
みようと思う。 2016年1月8日午後11時20分
アマチュア無線日記