2021年11月11日 南ア元大統領 デクラーク氏逝く
Frederik de klerk 1916Mar18-2021Nov11.

デクラークの功罪

 20211111日南アフリカの元大統領デクラーク氏が中皮腫で亡くなったと言う訃報が届いた。アパルトヘイト法を消滅させた功績は大きい。人の平等について自らの手で実践し廃止させたこと。マンデラをローベン島の牢獄から解放させたこと、それから内戦を起こすことなく民主主義を作り上げることに努力したことは間違いない。

19892月、彼の白人与党の国民党の党首になって9月に大統領になり、902月にネルソン・マンデラを解放した。もちろん白人層では反対者が多く居たが世界世論に促された形だ。世界的な経済制裁。当時日本でもアパルトヘイト反対の運動が各地にあった。

翌年の918月22日、南アフリカのヨハネスブルグの中心のANC本部(ビルの22階)を訪問。現大統領シリルラマポーザ(当時ANC書記長)が 我々日本からの訪問団と会談したとき「デクラークは最近2人の閣僚を更迭した。一人は国防大臣、もう一人は警察の長官である。政府は二枚舌政策をとり政府の資金がインカタへ流れて暴力を続けさせた。この例をみても一方では甘い言葉を使っている。事件が発覚し更迭したのは自らの責任を認めたからに他ならない。デクラークの手は人民の流した血にどっぷり浸かっている」と激しく非難した。(それに関連して朝日新聞1991年8月3日号では「インカタゲート事件も発生。(黒人同志の争いへと目を向ける作戦)=ANCへの打撃を与えるためにブテレジ率いるインカタ自由党への資金提供=という掲載が、あって2閣僚の更迭の詳細記事が。」

 こんなゴタゴタがあったが、9月4日にはデクラークの国民党が新憲法法案で「黒人の参政権」を認めた。

黒人参政権が得られたのちに1994年南アフリカ初の黒人大統領になるネルソン・マンデラだが、この間、さまざまな危機もあったが、政権移行まではデクラークとマンデラ二人三脚の状況でお互いの努力がなければ、内戦状態になったかもと思うほど。

 デクラークもマンデラも相手だったから成しえたことと双方を称えていた。デクラークが黒人を対等な人間だと理解したのはもしかしたら、彼の息子の嫁がカラード(混血)だった影響からかもしれないとも想像する。

 加えて 極秘に開発した核兵器を廃棄した功績も。

 その後最近ではANCの政権基板も揺らいでいる。ANC支持も50%を切ったようで前ズマ大統領の腐敗政治を一掃するために、ラマポーザが交代したが、初期の住宅問題や失業問題、経済格差の是正なども実現出来ずに、ANC支持者は離れている様子だ。せっかく勝ち取った一人一票制度の権利にあぐらをかいていると思わぬ方向に国が動いてしまう。(投票率が半分くらいの日本も真剣に自分のことと思って投票行動をしないと大変な国になるぞ)

 

備考)30年前のANC訪問    「南アフリカの流砂」から

 ANC(アフリカ民族会議)本部訪問 記録

ANC本部はヨハネスブルグの中心街にあってプレイン通りの二十二階建てのシェル石油のビルを買い取っている。(約五億円にて買い入れ)一般人が中に入ろうとするのは非常に困難のようだ。入場許可書を係員に示し入ってすぐに金属チェック。空港にあるのと同様のX線カウンターに荷物は入れてチェックされる。武器、弾薬など厳しく検査をしている。我々の素性がはっきりしていてもここを素通りするのは許されない。カメラのフイルムの感光を気にしながら前進していった。インカタや白人極右の暴力と破壊の現実の中できわめて緊張した状況が間接的に分かった瞬間でもある。

ANC書記長シリル・ラマポーザ氏の歓迎挨拶

ANC書記長シリル・ラマポーザ氏とはANC本部にて会えた。折からの全国執行委員会の会議を頓挫してこられた。民主アフリカへの過程、和平会議、全政党会議、暫定政権協議、暴力問題の興味深い話をされたが、その締めくくりに「どんなに水を沸かそうとしてもコンセントを入れなければ電気ポットのお湯は涌かない。沸きそうになっているポットでもコンセントを切るともとの水になってしまう。最後まで支援というコンセントを切らないでくださるように」と沸騰直前の水に例えて真のアパルトヘイトの解除と平等をかち取るまでの日本からの変わらぬ援助をと訴えられた。