私の好きなジャーナリスト中村梧郎さん


BACK TO HOME TO BOOK INDEX

 

あるジャーナリストの紹介をしたい


NEXT PAGE HERE

代表作「母は枯葉剤を浴びた」:中村梧郎さん/ 1940年長野県出身/  フリー.フォトジャーナリスト/ベトナム戦争をはじめ世界各地を取材、特に近年環境問題を追う。多くの戦場カメラマンはその戦争の本質でなく、戦争そのものの悲惨さをつたえるにとどまるが、中村氏は、ずっとその戦争の被害を(枯葉剤の深刻な影響によるその後の出生異常、奇形発生などの調査取材と平行に)伝えながら、戦争の本質に迫る。一つのことを、何年も追い続けて被害者、加害者双方と交流しながら彼らの取るべき主体的行動を援助しているジャーナリストである。 フリー.フォトジャーナリストに要求されるものを彼の周辺からまとめてみた。  自分の思想/立場の一貫性(座標軸の重要性)  物事に先入観を排除し真摯な態度※人間関係を良好に出来る性格  語学力よりも言葉の背後に置かれた状況を理解できる幅広さ  (取材では2、3カ月から半年の長期取材が多く、片言でも現地の言葉を自分で発声し、自分の目で現地の新聞の表題が読めるように努力し、土地の文化に興味をもつ/身体が資本(命がけの取材もある)  発信者としての責任の重大性:虚偽は命取り

徹底した取材と検証で公表される。












マルコポーロ(文芸春秋):92/10月 42ー48P 

ベトナム戦争は終わっていない。

 枯葉剤散布作戦を指揮した老提督「最後の戦い」60年代アメリカは「ベトコン」の拠点を一掃するため枯葉剤を大量に散布、密林はまたたく間に緑の墓標と化した。この作戦を指揮したのが、海軍司令官*エルモ.ズムウォルト氏だ。歴史の皮肉か、従軍していた提督の息子は枯葉剤による癌で死亡。人柄紹介(幕僚長時代、黒人補佐官とともに海軍内の人種差別をなくそうとした。)ベトナムへの枯葉剤散布は人種差別とは関係ないかと短刀直入にインタビュウ...  ダイオキシン汚染はベトナムだけの事件ではなく、工業国では必ず起きている身近な問題/枯葉剤製造工場閉鎖後の大事件「タイムズビーチ事件」/危険性のデータねつ造/ アメリカでは政府や産業界、ベトナム帰還兵、住民がぶっつかりあいながらダイオキシン対策は前進しているように見える。

VIEWS(講談社)Vol3 no13 93年7/14号

告発スクープ ベトナムへ有害ゴミを運ぶ日本人

 PCB,廃油,水銀....国際リサイクルの落とし穴/リサイクルの名のもとでゴミが輸出される。PCB(ポリ塩化ビフエニル):猛毒 EX カネミ油症中古トランス/低温燃焼→ダイオキシン

VIEWS(講談社)Vol13 no14 93年7/28号

 

告発フォトレポート ベトナム戦争は終わっていない!

 ベトナム参戦の元韓国兵を打ちのめす枯葉剤後遺症(猛毒ダイオキシン) ベトナム戦争中に米軍がおこなった枯葉作戦。その枯葉剤の後遺症に苦しむ5千名もの元韓国兵がいることが今ごろになって明るみに出た。韓国の朴正煕政権がベトナムの最前線に送り込んだ兵士の総数31万2千853名。しかし、その後に続いた全斗  (チョンドファン)、  愚(ノテウ)という軍人政権のもとでは枯葉剤問題を報道することさえ完全に封じられてきた。さまざまな疾患にくるしんできた帰還兵たちは原因も知らされぬまま、耐えてきた。ここに明かされるのは軍政終了によってはじめて語られる事実である。 (白馬師団大佐.第29連隊長としての全斗 :71 1/29こうもり25作戦を指揮325名のベトコンを射殺/金と出世の韓国兵/の問題ETC)

VIEWS(講談社)Vol4 no4 94年2/23号

「正義の告発」独占スクープ 日韓同時取材を敢行

!「経済強力を名目に日本は韓国国民へ公害を送りこんでいた」 二硫化炭素中毒を発生する中古機械を30年前に当時としては30億円という高額で韓国に売りつけた背景には、日韓関係の暗い戦後が存在する。レーヨンを生産するこの機械が二硫化炭素中毒をおこすことは韓国の労働者には知らされなかった。現在300名のCS2中毒患者、東レの中古機械を移設したのに不思議なことに当の東レには一人も患者はいない。(PSコメント: 八代興国人絹のCS2中毒者は32名を認定 同規模のレーヨン工場(個人的な精神病などとして処理など:日本は会社行政ぐるみで隠す)

VIEWS(講談社)Vol5 no2  95年2月号 138-145P

元アメリカ海軍総司令官、いま、枯葉剤問題の活動家としてベトナム再訪「私は、枯れ葉作戦を指揮し、息子は枯葉剤で死んだ」

 

エルモ.ズムウォルト 元提督ベトナムへ同行取材記 枯葉剤を撒いた側のトップと被害者の対面をルポ ;枯葉剤の人体への影響を検討 日本に枯葉剤が散布される予定だった。.//枯葉剤はメリーランド州フォートデトリックの米陸軍生物化学兵器研究の過程で生み出され、(第2次世界大戦)の終戦まぎわ量産されそのターゲットは交戦国の日本だった。45年5月の計画/東京/横浜/大阪/名古屋/京都/神戸周辺の稲作地帯へ蒔き穀物全滅を目的とした。 

私の想い

: ジャーナリズムは日常生活に深く関わってている。日本の経済、政治、司法、行政もつまるところ我々の生活も第4部門といわれるジャーナリズムによって(大小の差はあれ)左右されている。現在騒がれているオウム事件にしても情報がジャーナリズムから発進されて、それを警察が追っているという様をみるのにつけてもそれを実証しているようだ。 さて どうやって今日の社会的ジャーナリズムが成立するか、あるフリーのフォトジャーナリトについて考察してみた。枯葉剤の恐怖や成分のダイオキシンの毒性と催奇性を日本に知らせた。また彼は戦場カメラマンでもあった。彼の写真とともに添えられるリポートには情も理も十分、人を唸らせてしまう。、国民に訴えるのみならず行政にも影響を及ぼした。会った人に信頼感を与え人的ネットワークも世界に広げている。


  

韓国取材では入国拒否や逮捕も覚悟での入国だったが、ついには政府要人への取材の過程で青瓦台(大統領府)での枯葉剤被害の写真展開催へと発展した。生後すぐからのつき合いのベトドックの分離手術にも立ち会い、ベトナム側からも信頼を寄せられている。またベトナム戦争下で枯葉剤散布の責任者の元米海軍幕僚長と被害者の再会など画期的情景の現場を設定するなど、人間性善説を信じさせるようなきめこまかい報道をする。彼は被害者、加害者のどちらにも深い信頼関係を作り上げてしまう。 そういう私も実は大きく影響を受けてしまった。彼と出会ってその後の私の視界を社会問題へと広げてくれた。 カメラマンにとどまらず、人との交流をとうして物事の真実に迫っていき、その問題を世間に広げてゆく(本人の生き方が取材の姿勢となる)フォトジャーナリストは素晴らしい(生きがいに通じる)職業だと思う。