人生での偶然

危険回避 20代~現在まで


 私が神様を信じるのは難解な試験の時と偶然に難を逃れた時くらいでいつもはその存在すら忘れて暮らしている。なぜあの時、スピードを緩めたのか分からないが、少し背伸びしてみると視野に隠れた所を小さな子どもが横断歩道を渡っていた。本人は全く気づいていないが私は冷や汗が出てゾクッとした。
 あるいは公民館での学習会で、ストーブの近くに居た私の眼鏡が曇り始めたそんな時にトイレに行きたくなって、人混みをかき分けて廊下に出たが、廊下にはたくさんの荷物が一杯あって、足を運ぶのが大変だった。空間があって足を降ろそうとしたら妙に違和感を感じた。しゃがみ込んでみると足を置こうとした場所には、生まれて間もないだろう赤子が寝せてあった。危うく踏みつぶすところだった。誰にも喋ってもいないし、傍らの当の母親も全く気づくこともない一瞬だった。そんな不思議な躊躇を感じさせたのはあれは神様だったのかもしれない。人生そんな救いが沢山あって平穏を続けているだけかもしれない。

衛星放送初受信(シントムの機器とアンテナを買って初めて接続した日)40歳代

 初めて衛星放送を受信しようとパラボラアンテナ(parabola antenna)を南に向けて、九州からの衛星の位置の説明書を眺めて仰角を目分量で調整してた時ちょうどよい場所に合ったのだろう。居間から少し低音混じりのよく知った声が聞こえてきた。あ!これは友達の声だ、いやに断言的な話をしている。慌てて居間に駆け上がってブラウン管を見つめた。ゲストで喋っている彼の顔が鮮明に写って別人のように映えていた。衛星放送で初めての受信はNHKの「俳句」番組だった。

琵琶湖への小旅行 20代

私が大阪で学生をやっていた頃、夏休みの1週くらい前の休日。普段は市内の古本屋さんをブラブラするくらいだったのだが、心境の変化で、またたま地下鉄に乗ってどこかに行きたくなった。切符を買ってるとき京都方面行き電車がホームい滑り込んできた。じゃあ北に行こうとその場で決意。京都に到着の頃、この先の琵琶湖へ足を運んでみようと考えた。京阪電鉄で北の終点に行こうと思ったのだ。そこから徒歩で琵琶湖を眺めにいくつもりだった。ところが乗った電車は南へ下り終点の石山寺に着いてしまった。まさか目的の反対行きの電車に乗ってしまうとは・・と一瞬後悔したもののタダでは起きない性格。未知の石山寺探検に出かけることにした。どっとお客さんが歩くので私もその流れに身を任せてお寺の参道を登り始め、しばらくして立ち止まり掲示版などを眺めて顔を参道の上に向けると「おーい 長谷川!!」と呼ぶ男あり、平野は左右に若い娘さんを連れだっている。「おつ!平野じゃなかかい」こんなところで出会うのも高校卒業以来だ。名古屋に住む平野と大阪に住む私の近況を報告しあって、すぐに別れたがあの出会いは不思議だった。目的地の反対それも、引き返そうか、登ろうかと迷いながら登った参道で偶然田舎の同窓に出会ってしまったのだから。世の中はいろんな偶然の出会いが用意されいるのかもしれないなあ。